忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

高野孟ってホンマ、むかつくよねww

2010年05月29日 | 過去記事
夜の盛り場などの社交場では「政治と宗教、プロ野球の会話はタブー」だとされる。おそらく日本だけだと思うが、私が考える理由は二つある。ひとつは一般的な理由、世界共通の理由で「熱くなるから」だ。人間関係を壊す恐れがあるとされる。ある程度のコミュニケーションをとったあとの「タイガースファンとジャイアンツファン」の会話などは「悪口漫才」みたいで面白く発展する場合もあるが、見ず知らずの生意気そうな若造から「アニキ金本」の悪口が聞こえて来た日にゃ、その先、いったいどうなるのかという話だ。

今なら「民主党の悪口」はもう挨拶だが、それでも世の中いろんな人がいるから、日本で飲むときは避けたほうが賢明かもしれない。しかし、本来は「熱くなるからこそ面白い」わけで、さっきの阪神ファンと巨人ファンのように、コミュニケーションを経た状態ならば、盛り上がること間違いなしの話題でもある。だから親兄弟、親しい友人などとならば、積極的に交わされる話題でもあろう。長年一緒なら、話題のストックは使い切るはずだから、新鮮な話題はいくらあっても多すぎない。

また、こういう話題こそ、互いに感じる価値観のギャップや、自分と違う感性での受け止め方などは、他人でなければ得られない情報ですらある。ある意味、その人物にとっての非常に貴重な情報なのだ。でも、日本人はあまり親しくない相手、ましてや初対面の人物から貪欲に情報を集めようとはしない。だから危なげない会話のつもりで、初対面の人に年齢を聞いたりして、白人が驚いたりする。ただ、これも良くも悪くもリスペクトすべき日本の文化、ダンスを踊れない、スピーチが下手なのは謙虚で引っ込み思案なだけではないのと同じで、祭りでもあるまいし、単に嬉しくて踊り出すのは子供か、ちょっとアレな人だというのが常識になる日本ではそれでいい。

スピーチがヘタクソ、当たり前のことを述べるだけで終わるのも、日本人は本来、今の総理大臣とは違い「自分の言葉」を大切にするからだ。ABCの白人に「日本人の言葉を操る凄さ」がわからなくとも仕方がないが、それに、そのような「ふざけた態度」を安心して晒せるのは「気を許した限られた人」の前だけである。冗談を言ってよい人と場面を選ぶだけで、言えないわけではない。また、日本人は踊らないし、踊れないけれども、気を許した相手ならふざけたこともできるユニークな民族である。それは日本の「お笑い文化」をみるまでもない。

さて、もう一つの理由は全く逆で「寒くなる」からだ。もしくは「面白くない」といってもいい。場を白けさせるにはもってこいだ。自分なりに理由を説明可能な支持政党、信念と勉強に基づいた宗教観、あるいは白熱する宗教論などは日本の酒場では考えられない。最近ではついに「プロ野球の話」も疲れてきた。どの球団に誰がいるのか、だんだんと薄れてきてしまった。興味がなくなってきたのである。テレビでもサッカーが盛り上がらないとやっているが、その理由を「日本が弱いから」にするのは安直に過ぎる。仮に「強ければ」少しはマシだというだけだ。もっと根本的要因があると思う。ちょっと書こう。

私はよく「テレビはだれが作ったか?」と聞くと書いたことがある。答えは高柳健次郎だと言っても、はぁ?だれそれ?となると書いた。私はその理由を「教えてもらっていない不思議」のわかりやすい実例として挙げるのだが、実はもう一つ理由があると思う。

それは「興味がないから」である。

旺盛なる知的好奇心と学校などにおける実際の成績や、取得している資格やスキルなどは比例しない。何らかの必要に駆られて得る知識や資格ではなく、動機は単純、好きだから、気になって眠れないから、という好奇心からなる活動が減退しているのかもしれない。

