英国出身の俳優、映画監督、コメディアン、脚本家。愛称はチャーリー。世界の三大喜劇王と呼ばれるチャールズ・チャップリンさん。
1889年4月16日に英国ロンドンに生まれますが、チャップリンさんがまだ1歳のときに両親は離婚。お母さんの元で育てられます。しかし、生活は厳しく、また、お母さんの病気入院により、チャップリンさんは7歳の時に救貧院に収容されます。その後、4歳違いの異父兄と貧民院や孤児学校を渡り歩き、生活のために床屋、印刷工、ガラス職人、新聞の売り子など、様々な仕事に就き、その傍ら俳優斡旋所にかよい、1木靴ダンスの一座に加わります。
19歳のときに一座の若手看板俳優となり、24歳のときの米国巡業の際に、映画プロデューサーの目にとまり、翌年映画デビュー。映画2作目で山高帽に窮屈な上着、だぶだぶのズボンにドタ靴、ちょび髭にステッキという姿をし、それ以降、この姿がチャップリンさんのトレードマークとなりました。
チャップリンさんが出演・監督した公式映画は82本ありますが、実際にはそれ以外に未完成・未公開作品、再編集して公開された作品、カメオ出演したほかの監督の作品も多数あります。
特に1923年~1952年に監督した長編映画で、黄金を求めて狂奔する人々を描いた「黄金狂時代(1925年)」、機械文明と資本主義を批判した「モダン・タイムス(1936年)」、ドイツのナチス党を批判した「独裁者(1940年)」、お金の為に殺人を続ける男の顛末を描く「殺人狂時代(1947年)」、そしてチャップリンさんが長編映画で初めて素顔を出した作品で、同時に米国での最後の作品となった「ライムライト(1952年)」などは有名です。
しかし、これらは政治的メッセージが強い作風もあったため、欧米や日本などの一部から突き上げが激しくなり、1945年に第二次世界大戦が終わったあとには、米国でチャップリンさんの作風が共産主義に理解を示していると非難されます。そして、1952年に英国に向かう船の途中、米国から国外追放命令を受けます。
そのあとは、英国で2本の映画を製作したのみで、映画への出演も少なくなり、スイスに移り住み、奥さんや8人の子どもたちと晩年を送ります。
「下を向いていたら、虹を見つけることは出来ないよ」
苦労を重ねたあとに世界の喜劇王といわれるようになったチャップリンさんの言葉。前向きになれる言葉です。ついつい下を向きたくなることもありますが、下ばかり向いていたら、見えているものも、見えなくなってしまいます。
何か辛いことがあったり、悩んでいることがあっやり、行き詰まっていたら、ちょっとでいいから上を向いてみませんか。自分の「虹」が空に見つけられることができると思います。
本日も私のブログを読んでいただき、ありがとうございます。
今日はどのような一日になるのでしょうか。または、どのような一日を過ごされたのでしょうか。
その一日でほんの少しでも楽しいことがあれば、それを記憶にとどめるように努力しませんか。そして、それをあとで想いだすと、その日が明るくなる、それが元気の源になってくれるでしょう。
それを見つけるために、楽しいこと探しをしてみてください。昨日よりも、ほんの少しでも、いい一日でありますようにと、お祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。