家に帰ると、「その漢字がなにか知っているか?おおぉ?」と悪魔が憑いた状態の妻(悪魔が憑くことにより、妻はデビルおかしゃんとなるのだ。※口が悪くなる。)から質問された。
私は知らなかったので、「凶」とか「危」とか・・ついこの間、産経新聞にあった漢字を言ってみるも、「ちっがぅ!!太ってるぅ!!」と悪口まで言われる始末。
ならば、「今年も太ってた」という意味で「太」なのかと言ったら、それも違うと怒られた。妻的には「苺」とか「栗」を推していたそうなのだが、日本漢字能力検定協会も「妻の食いたいもの」を選ぶ必要はまったくない。清水寺の坊さんが「梨」とか「桃」と書くはずもないとか言っていたら、今年は「変態」の「変」に決まったと教えてくれた。
次期アメリカ大統領のオバマが「チェンジ」と連呼したから、日本も追随して「変わる」ということか。ならば「いえす、うぃ、きゃん!」はどうなるのか。
どうでもいいが、私ならば「酒」とかだな。ストレートすぎるってか?ならば「呑」とかな。今年もよく「呑」んだなぁっと。来年も「呑」めるといいなぁっと。でも、パチンコ屋さんだから「玉」にしたほうがいいかな?もしくはもう、ストレートに「金」にすればいいってか?(※ってか?ww)などと、朝っぱらから呆けているわけだが。
すると、我らが「天声人語」が偉そうにも気色悪く取り上げていた。
http://www.asahi.com/paper/column.html
<2008年12月13日・天声人語>
<飲食業には漢字一つの店名が結構ある。きのう、都心の裏通りで「歓(ファン)」という料理店を見つけた。中国語の発音ホワンと、英語のfun(楽しみ)をかけたようだ。>
いきなり不気味なことをいう。誰か東京都心で「歓」という店を探してくれ。そのあたりに「雅」とか「和」とか「松」とか「楓」などという小料理屋はないんだな。どんだけ中華三昧なのか。脂っこいコラムはもう大概にしとけとあれほど・・・
しかも<字の力か、看板から陽気が立ち上っていた>と、また幻覚をみている。中華料理屋はそんなに陽気でしたかそうですか。触ってごらん?ベタツイテルヨ!!
で、今年の漢字に決まった「変」については、
<種明かしをせずに書き始めても、「亦」まででピンと来る人が多かろう。今年が「恋」のはずもない。ただ、変と恋はまんざら無縁でもないらしい。共通する「亦」は、旧字では糸がもつれる様を表す。もつれて違う状況になるのが変、好きな人に心もつれて恋である(加納喜光『似て非なる漢字の辞典』東京堂出版)>
などと偉そうに書く。なるほど、「心がもつれて恋となる」といわれると、( ;∀;)イイハナシダナーとなるのかもしれん。だが、な、在日の私が教えてやるが、「変」という漢字、旧字体では「變」であるのだが、そこは「糸」に「言」、そしてもういっちょ「糸」だ。で、下に「夂」(ち)と書く。夂れる(おくれる)とも読む。「足」という意味があるが、イメージ的には、「遅れる」、遅くなる、遅い、つまり、この場合は「足を引きずる」とか「足が重い」という感じだ(洒落ではない)。つまり、「恋・戀」とは「言葉では断ち切れない糸」のようにもつれた「心」とするのがよろしい。ならば、( ;∀;)モットイイハナシダナー となることうけあい。
しかし、だ。
今年の漢字、このコラムの主役でもある「変」を、
<もつれて違う状況になるのが変>
として流してしまうのは、いささか「変」ではないだろうか。
さらっと書いてるが、なんのことだかさっぱりだ。それに「恋」のときには「亦」と「心」に分けておいてだ、「変」の「夂」は無視かい。漢字が好きなのか嫌いなのか?ww
私の倅が「漢字検定2級」に合格したらしいから教えてもらえ。
すなわち、「變・変」とは「言葉では断ち切れない糸」のようにもつれて「足が重い」状態・・・・
・・・・・・・はっ!
・・・・なんだ、今の日本国ではないか。清水寺の坊さん、天晴れ。
昔の人は「変わる」ことに、それほどの警戒感を示していたのだろう。「変化に飛びつくような」安直な思考停止はやばいぞと。現在の我々は「安易な変化は警戒しろ」という警句として受けとらねばならないのではないか。
例えば、「シミが増えたわぁ~~(泣)」と嘆く妻には「老化は変化であるから受け入れなさい。変化を楽しむ余裕を持ちなさい。どうせ、私の中での君は27歳のときから止まっているんだから(はぁと)」と説教する私だが、やはり、体力の低下に伴う体調の変化は警戒せねばなるまい。「変化」には「備える」ことが肝要なのだろう。だから、「足を重く」してでも速度を落とす必要があるのかもしれん。
余談だが、以前、私が転勤してきたときの当店のキャッチは「●○▽(屋号)は、まだまだ変わります!」だった。「どんどん変わっていく、ということやんかいさ!」と、当時店長であった社長マンは自慢げに話していた。浅薄極まりない。阿呆丸出しである。
そういえば、どこぞの社長の息子も、だ。「3年間、他社で修行してこい!」と繰り出された企業を半年で辞めて「エライサン」でお父さんの会社に入社、たちまちぶち上げたキャッチは「現状否定」であった。聞くと、「現状に満足するんではなくて、もっとよくなろうという意味です。」と答えやがるわけだ。呆れる。はいはい、かっこいいかっこいい。
「護れない」のに「変えられる」わけがない。わからんのだろうか。
「変わらねばならない」という条件は「現在を否定すること」から発する言葉であるはずだ。ならば、「どう変わるのか」「なぜ変わるのか」が分かっていないと本末転倒なのである。カッコいいフレーズなのか知らんが、安易に「変わる変わる」言う奴には気をつけよう。絶対に「変わったこと」を言い出すに決まっている。所詮は安易なのだ。
女性を口説くときに、
「僕はドンドン変化する」
といってみろ。セルや魔人ブウでもあるまいし、振られるだろう。ならば、
「僕はいつまでも変わらないよ」
というべきだろう。ホントかどうかはともかく(笑)。
「キミは・・・・変わったね・・」
とか、
「この会社、なんかさぁ、変わったんだよなぁ・・・」
とか、
「変わった・・・人だね・・・」
というとき、そこにはネガティブなイメージしかないのだがなぁ・・まあ、
「か、変わらないね・・・」
と言われるときもそうかwwま、そういうことだ。
そういえば、かつての安倍政権は「戦後レジームからの脱却」と言った。決して「戦後レジームからの変化」とは言わなかった。「チェンジ」ではなく「ブレークスルー」であるということだ。コレは偶然だろうか。
更に、現代漢字の「変」の「亦」は(また)と読む。これ亦、意味がありそうだ。
コメント一覧
久代千代太郎
は
最近の「過去記事」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事