「マーシャル諸島共和国(Republic of the Marshall Islands、通称:マーシャル諸島)」とは、太平洋上に浮かぶ島国で、いわゆるミニ国家の一つ。島々を構成する多くが環礁(さんご)で「真珠の首飾り」とも呼ばれるマーシャル諸島全域の29のサンゴ礁と5つの島で構成しており、首都はマジュロ。ミクロネシア連邦の東、キリバスの北に位置(と言っても地理にくわしくなければわからない)。
面積:約180平方km(茨城県の霞ケ浦とほぼ同じ。よって、あの鳥取県の約5.1%)
人口(2022年):41,570人(あの鳥取県の約7.8%)
名目GDP(2022年):2.58億米ドル(あの鳥取県の約1.8%)
言語:マーシャル語、英語(あの鳥取県は鳥取弁)
国歌:マーシャル諸島よ永久に / Forever Marshall Islands(あの鳥取県は「わきあがる力」)
あの鳥取県よりも小さいものの、サンマリノよりも大きい・・・。
鳥取県の詳細をご存じない方に、もっとわかりやすく説明しますと、
面積:塩尻市の約62.1%
人口:塩尻市の約63.1%
名目GDP:塩尻市の約7.2%
という感じ。
1528年にスペインのアルバロ・デ・サーベドラさんにより発見され、スペインが領土権を宣言するも実質的統治はしませんでした。1885年にドイツの保護領となり、1914年の第一次大戦により、日本がドイツからマーシャルを含むミクロネシア(南洋群島)の島々を占領し、1920年に国際連盟から日本のミクロネシア(南洋群島)委任統治が認められる。
1945年の第二次世界大戦終結によって、米軍によって占領が始まり、1947年に国際連合(国連)の太平洋信託統治領としての米国統治が始まり、以降は長らく核実験の場として利用されてきましたが、1978年の住民投票でマーシャル諸島はミクロネシア連邦より脱退、1979年の憲法制定。自治政府発足を経て、1986年10月21日に米国から独立。国連加盟は1991年9月。
マーシャル諸島ではサッカーが人気のスポーツ。マーシャル諸島サッカー連盟によってマーシャル諸島代表チームが組織されているものの、国際サッカー連盟(FIFA)には未加盟であるため、現在は明確な代表チームを持っておらず、もちろんFIFAワールドカップに参加することはできません。
そんな国連加盟国のなかで(たぶん)唯一サッカー代表チームを持たない国ですが、FIFAとオセアニアサッカー連盟(OFC)への加入と共に国際大会への出場に向けたプロジェクトが進行中(国際オリンピック委員会(IOC)には2008年に加盟。北京オリンピックからオリンピックに出場)。
まずはOFCに加盟し、OFCチャンピオンシップにも参加。その先にFIFAに加盟し、ワールドカップ予選へ参加することが目標。
マーシャル諸島サッカー連盟は最初の代表ユニフォームを発表し、2024年夏の初試合でそれを着用することを期待していたものの、7月に開催されたキリバスとミクロネシア連邦との試合は11人制サッカーではなく、フットサル・トーナメントの開催でした。それでも初の対外試合はマーシャル諸島にとっては大きな一歩。
まだまだ、先の長そうは話ではあるものの、今回のプロジェクトの背景には純粋なスポーツ的観点だけではなく、国として地球温暖化による海面上昇などの気候変動の危険性によりスポットライトをあてたいとの切実な思惑もあるという。
まさにマーシャル諸島にとっては国の運命を左右する壮大なプロジェクト。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
今日という日がみなさまにとって、よい一日になりますように。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。
面積:約180平方km(茨城県の霞ケ浦とほぼ同じ。よって、あの鳥取県の約5.1%)
人口(2022年):41,570人(あの鳥取県の約7.8%)
名目GDP(2022年):2.58億米ドル(あの鳥取県の約1.8%)
言語:マーシャル語、英語(あの鳥取県は鳥取弁)
国歌:マーシャル諸島よ永久に / Forever Marshall Islands(あの鳥取県は「わきあがる力」)
あの鳥取県よりも小さいものの、サンマリノよりも大きい・・・。
鳥取県の詳細をご存じない方に、もっとわかりやすく説明しますと、
面積:塩尻市の約62.1%
人口:塩尻市の約63.1%
名目GDP:塩尻市の約7.2%
という感じ。
1528年にスペインのアルバロ・デ・サーベドラさんにより発見され、スペインが領土権を宣言するも実質的統治はしませんでした。1885年にドイツの保護領となり、1914年の第一次大戦により、日本がドイツからマーシャルを含むミクロネシア(南洋群島)の島々を占領し、1920年に国際連盟から日本のミクロネシア(南洋群島)委任統治が認められる。
1945年の第二次世界大戦終結によって、米軍によって占領が始まり、1947年に国際連合(国連)の太平洋信託統治領としての米国統治が始まり、以降は長らく核実験の場として利用されてきましたが、1978年の住民投票でマーシャル諸島はミクロネシア連邦より脱退、1979年の憲法制定。自治政府発足を経て、1986年10月21日に米国から独立。国連加盟は1991年9月。
マーシャル諸島ではサッカーが人気のスポーツ。マーシャル諸島サッカー連盟によってマーシャル諸島代表チームが組織されているものの、国際サッカー連盟(FIFA)には未加盟であるため、現在は明確な代表チームを持っておらず、もちろんFIFAワールドカップに参加することはできません。
そんな国連加盟国のなかで(たぶん)唯一サッカー代表チームを持たない国ですが、FIFAとオセアニアサッカー連盟(OFC)への加入と共に国際大会への出場に向けたプロジェクトが進行中(国際オリンピック委員会(IOC)には2008年に加盟。北京オリンピックからオリンピックに出場)。
まずはOFCに加盟し、OFCチャンピオンシップにも参加。その先にFIFAに加盟し、ワールドカップ予選へ参加することが目標。
マーシャル諸島サッカー連盟は最初の代表ユニフォームを発表し、2024年夏の初試合でそれを着用することを期待していたものの、7月に開催されたキリバスとミクロネシア連邦との試合は11人制サッカーではなく、フットサル・トーナメントの開催でした。それでも初の対外試合はマーシャル諸島にとっては大きな一歩。
まだまだ、先の長そうは話ではあるものの、今回のプロジェクトの背景には純粋なスポーツ的観点だけではなく、国として地球温暖化による海面上昇などの気候変動の危険性によりスポットライトをあてたいとの切実な思惑もあるという。
まさにマーシャル諸島にとっては国の運命を左右する壮大なプロジェクト。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
今日という日がみなさまにとって、よい一日になりますように。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。