オッホの森 ≪イーハトーブ事件簿≫

宮沢賢治、わんこそばを中心に岩手県花巻地方の出来事を紹介。

宮沢賢治の遺骨 その4

2024年05月28日 | 宮沢賢治
賢治の遺骨について2022/9/24, 2023/7/17, 2023/8/8 と書いているが、今回が最後になると思う。
というのも、決定的と思われる昭和11年6月6日付の岩手日報朝刊3面に掲載された以下の記事を見つけたから。



 今までも妹トシさんの遺骨は国柱会本部(三保)に分骨・納骨されているのに、賢治の遺骨は納められなかったのだろうか、という疑問はあったのだが記録が無いため確認できなかった。

 この新聞記事を見て身延山に問い合わせたけれど、やはり記録は残っていないとの返事であった。もし有ったとしても個人情報の取扱いに厳しい現在、公開はしないだろう。新聞記事の内容の裏付けはできないし、関係者からの証言も不可能と思われるのでこの記事を信じよう。

それにしても亡くなって3年も経ってからの分骨納骨の理由は何だろうか。
この昭和11年には11月に羅須地人協会跡に詩碑が建立されるのだが、賢治の一周忌の頃から詩碑建立の希望はあったのものの意見がまとまらずに実現しないでいたものが、この年の夏ころに共立病院の佐藤隆房院長から建碑推進の意見が出されて一気に実現に向けて動き出している。時期的に関連があるものと考えられ、その動きの中で身延山と詩碑の下に遺骨を納めることが決定したのではなかろうか。
 実際身延山に納骨されたのなら、賢治自身も喜んでいることと思う。

 また、平成23年3月に東山の石と賢治のミュージアムで開催された「グスコーブドリの大学校」に於いて中尊寺仏教文化研究所長の佐々木邦世氏が講演された記録の中に、
 「昭和34年に、賢治の晩年の詩の碑をここに建てたわけです。金色堂の入り口のところに。(中略)これは、金色堂建立850年の記念として、宮沢賢治祭を昭和34年5月10日に行った。(中略)いろいろお力添えを頂きました清六さんが謝辞を。そしてもう一人の謝辞を薗実円師が、当時の中尊寺の貫主です。このようにして式を次第したわけでございます。その後に宮沢賢治先生の霊位を、金色堂に合祀しているんですね。近ごろ、この事実を皆さん忘れている。」
 とあり、先日この合祀について中尊寺に問い合わせたところ「記録は残っていないので確認できない。」との回答だった。
 遺骨は埋葬されていないとしても賢治の霊を祀っているのは間違いないので、改めて金色堂にお参りしたいと思っています。
【2024.6.12 追記】
吉田矩彦氏のご教示によって、国柱会ホームページに以下の記述がある事を知った。
  「賢治の遺形も、昭和57年の賢治五十回忌に大霊廟に納鎮され、申孝園には賢治の辞世の歌碑が建立された。」
遺形とは具体的に何を指すのかは不明だが何らかの遺品であろう。
6/12 早速中尊寺へお参りに。



コメント
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