忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

天津飯の建前と本音

2010年08月25日 | 過去記事
朝鮮学校、給付型奨学金も検討 文科省 返済不要、議論なし

<文部科学省が新設を予定している給付型奨学金制度について、朝鮮学校も対象とすることを前提にした検討が進んでいることが24日、分かった。朝鮮学校への高校授業料の無償化適用検討に批判が高まる一方で、奨学金をめぐっては適用対象をめぐる議論を経ないまま、国費投入がされてしまう可能性がでている。

 朝鮮学校を対象に含む形での検討が進んでいるのは、低所得世帯の高校生向けで、返済不要の奨学金

 入学金や教科書代、学用品代などを賄う費用として給付されることが想定されている。文科省では、来年度の制度創設へ向け、予算要求する方針を固めている。

 法令上、奨学金を生徒の通う学校によって支給対象にするか、しないかを区別することは難しいことから、文科省では朝鮮学校を例外としないことで制度設計の検討を進めている。

 具体的な給付額などについては決まっていないが、1人当たり年間数万円程度の支給となる見通し。

 文科省は昨年も同様の奨学金創設を検討。その際は年収350万円以下の世帯の高校生45万人を対象に、123億円の予算を要求している。

 財政難などを理由に昨年は創設が見送られたが、文科省では昨年の制度設計の際にも、朝鮮学校も対象に含めていたとみられる。制度の趣旨について、文科省では「すべての意志ある生徒が安心して教育を受けられるように」と、授業料無償化の際と同様の説明をしている。

 授業料無償化については、朝鮮学校での授業内容が問題となり、適用すべきかどうかの検討作業が行われている。しかし、これまでのところ給付型奨学金制度をめぐっては、文科省や与党内で同様の問題意識が表面化するにはいたっていない。

 給付型奨学金は、民主党が昨夏の衆院選のマニフェストで大学生らに対する給付型導入を掲げ、政権交代後、低所得世帯の高校生向けにも制度創設が計画された。自民、公明両党も給付型創設を公約に盛り込んでいる。

 日本での奨学金は文部科学省所管の「日本学生支援機構」による返還が必要な「貸与型」が主体。だが、平成20年度の滞納総額が723億円に上るなど未返還問題が深刻化している。

 欧米では返済義務のない「給付型」の奨学金が一般的になっている>



子供一人を大学まで行かせるとなると、ざっと500万円~600万円はかかると聞く。もちろん、子供は教科書を喰って大きくならないから、他にも何かと金がかかることになる。DSとかも買わねばならないし、プールで遊んだ後にアイスも喰う。ま、なんだかんだと合わせて考えると、やはり、一般的に言われる「子供ひとり=1千万円」ということになろう。我が家はふたりだけれども、娘は途中で嫁に行ったから1500万円ってなとこか。まあ、ぼちぼちだ。ぼちぼち大変だった。今年、赤子が産まれたそこのあなた!もうすぐ、赤子が出てくるそこのあなた!!―――――ガンバ―――ヾ(`・ω・´)ゞ―――ァァァ!!!

でもまあ、アレだ。よく「遅くにできた子は大変」だとか言う。親が年取るからだ。自民党の野田聖子さんも大変だと思う。なにせ、堂々の50歳である。子供が二十歳になったら70歳である。子供が還暦になったら110歳である。子供が100歳になったら150歳なのである。住基ネット上でしか生きられないのである。

当たり前だが、子供はじっとしない。というか、じっとしていたら病気であるから心配せよ。なんでも「動いていないと体中に血液が回らない」んだそうだ。つまり、止まったら死ぬんじゃ、ということである。だからとにかく、起きてる時はずっと動く。大きい声を出すし、ちょろちょろするし、まあ、大変だ。男の子はとくにすごい。覚悟せよセヨ。

ま、だから「親が若いころ」でないと付き合いきれんと言われる。バテてしまうのだ。ちょっと外食に出かけただけでも大変、行楽シーズンなんてもっと死ねる。たまに若いお父さんが荷物と子供を抱えて死んでいるところをみると、私も若いころを思い出して、倅にあたる。先日も倅がクソ生意気にも「ねむい~」と抜かしてけつかったので、思わず、

