【マナー、マナーと、うるさく言いなさんな ~ 外国人が仰天した今昔物語「臭い話」をいたしましょう の巻】
■温水洗浄便座の快感・快適に、
外国人が仰天したのは、
そう古いことではない。
インバウンド(訪日外国人)ブームの始めの頃か。
さかのぼること150年前。
さらに仰天したのは、日本人の立小便である。
地球の端っこ、黄金の国にたどり着いたとたん、
珍妙な光景に、声を失った。
二本差しにチョンマゲのサムライたちが
声高にしゃべりながら、楽しそうに並び
しているではないか。
外国公使は無作法と不衛生を指摘する。
幕府は戸惑った。
なにしろ有史以来いや少なくとも数百年は続いている
“あたり前田のクラッカー”である。
だが、みっともないことも確かである。
急ぎ「触れ」を出す。
「往来にて小便を致し候儀、
外国人に対し恥じ入り候につき云々」
やめろ、というお達しである。
が、理由を記したのはマズかった。
「外国人が見ていなければ、しても構わない」
とも受け取れる。
お触れのかいなく、公儀の面目だけが潰れた。
■皆が使える便所を街に造ろうではないか、
と神奈川県が重い腰を上げた。
回天を経て、明治4年の頃である。
四斗樽を地面に埋め込み
周りを板塀で囲っただけの簡便なモノが
横浜市内に83カ所できた。
が、屋根はない。
しかも費用は町内会負担である。
役所は、いつの時代も「出し惜しみ」する。
そのくせ「以後みだりに放尿する者あれば云々」。
今のカネで5000~6000円の罰金を取るという
乱暴な話であった。
この便所、造りもお粗末で、管理も悪く、
周囲への影響は甚大であった。
(詳しく書かないが、ともかく臭い、しかも あふれ出る始末)
そこで横浜の炭屋、浅野総一郎が、
これに目を付け(知事に頼まれて?)維持管理を願い出る。
役所から補助金をもらい、溜まったモノを
農村に売り歩いてカネに変えた。がっぽり、がっぽり。
これが「共同便所」となり、定着していくのである。
浅野は「浅野セメント」創業者で、後に十五財閥の一角を成す。
◇
ところ変われば 品変わる。
マナーも落ち着くところに落ち着くまでは
常識とはいえまい。
囲碁の所作・マナーが
整備されてきたのは、ここ数十年のこと。
現在進行形であるし、さほど必要なし と思える瑣事もある。
細かなことは さて置いておき、
要は、対局相手が不快に感ずるや否や、である。
全部をきちんとやろうとしても無理であろう。
自分が気にならずとも、相手が臭うならアウト。フンプン。
たとえば、危険度で三つに大別し、
破壊力大と思しき項目から改めるのも一法ではないか。
ビロウナ ハナシデ スミマセ~ン (ペルリ提督の配下)
あたり前田のクラッカー 昭和30年代に流行したオヤジギャグ。人気TV番組「てなもんや三度笠」で、藤田まことがスポンサー企業・前田製菓の「前田のクラッカー」を胸から出して言うキメセリフ。「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」
▲貴殿は、立ってする派閥か、座ってする派閥か
前者ならば、即刻に鞍替えいたせ
御新造様が、お怒りで御座る