どうして日本人が政治に無関心になってしまったのか。①では大宅壮一氏の、テレビの登場による【一億総白痴化】が根底にあると書きましたが、テレビの登場によって生活の基本が“メディアが作り出すこと”で動く様になってしまった訳です。
そもそも生活の中で話されることの基本は『身近の起きた出来事』だと思うのです。子供なら学校で起きたこと、奥さんなら隣近所で起きたこと、旦那さんなら会社や通勤の途中で起きたことを話し合うことが基本だと思うのです。
それぞれが肌身で感じたことを話し合うことで社会で起きている様々な問題が判ってきます。そして其れが政治へと繋がっていく訳です。人々が生きていく中で起きる諸問題の延長線上にあるのが政治なんですから。
そこから考えれば、テレビという箱物の中で語られている話だけで全てを判断することが如何に危険だということが判ります。どれだけテレビの中で華々しさを語っても誰もが同じ共感を得る訳ではないですし、そうでなければならないんです。
例えば未だに起こり続ける苛め問題にしても、その手法の中にはテレビから真似たことも多々ありました。例えば実社会で生きる中で個々の価値観や容姿の基準がテレビを通じたものになり、それが相手を卑下する態度や風潮になってしまった訳です。
そもそもテレビに出ていただけで全てが判るなんて有り得ません。カメラが回っていない時に何をしているのか判らない人間に全幅の信頼なんて端から置ける訳がないんです。それなのに立候補すればホイホイと当選している訳です。
日本は政治と芸能界と一般社会の距離が短すぎます。本来、それぞれには相当な距離があるべきで、それから捉えれば自分が住む地域の政治家の行動をチェックするのが精一杯な筈で、とても芸能人の活動なんて追い切れない筈なんです。
きちんと地元の政治家の活動をチェックしていれば簡単には辞めさせることなんてできません。勿論、大きな事件を起こしてしまったら話は別ですが、地元の有権者との強い信頼(何らかの利権を得ることではなく正しい政治をするという意味です)が背景にあれば迂闊なことはできません。
私は数年テレビを真艫に見ていません。3つほどある好きな番組は全て録画して後日ダビングしているのでオンタイムで見ることなんて殆どありません。まぁ、総理大臣と平然と飯を食う暴挙をしているメディアに辟易していることもありますし、そんなものから得る知識なんて何もないとも思っています😤 。