「なぁなぁ?朝の4時半から仕入れに出掛けてな?夜の12時まで働いて、だな。トラックの中で仮眠して、また、仕入れして~というサイクルを1週間こなしてな?それから、ようやく正月休みに入って、これでやっと眠れるぞ~とフラフラしながら家に帰ったらな?子供が喘息で熱出したりするんだよ、それでまた、車に乗せて病院に運んでな、処置が終わるまでマッテだな、またこれが阿呆みたいに入院とかするから、また、お母さんと交代で荷物運んだり、付添したりとかな?どう思うよ?」

と聞いてやったら、なぜだか、ごめんなさいと謝っていた。わかったならいいのだ。

まあ、しかし、言わせてもらうとだな。

「遅い」のも悪いことばかりじゃない、と言っておきたい。若い時も大変なのである。

もちろん、子供が暴れても付き合える。親も若くて体力があるから、少々、徹夜しても次の日の仕事にも行ける。しかし、である。先ず、圧倒的に金が無いのである。

先ず、貯金が無い(我が家は無かった)。若い夫婦は、借金していないだけマシだと思わねばならない。子供がいたところで、社会に出れば若造は若造だったりするから、大した稼ぎも期待できない。辣腕の青年実業家でもあるまいし、私のような無学無資格の若造は、ともかく、親からもらった頭と体をフル回転させねば、普通の社会人に勝てぬから必死だった。自分らが喰って遊ぶだけでも大変なのである。また、当たり前に給料も少ないのに、子供にかかる金は同じだから、もう、これはたまらん、となる。当然、遊びは切られる。

それに、精神的にも未成熟だから、子供が意味不明な行動をとったり、無意味に泣いていたりばかりになると、一緒に泣きたくなる。こっちは必死で働いても、喰ったら終わりである。嫁はんもパートに出て、家事をして、育児もするからへばっている。また、会社で怒られて我慢して、顧客に怒られて下を向き、ふぅ~今日もやっと終わったと、小さい家に戻れば不機嫌な嫁がいて、気を使いながら風呂上がりの発泡酒をぷしゅっと・・・いわせようとすると、ぎゃーぎゃー騒がれたりする。死にたくなる(笑)。

しかし、これがどうだ。親が年取ってると、もう、大人である。体はしんどいが、貯金もあろう。よしよし、まあまあ、子供ってこんなもんだョ、という余裕もあろう。私はそれがうらまやしいのである!!なんというか、子育てを楽しむ?みたいな?感じであろう!



ま、ところで、我が倅は御蔭様で指定高推薦に合格した。ほっとした。

「新聞」という漢字を「親分」と書いていた倅が、学校の推薦で大学に行くとは誰が予想したであろうか?少なくとも、私はしていなかった。どころか、中学を出たら、知り合いの「パチンコ台のメンテナンス会社」に放り込むつもりだったのである。若き私は、阿呆のような顔をして「大きくなったらゲームになりたい」と抜かしていた倅をみながら、この子には手に職をつけてやらねばならない・・・と決意したものだ。ゲームの制作者でもなければゲーム屋さんでもなく「ゲームになりたい」という小学生など、いったい、私にどうしろというのか!と憤りながら、一緒にゲームをしたものである。

「バイオハザード1」をプレイする私の横で、前歯の無い口をぽあっと開けたままニヤニヤして「ぞんびこわいな?」しか言わぬ倅の将来を、私や妻がどれほど心配したのか。「もう、15歳になったらギャングスターに捨てに行こう。もしくはブックオフに売ってしまおう」と妻と相談したものだ。それがなんとも、まあ、なんとかなるもんだ(笑)。結果オーライである。

それでも、私が倅に守らせていたことは多くない。

・テレビを1時間観たら、2時間本を読め(漫画でもよい)
・メシ喰うときは、何か喋れ。喰わなくとも食卓に座れ
・学校はずる休みしてもいいから、空手教室はしんどくても行け
・勉強も宿題もせんでいいが、家の手伝いをしなければ窓から捨てる
・お母さんとお姉ちゃんは、お前が護れ(お父さんがいないとき)

