1960年代後半から活躍しているフォークシンガー岡林信康さん。フォークの神様と呼ばれています。
実はよく知らないのです。
ただ、「友よ」は、サッカーJ1リーグ後半戦に降格圏にあるクラブ、低迷しているクラブのサポーターが脱出を願って歌っていることがあり、聴いたことがあります。
初期(といっても、私はリアルタイムでは知りませんが)のころには、反社会的なメッセージソングもあったりして発売禁止、自主規制などがあったそうです。
1967年 「帰って来たヨッパライ」フォーク・クルセダーズ / 「この広い野原いっぱい」森山良子
1969年 「風」 はしだのりひことシューベルツ / 「白いブランコ」ビリー・バンバン
1971年 「花嫁」 はしだのりひことクライマックス / 「出発の歌」上条恒彦 / 「あの素晴しい愛をもう一度」北山修・加藤和彦 /「竹田の子守唄」「翼をください」赤い鳥
1972年 「学生街の喫茶店」ガロ / 「結婚しようよ」吉田拓郎
1973年 「神田川」かぐや姫 / 「精霊流し」グレープ / 「母に捧げるバラード」海援隊
1974年 「岬めぐり」山本コウタローとウィークエンド
1975年 「22才の別れ」風
なお、文化庁と日本PTA全国協議会による日本の歌100選に「翼をください」が選ばれています。
さて、「フォークの神様」と言えば、何と言っても杉下茂さん(元;中日ドラゴンズ)です。
1925年生まれですから、今年で90歳になるのですが、先日、ドラゴンズキャンプのブルペンでその姿がありました。まだまだ元気です。
驚異的な切れ味と落差を誇るフォークボールを自在に操り一世を風靡した、日本初の本格的フォークボーラーであり、「フォークボールの神様」と呼ばれています。
高校(旧制帝京商業校)時代はファーストでした。終戦後、社会人野球へと進み、ピッチャーに転向します。その後、明治大学専門部を経て、1949年に中日に入団します。
現役時代は2年目の1950年から1955年までの6年連続20勝を含めて9年連続2ケタ勝利を記録し、ドラゴンズ時代に挙げた通算211勝は、2012年に山本昌選手に抜かれるまでは球団記録でした。
初登板(1949年)の東急戦で大下弘さんからフォークボールで3打席連続三振を奪いますが、実はフォークボールには固執していなくて、ストレートとカーブ中心のピッチングスタイルだったそうです。
それはフォークボールは最後の切り札とする信念であり、勝負所でのみフォークを投じていて、一試合では5~6球しか投げていなかったそうです。杉下さんは「フォークは神様(故川上哲治さん)用のボール」と言っています。
でも、杉下さん自身はストレートがピッチャーの価値であると今でも教えています。先日、ドラゴンズキャンプでドラフト1位の野村亮介選手を指導した時も「まずはストレート」と言って、決め球のフォークボールは投げさせませんでした。
ちなみに、東京の江戸川区西葛西の駅の近くに「東京ポーク神社」というお店があります。
安心安全の朝霧ヨーグル豚を使用していて、お子様連れにも嬉しい居酒屋だそうです。
ここは「ポークの神様」です。