【80年前の早朝にーー改憲論と護憲論を考えるの巻】
内省と鎮魂の8月が終わった
どうしたって「重し」は軽くなる
「待ってました」とばかりに改憲勢力
数の力を頼りに押し切ろうとするに違いない
永遠平和の非戦主義に出来ることはあるのだろうか――
■この世には、どうしても折り合うことのない「論争」がある。
■論点を絞ったつもりでも、「からめ手」から筋を崩そうとやってくるから、いつまで経ってもかみ合わない。経済論議しかり、原発問題しかり。憲法もそうした分野であろう。
■そもそも雄弁論なる「議論に勝つ方法」とは「相手の話を聞かない」「自分の有利な土俵のみで戦う」といった戦術が必勝法である。囲碁も同様で、文壇名人・坂口安吾の指摘通り「悪人が強く」「善人は弱い」としたものだ。
■ここで、待てよ、と思う。盤上シミュレーションゲームの類なら、負けても命を取られることはない。取らぬタヌキの何とかで、ちょっとした賞金や面目が、指の間からこぼれ落ちるだけのことである。
■だが、戦争は、それでは済まぬ。
◇
■屁理屈をつけても、人類最高級の発明「平和憲法」の根本は揺ぎない。だが、そう思わない御仁もおられる。巷で大流行のオレオレ詐欺の如く、改憲論者の手口が巧みになっていくので殲滅は難しい。だまされる方も学習が追いつかないのが現実で、イタチごっこが続く。
■詐欺(トリック犯罪)が後を絶たないように、理想を引きずり降ろすための詭弁を弄する賢い人間は、よくもまあ「あの手この手」を思い付くものだ。最近のNTTドコモなど大手業者を語るネット詐欺も巧妙。「かんぽ問題」に至っては何をかいわんや。「もはや何も信用できない」と不安に駆られる時代である。
■では好戦勢力の真意は何か。わたしは明治維新後の「富国強兵」史観を下敷きにしている、と思う。有史以来、強国の指導者は、とかく国家的強盗行為(戦争)の誘惑にかられてきたものだ。斜陽の強国も同じで、経済の行き詰まりをガラガラボンで打開できるとの幻想を持つのが常である。ナチスドイツしかり。かの帝国しかり。そして現代の憂鬱なる先進各国しかり。
■何かの引き換えに人殺しの道具を大量に買ったり、お友達の戦争に付き合ったり。こんなことが果たして正道か。
■雲行きを怪しくさせる好戦勢力に、軽くジャブを打っておく。
▼非戦を誓ったばかりーー改憲論と護憲論を巡って
▼あいまいな2色の対比
2日後、英仏が独に宣戦布告する――
自分は戦争をしないと宣言しても、相手はそれをほっておきません。
大東亜戦争へと続いた日本の戦争も、当初はロシアの南下政策により、満州を手に入れたロシアが、朝鮮半島にも進出を開始し、支配下に置こうとしたことが原因です。ロシアの勢力拡大に危機を感じた日本は、伊藤博文をはじめ多くの為政者が朝鮮半島を支配化に置くことを嫌っていましたが、ことここにいたっては朝鮮を保護国化せざるを得ず、日露戦争も戦わざるを得なくなったのです。また、これは韓国国民も望んだことです。
その後は、ソ連共産党の世界を共産主義に変えようとする世界戦略が始まり、この勢力拡大阻止を図る必要が出てきました。満州国もソ連が満州を共産化しようと動きましたので、それを阻止する必要から建国されました。
しかし、中華民国に圧倒され、窮地に追い込まれていた毛沢東率いる共産党軍の罠により「盧溝橋事件」が起き、日本は本来戦う相手ではなかったはずの蒋介石率いる中華民国との長期戦が始まったわけです。
このように、明治以降、日本が領土的野望をもって起こした戦争など一度もありませんでした。常に他国の動きが先にあっての防衛戦争ばかりでした。
しかも、日本の占領ないし保護国化した地域は、台湾、朝鮮、満州、支那沿岸部などを植民地化することなく、逆に、時に日本国予算の半分をそれらの国々のインフラ整備、学校整備等に費やしたのです。しかも身分制度を廃止し、全員を平等に扱いました。
一例を言えば、朝鮮では学校も無く、文盲率90%以上でしたが、日本が小・中・高を作って、高度教育を受けさせると共にハングルを教えましたので、このときから一気に朝鮮でハングルが使われるようになりました。また満州は不毛の地ででしたが、日本が住環境、産業を立ち上げましたので、数年で人口が3倍にも膨らみました。そのほとんどは支那地方からの移住者でした。
文が長くなり申し訳ありません。
このように戦争は、ほとんどの場合自ら起こすものではありません。常に巻き込まれるのです。
囲碁でもいくら「俺は戦わないぞ。きれいな布石を打ち、上手に地を分け合い、寄せ勝負にするぞ」と決めたところで、相手は「打ち込」んで来ますし、「地」を荒らされたときに「地」を荒らし返さないと、バランスが取れません。布石(外交)でどんなに有利に立とうとも、相手も工夫しますので、激しい戦いをすることなく「中押し」で済ませることはできません。日本だけが(此方の都合で)「私は戦争しません」といくら宣言しても、布石(外交)だけで平和は維持できないのです。
よく改憲論者を「戦好きな者たち」と決め付けがちですが、戦争が好きな者など普通はいません。どうすれば平和を維持できるか、と考えたとき、武力を持たないことは危険過ぎる、と判断しているだけです。
ピンクとグレーさんのブログは大好きですので、これからもぜひ読ませていただきますが、この歴史観だけは、いささか米軍の宣伝番組「真相はこうだ」や極東軍事裁判の残影がまだ生きていると感じましたので、ぜひ一度この問題について再検証されることを期待いたします。
他人のブログを汚すような発言をして大変申し訳ありませんでした。非常に有望な碁打ちの方だと感じていましたので、このような書き込みをしてしまいました。ご無礼をお許しくださいますようお願いいたします。