これに河内屋の親父からの受け売り「出船の形」が加わった。玄関先の靴を揃えておく、ということだ。昨年末、久しぶりに玄関が乱れていた。原因は犬だった。犬が咥えて乱すのである。もちろん、それはわかっている。倅も「僕じゃない。犬が散らかした」と言いたいところだろう。しかし、そんな民主党議員みたいなことを口にするように育ててはいない。また、その日は娘夫婦が来ていた。みんなで近所の神社にお参りして、出店もあるから遊びに行こうということだった。

しかし、出先から戻った私はブチ切れる。倅はもう、凍りついて声も出せない。雰囲気もクソもない。妻にも誰にも文句は言わせない。だって、私はこれしか言わない。勉強しなくとも何も言わないし、休みに昼まで寝ていようが、なにも言わない。言う必要が無い。

倅は私の部屋まで来て「指定校推薦合格」を告げた。私が「よし」と答えると、倅は「ありがとう」と言った。私が「褒美に、今日の晩飯は好きなもん喰わせてやる」と言うと、倅は少し考えたあと「じゃあ、エビフライ」と言った。私は妻にメールした。

しかし妻はなんと、「エビが売り切れてたぁ~」と言いながら肉を焼いた。大好きメニューの「エビフライ」が喰えなかった倅はいつものように、メシ喰った後、食器を片づけていた。そのとき、私は初めて、倅を本気で褒めたような気がする。

「どんなにすごい学校に合格しても、どんなにすごい職業に就いたとしても、それより、17歳の少年が当たり前に、メシ喰ったあと皿やコップを片づけて、親に対してなんの抵抗なく“ありがとう”と言えるように育ったことを、おとうさんは誇りに思う。その“すごさ”は、これから社会に出たらもっと自覚できることになる。今の世の中では、ある種の“技能”かもしれない。すごい威力だと思う。それは必ず、悟空とクリリンが亀仙人の甲羅を外したときみたいになる。世の中というところは、勝つ必要はあまりないが、負けない必要は生存条件でもある。それに・・・」


おかしゃん:「クリリンしってるぅ!!目が3個!!」

「・・・・い、いいから、あなたは明日、必ず、エビを買ってきなさい」

おかしゃん:「えび!えび!わかた!えび!3個!」




――――ま、まあ、ともかく、

親が若くともそうでなくとも、また、日本の国でなくとも、子供を育て上げるには金も手間もかかる。その「苦労」から親も学べるし、子も親の「苦労」を見て育つこともできる。

しかし、人にはいろいろと「事情」というものがある。如何ともしがたい理由から、親が経済的に義務を果たせぬ場合もある。そういう家庭を救済することも、同じ国に住む者としての義務だったりもする。それらを公正、且つ、円滑に運営するためのシステムとして、国の機関があり、法律がある。なぜかというと、社会主義であれ自由主義であれ、人間社会を構築、維持していくには、常に人間が必要だからである。

だから日本にも「義務教育」というシステムがある。最低限、社会に出られる程度の様々な能力というものを身に付けさせておかねばならない、というわけだ。左巻きの阿呆が抜かす「義務教育を受けるのは権利」が如何に底の抜けた阿呆なのかも分かる。義務教育費が払えない親を国が援助するのは「義務を果たさせるため」に他ならない。「金が無いから」で小学校にも行かせない親が頻出すれば国が滅ぶからだ。

そうして義務を果たして世に出れば、今度は納税という義務を負わせることが出来る。その積み重ね、繰り返しで国は成り立っている。だから、そもそも義務教育でもない高校を無償化するなど、もはや矛盾に満ちているのである。ならば「6・3・3」と高校までを義務教育化すればいいだけだ。そして、朝鮮学校もそうしたいならば、全ての学校で金日成と金正日を崇拝する洗脳教育を施せばよい。文部科学省が指導して教育要領をつくらせればいい。

それでもまあ、100歩譲ってだ。日本の公立高校を無償化するのはいいとしよう。賛成ではないが、ひとまず、放っておいてもいい。しかし、ここに朝鮮学校を持ってくる理由は絶対に通らない。だから、阿呆の底が抜けているというのだ。

しかし、この抜けた底には、もういっちょ底があった。二番底か三番底か知らんが、ともかく底の底、奥の底だ。

そしてついに、義務教育でもなければ、同じ国の国民でもない、同じ価値観を有しない、いわば「日本社会を構築する」ことに屁の役にも立たぬ、否、どころか「日本社会を破壊する」可能性を大いに含む各種学校の範疇に属する朝鮮学校を、日本社会が捻出した税金で無償化しようとする政府が出現したが、さらには返済不要の奨学金をばらまくことすら、日本国民に知らせぬまま通そうとしているというのである。まさに売国ステルスである。と思ったら読売新聞にこんな記事があった。


