私の両親は介護保険に加入していたので、いざ高齢になり身体の自由が難しくなってきた際に様々なサービスを入れて劇的に楽になりました。然し乍ら、まだ当時は父親が気難しく酒癖も悪い儘でしたのでどうしてもマイナスになってしまう現実がありました。受け入れる側の苦労が増してしまうのは大変申し訳ないけれど、いくら親といっても自身だけで介護するのは無理。況してや介護保険に加入していたら躊躇せずに使い倒した方が賢明。
— ふくまめ67 (@fukumame67) January 12, 2022
特に認知症になったら外見は同じでも中身は別人だからそれ以上を付き添う必要はない。 https://t.co/JL2eOi01FL #介護
一昨年に母が亡くなり、残された父も数ヶ月は相変わらずの生活でしたが、母が亡くなってからの月日が経つにつれて認知症の症状も進行し、まだ辛うじて私が息子であることを理解できるものの、そこまでに至る数々の粗相の記憶はなくなり、それまで滅多なことでは口にしなかった“ありがとう”の言葉が普通に出る様になりました。或る意味では母が遺してくれた私に対する手助けだと思っています。
然し乍ら、そこに至るまでの現実的な支えとなったのは介護保険なんです。父は要介護1ですが、その制度の枠をフルに活用したサービスをケアマネージャーに組んでもらい、とにかく父を一人にしない&飲酒させない環境下にするを実施した結果でもあるんです。
認知症になると本当に厄介で、それによって家族及び個人の生活や人生までもが大きく狂ってしまいます。この事件の場合は娘が65歳になっていますから実質的には老老介護よりも厳しい老老老介護になります。あくまで想像の域ですが、おそらく娘との関係は以前から悪かったと思います。殆ど互いが毛嫌いする様な関係性だったと想像します。
とはいえ、やはり老老介護となれば軈て何方かが音を上げて介護しきれなくなります。そこで親側が渋々娘を呼び寄せたのでしょうが、やはり和解できる程のものがない中での介護の要請となれば呼ばれた側だって面白くありませんし、自身の老いによる身体の自由がままならないことによるストレスも手伝って殺害に至ったと思えます。
画像の建物は自宅の様ですが、これだけのものを構えているとなれば今日明日の生活費に困る様な立場ではないでしょう。然し乍ら、やはり其の様な立場にあると行政サービスを利用することに抵抗がありがちで、親の面倒は最期まで子供が看るべきだという考え方で凝り固まっていたと思います。
然し乍ら、時代は変化し親の面倒を最期まで看ることができる人たちが減ってきました。況してや少子化もありますし晩婚化もあります。そして何よりも介護に関する施設やシステムが充実してきました。抱え込まなくても済む様になってきているんです。その中で介護保険に加入しているのであれば使わない手はないでしょう。
勿論、今の現役世代が将来に於いて介護サービスを利用できるか判りません。もしかしたら相当削られる可能性を否定できません。
そうだとしたら、可能な限り健康体で過ごすしか術はなく、親の面倒という部分が現行の介護サービスで賄えるならば利用するべきだと思うんです。どんどん利用して使い倒すくらいの意気込みでいいと思います。
自身の身体と人生を第一にしましょう。どれだけ気難しい親であっても認知症になれば別人になります。そうなったら親を絶対視する必要はありません。その時から自分が主役になります😊 。