囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

ノゾキの成功例7止

2019年09月28日 | 【カベ突破道場】

狙いを秘めた一撃の巻】


▼第7図 70~80 (以下、割愛)

白70のオシの意味は何か?

アルファ碁は、この一手に最も長い「2分4秒」を投じた

中央の黒を追求するのではなく、黒陣営に侵入する手段を選択したのだ

中央の白2子は囮(おとり)だったのか


白は76まで決めて、白78

これは地に換算すると30目近い大きな手

 

ここでイ・セドルは相手をせず、黒79

 

アルファ碁は中央の嫌味を解消する本手白80

 

互いに手抜き、手抜きの応酬で、盤全体を俯瞰した主導権争いが続く

 

この時点で、検討陣の判定は「全局的に白がやや打ちやすい」

 

       ◇

 

■この後、アルファ碁の細かいミス(開発責任者デミス・ハサビスはバグと認めている)が出ますが、逆転には至りません。

186手まで打ち、イ・セドル投了。盤面でほぼイーブンで、コミ7目半が出せず、投了はやむを得ません。 

 

■シリーズは5局打って1勝4敗。まさかの結果に囲碁界は騒然となりました。

しかし、これはAIによる碁界制圧の序章に過ぎませんでした。アルファ碁はバージョンアップを繰り返し、トッププロに5子置かせるほどになり、そしてグーグルは「囲碁での実験は終わった」として引退させました。同時に、進化過程の自己対局を公開し、わたしたちにプレゼントしてくれました。

プロは今、AIソフトを活用し、さまざまな新しい手を試しています。「ハンマーパンチ」でトップ棋士を次々撃破している上野愛咲美二段(17)も、熱心なAI研究でランキングを急上昇させています。


                  ◇


■「AIの碁」あるいは「AI研究による専門家の碁」を、これからも断続的に紹介します。わたしの感想を添えて、です。同時並行的に古碁も鑑賞しましょう。棋譜を50手100手あるいは最後まで並べると、必ず何かが見えてきます。

徳川家康と本因坊算砂が開いた碁将棋の世界は、幕府の庇護を受けて地歩を確かなものとしていきます。17世紀に実力十三段といわれた本因坊道策の出現によって、近代化がさらに進みます。そして大衆化へ。幕末に最初の大きな山が訪れ、昭和に再びブームが湧き起こりました。

碁の考え方や流行は、循環しています。

AIの新手と思っていたら、実は江戸時代の名人が打っていた」ということも少なくありません。

 

■古碁を鑑賞する時、定石が古くて役に立たないとか、コミがなかったから参考にならない、という声が聞かれます。確かに序盤は大きく変わりましたが、中終盤は古碁に分があるといわれます。

 

■いずれにしても、現代の価値観で歴史を語り尽くせるものでしょうか? わたしは疑問に思います。美しい布石、鮮やかな手筋の応酬、演舞のような手順の妙、ヨミの入った死活がらみのヨセ合い。それが感じられ、わたしたちの棋力向上にも参考になるなら、なにもいうべきことなどない、と思います。

 

■呉清源は晩年、古碁の価値について、こう話しました。

「古い碁を研究することは、プロなら当然のことです」

「最近の若い人は、海外の碁ばかり傾倒していて、大事な基礎となる古碁をなかなか並べないようです」

「古きも、新しきも、両方学んでこそです。なげかわしいことです」

この昭和の棋聖は「秀策全集」を片手に並べ続け、ついには持つ「手が歪んでしまった」ことでも知られています。

大三冠、趙治勲も「秀策全集」がボロボロになり「買い直した」といいます。

 

■新しいものも、古いものも、鑑賞と研究の対象とし、ぜひ楽しみましょう。

 
 
 
本因坊算砂(ほんいんぼう・さんさ、1559-1623年) 安土桃山期から江戸初期の最強棋士で、信長・秀吉・家康の三英傑の指南役を務めた。京都の寂光寺塔頭・本因坊の僧で日海と称し、後に本因坊算砂を名乗る。将軍家の命により、江戸に居を構え、俸禄を受けて家元筆頭・本因坊家の始祖に。碁打ち・将棋指しの最高位兼連絡係に任ぜられ、「一世名人」を務めた。三英傑はいずれも算砂に対し五子の手合割だったと「坐隠談叢」に記されている



 


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