奨学金滞納に法的措置強化、訴訟急増4233件

<巨額の滞納が問題となっている奨学金の「貸し倒れ」を防ぐため、学生に奨学金を貸与している独立行政法人「日本学生支援機構」(旧日本育英会、横浜市)が法的措置を強化している>





単純に考えれば「朝鮮学校」は無償化、あるいは返済不要の奨学金をプレゼントするも、日本の学校の子供に与えた奨学金はさっさと返させろ、ということになる。もちろん、この日本学生には在日外国人も含まれているわけだが、外国人とはいえ、また、内容が反日的であれ「日本の文部科学省の教育要領」に則り教育方針を決めている、という建前は生きている。日本の親や納税者は、その建前に税金を払う。日本の社会を構築する日本の住民を日本国全体で教育することは必要――――という建前に逆らうことは、有能も無能も等しい権利を得てもよい共同体の否定に他ならないからだ。また、日本の場合、ここに「お互い様」という芸術に近い精神的熟成をみた。白人がノーブレスオブリージュと威張っているとき、日本ではとっくに「相身互い」という相互幇助の重要性に気付きもしていた。

話を戻すと、朝鮮学校の教育内容を決めているのは、言うまでもなく朝鮮総連、北朝鮮だ。その内容に「日本で暮らしているのだから、早く日本の文化や慣習に慣れ親しみ、日本の歴史や伝統に敬意を表し、願わくば速やかに帰化の手続きを行い、新・日本人として日本の国家にこそ忠誠を尽くし、立派な日本国民となるべく努力すべし」とは書いていない。

建前とは「ルールを守る理由」ともなる。それを守ることは同時に「参加資格」でもある。幼稚な身勝手が個人主義、浅薄で未熟な「いいぶん」が本音とされ、日教組や民主党やらにもてはやされて壊れてしまった部分も多いが、それでもテレビを観ていて、妙な支那人が日本に帰化した理由を問われ「便利だから、仕事のため」だと堂々と語る「本音」には辟易するのが日本人である。ウソでも「日本の国が好きだから」と言えぬ支那人の「本音」は不気味なだけだと思うことになる。これが自称進歩的日本人の意味嫌う「建前」であり、この支那人女が「国籍や国境はなくなる」という建前、というか大ウソは好まれる。

要するに単純な話だ。この話の建前とは、日本の納税者に朝鮮学校の諸費用を支払わせるならば、その学校では「日本の教育」がなされねばならない、ということだ。これはレイシズムでもなければナショナリズムでもない。強いて言うならリアリズムである。あくまでも現実的な問題としておかしいのである。


例えば、妻が倅に「勉強しないと、将来とか困るよ?」というのは建前である。私が宿題せずとも家の手伝いをせよ、というのは本音である。別に勉強せずとも将来に困らない人はたくさんいる。いま、目の前で酒飲んでる太った男がそうだ。それは人生だから、時々は困ることもあるが、よくよく考えてみるに、私ほど恵まれた人間もいないのではないか?と本気で思うことすらある。私も妻も「大学に行けばよかった」と悔やんでいるが、それは別に困っているからでもない。なんか、楽しそうだと感じているだけだ。

つまり、妻のいう「勉強って面白いやろ?」が真理なのだ。これは建前でも本音でもない。また、倅は間違いなく、勉強が楽しいと感じている。だから妻は昔、倅がゲームしていたら邪魔して遊んでいたが、今は勉強を邪魔して喜んでいる。倅の成績は中学三年から急激に伸びた。好きこそものの何とやら、だ。しかし、建前は無意味ではないから、妻のいう「勉強しないと将来困る」は外れてもいない。私のいう「挨拶しておれば生きていける」という本音も間違いではない。しかし、世の中は建前で構成されているから、妻の言い分がまず必要となる。子供の成績が悪ければ、親は心配することになっている。

