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■「これは例えば最悪の事態になった場合、私が責任を取ればいいというものではありません」 / 日本国 安倍晋三首相
■「私が全責任を取る。不満や他人を非難したい気持ち、苦情があれば、私を非難してほしい。私以外にこの決定に責任がある人物はいない」 / 米国ニューヨーク州 アンドリュー・マーク・クオモ知事
最初の発言は安倍首相の発言は新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、7都府県を対象に法律に基づく「緊急事態宣言」を2020年4月7日に発令し、同日夜に開いた記者会見におて、イタリア人記者からの質問に答えたものです。
その下の発言は2020年3月20日、ニューヨーク州内の感染拡大が続き、感染者数が7000人を超える規模となったことから、知事の権限で生活に不可欠な業種以外の州内の全労働者に自宅待機を義務づけたときの発言です。
イタリア人記者の質問は、「今まで世界はほとんどロックダウンしており、日本だけ天国に見えると思います。成功だったら、もちろん国民だけではなくて世界から絶賛だと思いますけれども、これまで対策を講じた中で、一か八かの賭けが見られます。失敗だったらどういうふうに責任をとりますか?」というものです。
これに対して安倍首相は、「これは例えば最悪の事態になった時、私が責任を取ればいいというものではありません」「日本はヨーロッパ各国と比べて感染者数が少なく、クラスター(集団感染)対策が一定の効果を挙げている」と、自画自賛しています。
冒頭の2つの発言。少なくても、前者の方は・・・私は、そもそも期待感を持ってはいませんでしたが、さらなる残念感しか残りませんでした。
せめて、「(初動を含めて)感染拡大が防止できなかったことについて責任を痛感している。今回の国難(というよりも、世界的危機)を収束させた後、自分の対応が適切であったかどうかの信を取りたい」くらいのことを言えなかったのでしょうか・・・。
この危機の状態に際しても安倍首相の言葉は私たちに伝わってきていないと思えます。それは、私たちが拒絶しているのではなく、言葉が伝わってこないのです。それは、自分の言葉ではないからだと思われるからです。
一連の記者会見スタイルはプロンプター(原稿が映し出される透明のボード)を見ながら、用意された原稿を一字一句漏らさず、読み上げています。緊急事態宣言を国民に向けて説明した時も同じく、安倍首相は両側に設置されたプロンプターを交互に見るため規則的に左右に目をやっています。その姿は無機質であり、誰に向いて話しているのかわからない気持の悪さがあるのです。国会答弁では、プロンプターではなく、下を向いて紙の原稿を読んでいるのがスタイルなのです。
よって、安倍首相の言葉という感じがしないのです。
「ご協力を」「徹底的に下支え」「きめ細かな支援」「笑顔を取り戻す」といった抽象的な言葉を並べながら、行間に無言のメッセージを入れ、相手にお得意の「忖度」させているような思います。また、「~します」ではなく、「~してまいります」という語尾が心配を増幅させてくれています。
もちろん、この状況で過去に例を見ない難しい事態に直面しているのですから、あいまいな物言いをしなくてはならないのでしょうけど、歯切れの悪さ、中途半端さ、そして一貫性のなさ。
数字上ではニューヨーク州は米国というよりも、現時点では世界中で最も事態が深刻で非難の声もあります。
ですが、クオモ知事の冷静で、克明な情報、奮起を促すこともあれば、意外な弱さも見せながらの人間味あふれる言動と存在感毎日の状況報告によって、全米の人々が励まされ、支持されています。
特に重要なことを伝えるには、本人の思いのこもった切実なメッセージであるべきで、国民一人ひとりの心にしっかりと届くような情報であるべきでしょう。
二度と来ない今日のために、大切に過ごしましょう。そして、また、明日、ここで、お会いしましょう。