斯く語りき

思ったこと、感じたことを書いています。

伏線があるなら、謝罪は必要ないのでは?

2019-12-17 20:00:00 | 社会部
これだけ明確な“伏線”があるのであれば、男子生徒が教諭を挑発したと思うのですが、それなのに教諭だけが悪者にされるのは如何なものでしょう。

伏線があるならば、報道する側も教諭の問題だとクローズアップせずに、

『無断で授業をサボり保健室に 男性教諭が立腹し腹を殴る』

という見出しにするのが筋ではありませんか? こうすることで何処に問題があるのかが判るでしょうに。報道機関は教諭を陥れたいのですか? そんなことをしたら将来の記者が結果的に育たず、相手の落ち度を巧みに利用する人間にしかならないことを理解していますか?

体罰は問題だとしても、こうした背景であれば昔ならば明らかに生徒が悪いで終わっている話です。教諭や学校が謝罪する話ではありません。今回の件にしても、学校側が“前々から度重なる伏線があった。言葉で注意しても止めず、仕方なく殴った。生徒が理解しない、ここ最近の体罰による教諭側への偏ったバッシングを考慮すれば謝罪には該当しない。生徒は数日間の停学にする”と発言しても良いくらいでしょう。

学校は勉強をする為に行く場所であり、教諭を挑発する為に行く場所ではありません。如何なる背景があれ、先生から学ぶ立場であれば、それ相当な態度が必要なのは当然のことです。

勿論、本当に体調を悪くして授業が受けられなければ保健室に行くべきですし、きちんと了解も得られます。サボりの理由としての保健室が利用されてしまっては本当に利用したい生徒に迷惑がかかる訳ですし、それを守らず、さらに行ったら殴っていいと自負したのであれば、生徒も社会的制裁を受けるべきでしょう。

絶対に御咎めなしで終わらせてはならない問題です。ここで許せば、彼の前途はロクなことになりません😠