【常識の仮面はがします ~ シュウコウ先生は、かく語りき 「置かせて楽しもう」 の巻】
藤沢秀行の言葉ーー
囲碁の手合割り(ハンディキャップ)は実によく出来ている
実力差のある者同士でも
ゲームの質を損なうことなく同等に楽しむことが出来るからだ
これまでは
置き碁(置碁)というものは「互先への踏み台」としてとらえられ
いかに早くに「置き碁から脱却するか」が焦点だった
しかし、これでは上手は「下手の犠牲になるだけ」で
自分自身に「少しもプラスにならない」ことになる
見方を変えると、
置き碁ほど楽しいものはなく、それは上手自身にとっても勉強になる
「置かせた碁」を序盤で大失敗して形勢不利になった互先の碁
と考えたらどうか?
その場合
勝負手を連発して大逆転を狙うか
じりじりと差を詰めて微差の逆転を狙うか
いずれにしても緩んだ手は打てないし
小利にこだわって局面を狭くすることも禁物
こうして「緩みなく手広く」という姿勢は
上手の碁の質をも向上させるに違いない
置き碁の上手に
盤上では「追う者の楽しさ」がある
逆転できなくても「もともと」と思えば、
こんなに気楽で楽しい碁はないのである
藤沢秀行(ふじさわ・ひでゆき、通称・しゅうこう、本名・保<たもつ>) 1925~2009年。棋聖戦6連覇や史上最年長タイトル保持者などに輝いた昭和を代表する棋士の一人。“来るものは誰でも拒まず”の私的研究会「秀行塾」を晩年まで主宰した。破天荒な私生活で無頼派ぶりを発揮する一方、日中韓の後進育成に惜しみなく尽力。藤沢を師と仰ぐ者多数。甥に藤沢朋斎九段、五男に藤沢一就八段、孫に藤沢里菜・女流最強。
▲昭和7年、藤沢が6歳の頃、瀬越名誉九段による指導碁の序盤である。
瀬越七段(当時)の感想
「知合の藤沢重五郎氏が6歳の令息を連れて見えたので、
手合の合間に試しに一局を対したのが本局である。
時間の都合で終りまで打たなかったが、
三十分程の間にとにかくこれだけ打てるのは珍しい」
▲下手は9子置いている
上手は「ひととおりカカる」
そして開戦の場所を見定め、上手はウチコミ!
下手の技量を探っていくーー
◇
シュウコウ先生の言葉によって
わたしは「置かせ碁」も好きになった。
特に、天元に黒石があり、
白の打ち方が難しい5子局、7子局、9子局が楽しい。
相手には気の毒だが、勝率は7割を超えている。
より慎重にヨミを入れ、真剣に打つからだろう。
むろん、わたしは間違うが、相手はもっと間違う。
わたしが負ける時は相手が上手く打てた碁である。
「いやあ、上手く打たれましたね」といえば相手は楽しそうだ。
だから置碁は、下手も上手も、ともによろしい のである。