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歴史Blogを志向しています。このBlogのSite Masterの名前は、高木紀久です。

後漢(2)

2024-12-28 20:02:00 | 後漢
後漢


後漢(AD25~AD220)


おもな人物
光武帝
呉漢
公孫述
明帝
章帝
和帝
桓帝
蔡倫
班固


首都…洛陽(雒陽)


人口…2100万


三公
大司馬・大司徒・大司空(前期)
太尉・司徒・司空(後期)


郡長官…太守


郡監察
刺史(前期)
牧(後期)


発明品…紙


典籍…『漢書』

2024-12-27 20:18:54 | 三国志



仲(AD197~?)


国家元首…袁術


体制…帝国


君号…皇帝


詳細
後漢王朝の臣、袁術(字は、公路)によって建国された帝国。袁術は、さきがけて王廟(の遺構)より、一巻の古怪な巻物を発見しており、そこに書かれていた予言詩を解釈した結果、後漢王朝の存続が長くはないことを知る。そして、新王朝の誕生が遠くないことを確信する。彼は、この時、すでに伝国の玉璽を入手していたこともあり、創朝を宣言、みずから帝位を号した。首都は、寿春。揚州を拠点として、最盛時には、あの袁紹をもしのぐ大帝国を築いていた。同盟相手の呂布が曹操に滅ぼされると、あい前後するかのように曹操劉備連合軍の前に一敗地にまみれた。袁術の没後、袁胤など一族のものが、孫権によって手厚く遇されたことはあまり知られていない(かもしれない)。

新(2)

2024-12-25 20:03:39 | 



新(AD8~AD23)


建国者…王莽


前王朝…前漢


王莽…前漢の外戚。新都侯。


別称…莽新


地方官…

大尹(太守)
太尉
県宰


政策様式…懐古主義的な政策様式


五銖銭…廃止


おもな政策…
知名や役職名の頻繁な改名
井田制の導入
小作農民のための農地の国有化
奴隷売買の禁止
高利貸しに対する、国家による安い金利での融資
貨幣制度改革
五銖銭の廃止


滅亡…赤眉・緑林の乱による(遠因は)。


詳細
周の時代を理想とする政治様式を持つ。朝鮮半島の国家に対し、威圧的、高圧的な外交を行い、離反を招く。貨幣制度改革によって、制度を複雑化し、経済の混乱を招く。塩、鉄、酒の専売制を強化する。冊封体制の変革により、周辺国が離脱する。これへの対応として兵を起こし、多数の戦没者、餓死者、病没者を出す。これによる国家の衰退から各地で大規模な反乱が起るようになる。新滅亡。

前漢(5)

2024-12-11 20:30:47 | 前漢
前漢の経済


通貨単位…銭、金


一銭…銭貨一枚


金…金一斤(およそ一万銭)


絹一匹…450~477銭
アワ一石…105~130銭
キビ…150銭
大麦…110銭
麦…120銭
肉一斤…4~7銭


代表的な貨幣…五銖銭


税…
人頭税
土地税
財産税
商税
畜税
労働税(徭役税)
兵役税
鉱林漁業税


農書…『氾勝之書』


おもな農産物(一例)…
キビ


ヒエ
大豆
カラムシ


ヒサゴ




農法…代田法


牧畜…

にわとり





農政長官…大司農


専売特許品…塩、鉄


農村・農民
一世帯あたりの農地…おおよそ100畝
一世帯あたりの耕作地…50~70畝
一世帯あたりの収穫量(年間)…125~210石前後


都市
邑…城砦都市
社…集落の中心部
市…交易地、集会場


武帝の113年、上林三官(部署名)に命じて、五銖銭を作らせる。この五銖銭は、偽造がむずかしく、その後の貨幣の標準的なものとなる。この五銖銭の流通は、じつにのちの五胡十六国の時代までつづいた。戦国時代の各国のばらばらな通貨単位(と貨幣)、秦の通貨単位(と貨幣)の統一、その後の漢になってからの悪貨鋳造の横行等を経て、五銖銭の時代で、鋳貨問題が、一応完結したのである。

前漢(4)

2024-11-28 21:39:01 | 前漢
前漢


武帝とその時代


前漢武帝(BC156~BC87)
前漢時代の皇帝の一人。典型的な暴君とされる。近年、再評価が進んでいる。暴君という呼び名が定着してしまっているようだが、実際には、雄材大略な政治志向で、軍事・内政・外交で功績があり、前漢は、武帝の時代に絶頂期を迎えるのである。


時代背景
文景の治により、国経済はうるおい、財政は健全だった。各地を治める(漢土の地はその版図が広大にすぎるゆえ)諸侯王の権勢は、なお強大だった。異民族(匈奴)とは係争中(なにもこのことは前漢にはじまったことではないが)。


政治様式…雄材大略


内政…儒学者の官僚登用


外交政策…匈奴対策


解説
全漢代最大版図を築く。各地の諸侯王の権勢の弱体化を進める。シルクロードを開道する。武帝各地の巡幸を行う。反面、たびかさなる軍事行動のため、財政は悪化した。「巫蠱の乱」など、巫蠱が流行した。武帝の時代に前漢は隆盛をきわめるが、巫蠱が流行るなど暗い面もあった。