しかし、本当に心配になるのは、私のいう「本音」のほうだともしれている。世の常識をわからず、難解な数学の問題を解いたところで社会は評価してくれない。「すごい!」と重宝されることはあっても、それは便利な道具と同じ、使われるだけの人生となる。いくら成績が良くとも、朝起きて「おはよう」が言えない子供の方が、親としては本気で心配に値するはずだ。

これは「金」でもそうだ。もちろん、金に罪は無い。しかし、ホリエモンは「金で買えないものありますか?」とやったら国民から嫌われた。「金儲け、悪いことですか?」と言ったギョロ目も嫌われた。こいつらは裁判官にも嫌われて刑務所に放り込まれた。ま、これが「建て前を疎かにした結果」である。ホリエモンは子供のころ、テレビアニメや刑事ドラマを見なかったのだろうか。腹の出た卑怯なおっさんが追い詰められ、最後の最後、か、金ならいくらでも出す!命だけは助けてくれ!というシーンは腐るほど腐っている。吉本新喜劇でも、チンピラがやって来て「この土地、売ったれや」と金を出すが、島田一の介あたりが「これは先代から受け継いだ土地や!なんぼ金積まれても売らん!」とか言って売らないからドラマが進行する。私は宿題もしないし、貧乏で馬鹿な子供だったが、それくらいはわかっていた。

これは格好悪いことなのだと学んだ。だからもし、「世の中金だ!金こそ全てなのだ!」という悪者が追い詰められたシーンでも「金だけは勘弁してくれ!一円たりとも渡すもんか!金を奪うなら私を殺せ!」と言ったら憧れたかもしれない。

「金なら出す」とは、そのまま拝金主義者の敗北の言葉である。金しか能が無いのに、その金を差し出すことで得るモノがあるとすることは、大いなる矛盾だ。ホリエモンは保釈金を払って出てきたから、やっぱり、金で買えるじゃん♪と思っているのかもしれないが、買えるどうかはともかく、世の中には「売っていないモノ」や「売ってくれないモノ」が結構あると気付いたことだろう。ま、ともかく―――

朝鮮人の子供が通う朝鮮学校に対し、日本社会が稼ぎだした金を使うという建前の破壊は、国家の崩壊につながる危険な入口である。建前ばかりで生きてきた連中が役人になり、日本社会の建前を破壊するとは皮肉なものだが、彼らの「本音」はどうなっているのか。決まっているからとか、法的に問題ないからという建前ではなく、彼らは心から、本音で「そうすべき」と思っているのだろうか。また、明らかなる売国政治屋の悪意にも気付いていることだろうと思う。ならば、ここは普通、本音に従って「建前を利用」すべきときだ。

その明晰な頭脳をフル回転させ、出来るか出来ないかの判断ではなく、どうすればいいのか?というプロの領域で国を護るべきときなのである。法律家崩れの政治屋や運動家が「出来る」というのを、如何にして「出来ない」で突っ撥ねるか。腕の見せ所なのである。


私も妻も、倅の学費を工面できたことを喜びこそすれ、互いの努力を褒め合う幸せこそあれ、国が全部出してくれたら楽なのに!などとは言わない。苦労させてもらってでも、自分の手で出来るならば、親として、してやりたいと思う。だから、この件について「朝鮮学校は得だ!日本の学校は損だ!」というレベルで話はしたくない。

「出来る」ことは誉れでもある。出来ることを目指し、出来たことを喜びたいと思う。しかし、道理を外れることはしてはならないのである。それは建前での「日本が好き」すら破壊することになろう。




3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (二代目弥右衛門)
2010-08-26 21:23:47
o(@^‐ ^@ )O ワクワク


返信する
Unknown (優作)
2010-08-27 00:11:36
息子さんの大学合格おめでとうございます。
いつも楽しく読ませていただいてます。
ありがとうございます。

”山田バー”

一度行ってみたかったです!
返信する
Unknown (久代千代太郎)
2010-08-27 19:10:05
>かいちょ

(#゜ω゜)(#-ω-)ウミュ♪



>優作さん


ありがとうございます!ほっとしましたw

山田バー、ごめんなさいね。休憩中ですw



ま、私がいれば、そこがあなたの山田バー。


かんぱい!



>▲



挿絵!まちこせんせいイイネ!!


京橋ロールケーキ10本で描いてくれるかな?

返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。