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歴史Blogを志向しています。このBlogのSite Masterの名前は、高木紀久です。

三国志演義

2024-11-12 21:39:14 | 三国志
三国志演義


小説。中国四大奇書のひとつ。著者は、施耐庵とも羅漢中とも言われるが、詳しくは不明である。(一般的には、羅漢中で定着している。)中国、後漢末および三国時代に取材した小説。『通俗三国演義』、『定本三国演義』など、ぼう大な額面にのぼる書典を有する。

淳于瓊

2024-10-14 21:10:22 | 三国志

淳于瓊


淳于瓊(?~AD200)。豫州頴川郡の人。字は仲貫。後漢の西園八校尉の一人。袁紹の旗本。袁紹軍三部督の一人。淳于瓊は、英雄であり、また、勇者だったが、対曹操戦で袁紹軍が大敗するきっかけを作るもととなってしまった。曹操の陽動作戦によって、白馬の戦いでの敗戦を喫してしまう。のちに輜重を任されている。烏巣の防衛を任されているが、曹操の降将となっていた許攸の計略で、曹操の強襲を受け、突破されている。淳于瓊は、捕らえられ、他の七人の帥将とともに帰らぬ人となった。

鞠義

2024-10-13 19:55:07 | 三国志
鞠義


鞠義(生没年不詳)。涼州西平郡の人。袁紹麾下の将軍。騎馬戦に長じた名将。対公孫瓚戦で先鋒隊を率いて戦う。公孫瓚は、北平の太守。北方異民族からの中原との国境の防衛で功績があった。白馬義従という独特の戦形で知られ、北方騎馬民族から白馬史令の名で畏れられた。緒戦、公孫瓚軍の先陣を破り、公孫瓚自身のいる中軍に迫る活躍を示す。しかし、この時、たまたま公孫瓚軍に客将として待機していた趙雲と渡り合って、命を落とした。