休日の午後
スーパー前のベンチに親子が座り
小さな子が紙パックのジュースを飲もうとしていた
ストローからジュースがこぼれたのか親は当たり前のように
ハンカチを取り出し濡れた服を微笑みながら軽く叩き拭き取る
子供は何も無かったかのように飲み続けている
当たり前の光景 何気ない光景
でも あ~親とはこういうものなんだなと感じられたのでした
既に受け取れている喜びの中に
受ける喜びあること知るのです
心から喜び 大きく出る喜び
人の心頂いて 愛おしく思えたこと
ありがたいことをいたすこと
愛が喜びとなり
その道を求めて行けるよう心得ていける
人へ届く心持つことです
先ほどは暖かいコメントありがとうございました。
読者登録させていただきます。
よろしくお願いいたします。
それぞれの道の思いを
こうして少しだけでもご縁をいただけて
心触れさせていただけることが
人として幸せだな~ と感じています
こちらこそありがとうございます
(*^_^*)
大海に住む盲目の亀が百年にただ一度だけ海面に浮かんでくる時に、
たまたま穴の開いた流木が浮いて、その流木の穴に首入れるという仏教の寓話があります。言わば、めぐり合うことは非常に難しいことの例えです。
血のつながる家族となることは、盲亀浮木のような奇跡の確率です。
生まれてくることは、両親がいます。
両親のそれぞれの両親、合計4人。
このようにさかのぼって考えてみましょう。
10代前を遡ったら自分と同じ血が流れている先祖は1024人。
20代前だと約100万人!!
そのうちのただのひとりでも欠けたら、自分はいま存在していないです。
「命」を次につないできたから、現在の自分の「命」があります・・・
奇跡的なことのように思えます。
そのように考えてみると、先祖の大切さがわかり、お墓の重さがわかります。
先祖に手を合わせて感謝しましょう。
コメントありがとうございました
全ての繋がりに感謝します♡