【一車線の人生、禍福は糾える縄の如し ~ そしていま、上を向いて歩こう の巻】
■一人娘(27)を授かったのは、
妻が35歳、わたしが36歳の時。
結婚9年となる記念月「1992年11月」でした。
穏やかでマイペースな妻にあっては乾坤一擲、
瞠目の執念を実らせたのです。
この時から、
わたしたちの人生は一変しました。
わが身より大切な存在ができた望外の喜び。
しかし「守りたい」との強い思いとは裏腹に
険しくなっていく仕事の時間と、すれ違いの日々。
他社や同僚との競争激化、長時間勤務・連続出勤の増加で、
3カ月間ただの1日も休まず、ということもありました。
1年で計4カ月近くも複数の出張先で過ごした際には、
Xマスプレゼントなどを宅配便で送っていました。
頻繁な持ち場替え、転勤、昇進昇給、プレッシャーとストレス。
自宅で過ごす時間はますます減っていきます。
「家族で転勤」の習慣は途絶え、東京は単身赴任でした。
ようやく少し落ち着いたのは、
娘が大学に入った2011年ごろでした。
翌年から毎年一週間ずつ、
わたしの旅行に付き合ってくれました。
東北に2回、北陸に1回。
同じ物を食べ、同じ風景を見たのは、
宝物の時空となったのです。
生まれ変わったら何になりたい、
と訊かれたら、
わたしは「お母さん」と答えましょう。
相変わらず社会的理解と制度に不備が多く
生きずらい世の中であったとしても。
▲昨夜の晩御飯は“予告登板”のスキヤキに致しました