囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

江戸の実験碁①

2019年10月02日 | 【カベ突破道場】

本因坊秀和の技芸の巻】

 

■棋道一筋で真摯に向き合う姿勢から「囲碁の神様」と敬愛された杉内雅男九段(1920~2017年)は、幕末最強の本因坊秀和について、こんなコメントを残しています。(強調したい部分をゴシック体にしました)

 

 算砂を近世日本囲碁史の開祖とするならば、14世本因坊秀和はその完成者であり、近代碁の鼻祖であると言えます。二百数十年にわたる江戸時代の碁は算砂に始まり、秀和によって幕を閉じたわけで、この二人の棋士は囲碁史の結節点をかたちづくっているのです。

 秀和の碁は一口に、しのぎを基調とするあましの碁と言われています。秀和といえば、すぐしぶいという形容が浮かぶほど、その棋風は特徴的です。これは主に白番の特色であり、秀策にも継承される黒番の堅実さをこれに付け加える人もいます。しかし、しのぎ、あまし、堅実さ、これらの奥には天性の聡明があります。秀和の碁は明るく、読みの上でも、形勢判断の上でも夾雑物がありません

 この様な基本的な特性に加えて、秀和の碁はさらに多彩です。あらゆる局面に応じて自在に変化する柔らかさは、秀和の碁を魅力的なものにしています。丈和、秀策等と並んで後世高く評価され、愛好されるゆえんもそこにあります。秀和こそはまさに巨匠の名にふさわしい豊饒の棋士であったといえましょう。


 

■今回、百花繚乱の幕末碁界にあって、最先端の求道者・秀和の碁を取り上げます。

わざとまずそうな手」を打って、いろいろ試しています。

勝てばいいという凡百の碁ではありません。

御城碁はともかく、それ以外は研究碁、実験碁です。

 

■この時代はコミがありませんでした。

それでも「黒番が有利」ということは分かっていました。

白番は1目、2目負けても、黒をよく追い詰めた感がありました。

従って黒番は3目以上勝ってようやく胸を張れたようです。

早見え早打ちで、さまざまな工夫を凝らし碁の可能性を追求した秀和。

多くの棋譜を残し、古碁の価値を不滅のものとしました。

悲劇の巨匠の「名人芸」の一端を味わってみましょう。

 

 

1842(天保13)年8月19日

黒 安井 算知 七段

白 本因坊秀和 七段 

黒3の高いシマリは、後年の本因坊秀甫も愛用しました

中央志向の攻撃的な手

白4の目外し、白8の大ゲイマのカケは、江戸の華「大斜ガケ定石」の誘いです

黒はワリコミではなく、外をハネました

これも定石ですが、複雑な変化を避けたかったようです

 

 

 

本因坊秀和(しゅうわ)  文政3(1820)~明治6(1873)年。筆頭家元の本因坊家14世。伊豆国出身。八段準名人。当代一の力量がありながら、幕末の混乱のために名人就位はならなかった。「囲碁四哲」の一人。長男は15世秀悦、次男は明治期に「名人中の名人」といわれた17・19世秀栄、三男は16・20世秀元。局面に応じて自在に変化する柔らかさ、正確無比の形勢判断が持ち味。「創意の人」といわれ、序盤の星打ち、白の両ジマリ、大斜定石などの工夫が、現代碁に受け継がれている。

安井算知(さんち) 文化7(1810)~安政5(1858)年 家元安井家の九世。七段上手。八世安井知得仙知の長男で、二世安井算知の名を継ぐ。無双の力碁で人気を博し、「天保四傑」の一角を占めた。

 

 

取り扱い注意!

この棋譜、危険

並べて勉強する碁ではありません

上手く打って勝とうとするのは凡人の常道

わざと拙そうに打って見せるのも“名人”余裕の技芸

 



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