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1716年、プロセイン王国のウィルヘルム1世から
ピョートル大帝に贈られた 『琥珀の書斎』 が、
「エカテリーナ宮殿」 の 「琥珀の間」 となるまでには、
いくつかの変遷があります。
(10月22日のブログ参照 )
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『琥珀の書斎』 は、真新しい 『琥珀』 を組み込んでつくられた
大小18枚のパネル = 壁 の状態で木枠に梱包され、
ベルリンから現在のリトアニア、ラトビアを通って
サンクトペテルブルグに搬送されました。
その途中に、
後に重要な場所となる 『カリーニングラード』 があります。
サンクトペテルブルグの 「冬宮」 に届いた
この 『琥珀』 のパネルを、ピョートル大帝が 「冬宮」 の
どこに組み立てたのか ・・ その記録は一切残っていません。
残っているのは、
ピョートル大帝の娘である第6代皇帝 = エリザベータが、
『琥珀』 を継承したという記録です。
1746年、エリザベータは、
『琥珀』 を使って 『冬宮』 に公式の応接間をつくります。
それまでの30年間、『琥珀』 がどこにあったのかは不明です。
公式の応接間に使われた 『琥珀』 は、
その後 「冬宮」 の改築の度に宮殿の中を転々としました。
ちなみに、「冬宮」 は、
何度も増改築が繰り返されています。
現在の 「冬宮 (エルミタージュ美術館) 」 が完成したのは
1762年のことです。
ここまでが 『琥珀の旅』 の第1幕です。
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