全盛期には”氷の拳”と称された圧倒的な破壊力の打撃とグラウンド技術を持ち合わせた、元PRIDEヘビー級チャンピオン・人類最強・60億分の1の男と呼ばれたエメリヤーエンコ・ヒョードル選手。
K-1から総合格闘技へ転身し、左ハイキックを武器に数々のKO勝ち。数々のライバル選手との名試合を行い、総合格闘技の技術体系を打撃偏重へとシフトチェンジしたとまで言われた、ミルコ・クロコップ選手。
ここ数年、総合格闘技を観ていませんが、全盛期の総合格闘技の打撃は一発・一瞬で決まる緊張感もあり、手に汗を握る面白さがありました。
打撃の神様。
故川上哲治さん。プロ野球界における読売ジャイアンツV9達成に代表される監督としての実績はもちろん、選手としても素晴らしい実績を残されました。
現役時代の川上さんのプレー姿は知りませんが、「打撃の神様」という言葉がふさわしいバッターです。
ここ数年、多くの選手が2000本安打を達成していますが、日本のプロ野球界で最初に2000本安打を達成したのが川上さんだったのです。
2000本安打を達成したのが1956年のことでした(対中日ドラゴンズ)。
その後の2000本安打を達成したのが故山内一弘さん。それは1967年のことですので、約10年かかって続く選手がようやく出てきたことになります。それを考えますと、この2000本安打と言うのは、偉大な数字であったと考えられます。
ちなみに、川上さんは名球会には入っていません。それは名球会の規定に「昭和以降の生まれ」とあるからで、大正生まれの川上さんは入会出来ていなかったのは残念です。
1951年には打率.377を記録しており、これは1986年にランディ・バースさん(元阪神タイガース)が.3885を記録するまでセ・リーグ記録でした。
また、同時期に活躍していた他の選手と成績を比べても神様ぶりは抜きん出ています。
川上哲治さん(読売ジャイアンツ) 2351安打 1938-1958
青田昇さん(読売ジャイアンツ) 1827安打 1942-1959
西沢道夫さん(中日ドラゴンズ) 1717安打 1937-1958
小鶴誠さん(松竹ロビンズ) 1717安打 1942-1958
藤村冨美男(阪神タイガース) 1694安打 1936-1958
なお、川上さんは「打撃の神様」という称号について、「“打撃の神様”の称号は自分ではなく、榎本喜八が最も相応しい」と語ってたそうです(1968年7月に榎本さんが通算2000本安打を達成し、控え室でインタビューを受けた時に祝電が届いたそうです。差出人は川上さんだったそうです)。
京都市東山区元吉町にある辰巳神社(辰巳大明神・辰巳稲荷)。
本来は神社や寺院、それに御屋敷の辰巳の方角(南東)を守るというのが主願で建てられたのが本来の姿で、ここでも元々はそうであったようです。
辰己稲荷と紹介されることもありますので、お稲荷さんだと思われますが、実は狸を祭神として祀られています。
昔、近くの巽橋にいたずらな狸が棲んでおり、橋を渡る人を化かしては川の中を歩かせていたそうです。困った人々はこの狸の為に祠を建て神様として祀ったところ、いたずらが止んだそうです。
やがて芸子さんや舞妓さんたちを中心にした祇園芸能に関連する人たちから親しまれ、芸上達の御利益神社になったようです。
タヌキの神様です。