人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい
あなたが善を行うと、利己的な思いでそれをしたと思われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい
気にすることなく、善を行いなさい
目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい
気にすることなく、やり遂げなさい
善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく、正直であり誠実であり続けなさい
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい
助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい
あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい
たとえそれが充分でなくても、気にすることなく、最良のものをこの世界に与え続けなさい
たとえそれが充分でなくても、気にすることなく、最良のものをこの世界に与え続けなさい
最後に振り返ると、あなたにもわかるはずです
結局は、すべてあなたと内なる神との間のことで、あなたと他の人との間であったことは一度もなかったのです
これはマザー・テレサ(本名;アグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジ=アルーマニア語)さんの「あなたの中の最良のものを」とい言葉の最初の箇所です(くわしくもありませんが、マザー・テレサさんにつきましてはここに記載してありますので、参考にしてみてください「どうぞ、そのお金を貧しい人々のためにお使いください / マザー・テレサ - 野球小僧 (goo.ne.jp) 」)。
その人のためだと思っていることが、必ずしも、いま、その人が望んでいることとは限りませんし、その気持ち自体が届かないことだってあり得ますよね。
そもそも、人間は十人十色、百人百様ですから。
共感できることがあったとしても、それがまったく同じ価値観を持っているということでもないはずです。
共感できることがあったとしても、それがまったく同じ価値観を持っているということでもないはずです。
人間社会では「気持ちが届かない」って思うこと。ある意味、あたりまえのようなことなのかも知れません。
人間とはそもそもそういう存在なのかも知れません。
他人から優しさを期待するのではなく、自分が作り続けて、それを届けていくことが大切なのでしょうね。
たとえ、それが届かなくても、批判されたとしても、それは自分を高めていくためのことであるということを言いたいのだと思います。
私はここまでできた人間ではありませんが、こんな私でも世の中には必要としてくれている誰かがいるとは思っています(そもそも、損得勘定で計算すべきことでもありませんしね)。
この言葉は人から人へ口頭、手紙や現代ではインターネットなどによって伝わったものだそうで、何かの文献や書籍には掲載されたものではないそうです。
ただ、マザー・テレサさんの完全オリジナルではなく、米国の行政官僚・講演家のケント・M・キースさんの著書「それでもなお、人を愛しなさい・逆説の10カ条」を読んだマザー・テレサさんが広めたものだそうです。
そんな感じで人間の真の優しさというものも、世界中にゆっくりとじんわりと広まっていくようになればいいかなと考えます。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。