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「エカテリーナ宮殿」 のある
サンクトペテルブルグの郊外 = ツァールスコエ・セローは、
ピョートル大帝の時代以来、貴族たちの離宮が集まるところとなり、
狩場や社交場として知られるようになりました。
ツァールスコエ・セロー = 「皇帝 (ツァーリ) の村」
という名前もそのことに由来します。
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サンクトペテルブルグの中心からおよそ25キロメートル ・・
馬車を走らせても程よい距離だったのでしょう。
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観光客にとっても程よい距離です。
「エカテリーナ宮殿」 は、「エルミタージュ美術館」 に次ぐ
人気の観光スポットで、連日入場を待つ人の長い列が出来ます。
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お目当てのひとつは、エカテリーナ2世が特にこだわったという
「儀式の間」 ・・ 通称 「鏡の間」 でしょう。
1770年代、エカテリーナ2世が建築家に求めたものは、
『ヨーロッパの古き良きものの再現』 です。
(9月30日のブログ参照 )
「儀式の間」 は、明らかに、
フランス 「ベルサイユ宮殿」 の
「鏡の間」 を意識しているのがわかります。
(ちなみに、ベルサイユ宮殿もパリから約25キロメートル)
実は、
この 「鏡の間」 にまつわる日本人のおもしろい話があります。
大黒屋 光太夫 = だいこくや こうだゆう (1751年ー1828年)
現在の三重県伊勢あたりを拠点とした
『回船』 (運輸船) の船頭です。
1782年 (天明 2年)、光太夫は江戸に向けて出航しますが、
駿河湾付近で暴風雨に遭い漂流し、
アリューシャン列島に漂着します。
それからおよそ10年、ロシア国内をさまよった光太夫は、
1791年 (寛政 3年) 縁あってエカテリーナ宮殿の 「鏡の間」 で
エカテリーナ2世に謁見し帰国の許可を乞います。
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『天井があまりに高いために、そこにいる人間が小さく見えた』
と光太夫は後日語っています。
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大黒屋 光太夫については、帰国後彼が語った話を元に、
井上靖 『おろしや国酔夢譚』
吉村昭 『大黒屋光太夫』
などの小説が書かれています。
また、映画化もされています。
『おろしや国酔夢譚』
(1992年、大映 監督:佐藤純彌 主演:緒形拳)
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