学校で「エジソンが電気事業を始めたのは1880年です」と教えてもらう。でも、そこでふぅんと終わる。でも、これ本当は結構、不思議な話である。例を変えよう。

あなたの父親が「プロ野球選手だった」と聞かされたとしよう。あなたは驚くだろう。そこでブラゼルのことを聞く、マートンのことも聞く、アニキ金本の右肩の具合を聞く、ついでに4番打つ新井のことも聞かされた。ンで、そこで話が終わる。すると、そこでふぅん、となる人はいない。ええぇ!ちょっと待って!とうちゃんは!!??と聞くことになる。問題はそこだ。

帰属意識。自分が日本人で日本という国に帰属するという意識があれば、聞くなと言っても気になるのが本当なのだ。山田バーで私ごときが戦前の日本のことなどを話すと、私よりもずっと年上のオサーンなどが「よう知ってるな?にいちゃん」と驚くが、実のところ、驚くのはこっちのほうである。私がいま、何気なく話題に沿った話をしたのは、随分前にコンビニで買った本を読んだからである。誰でも出来るいんたーねっつで調べたからである。やほーである。ぐーぐるである。それも虹の親父のように年号から人物のフルネーム、軍事用語に国際条約に、新世界の串カツ屋の値段から兵器の正式名称、ハリウッドから日活ポルノ、ガンダムからダムダム弾の話、マチルダ中尉からAV女優まで立て板に水、語りつくせぬ青春の日々の山田バーの空からはもう、明けの明星が東の空に一条の光なわけではない。ちょっと言っただけ、である。つまり、

「エジソンは1880年に電気事業を起こしていた」

と聞けば、んじゃ、日本はどうだったのかと調べて、なんともまあ、そのわずか7年後に日本に電気が通っていたのだと驚くことになる。そこから、んじゃ、韓国は?中国は?ヨーロッパは?アフリカは?となる人がいてもいい。しかし、日本人が日本で暮らすならば、んじゃ、日本は?は前提条件である。そこに「興味がない人がいても自由」などという阿呆を抜かすから、社会的規範が失われて無統制な世の中が出現して困る。急性アノミーだ。

店の電球が切れて交換するだけがやっとの私などは、素直に「日本すげぇ!」となる。明治の初めには「東京電灯」という電力会社ができたと知ってビビる。大正5年には東京や大阪で80%の家庭に電気が通っていたとあれば感動する。もちろん、庶民は買えぬが、その時点でトースターや冷蔵庫、電気掃除機にクーラーまであったと知れば「ALWAYS三丁目の夕日」をみて、修理工の主人がテレビはともかく、冷蔵庫に手を突っ込んで「冷えている」ことに感動しているシーンもちゃんとわかる。テレビは映ること自体に驚いて、冷蔵庫は自分の手元に来たことに驚いているのだとわかる。戦前の日本は冷蔵庫もなかったなどという誤解はしなくて済む。ンで、これと同じようなことは無数にあるわけだ。

「エジソンはすごい」は結構だ。いろんな意見もあろうが、ともかく、OKだ。しかし、エジソンがすごいなら高柳健次郎もすごいだろ?というだけだ。外国人にすごい人がいれば、日本人にもいたんだぞというだけだ。そして、それは往々にして「日本人に言わねばならぬ」から情けないのである。少なくともまだ、在日韓国籍である私に「日本のすごさ」を解かれる日本人はおかしいだろ?ということなのだ。だから、最近の日本人の社交場でのタブー「政治・宗教・プロ野球」は、共に「知らぬ者同士」だから成り立たぬだけなのだ。

これが酷くなると、どうなるか。すなわち、今ある現実の自分から「過去の日本」を評価する機会を与えられた日本人のことだ。日本人は謙虚で引っ込み思案だと書いた。アングロサクソンと違って前に出て、オレがオレがとやらぬ文化を持つ。国際博覧会のチケットは並んで買う民族だ。今日の獲物がとれた喜びを神に感謝するのではなく、お天道様と大地に感謝し、共に働いた仲間と共に喜びを分かつ民族は、知らぬと引くのだ。それが美徳とされているからだ。腐った思想を放り込まれる以前に、日本人が日本のことを正当化するのはちょっと・・・となる民族文化がある。

いえいえ、たいしたことありませんよ、と知らずに言うことが世界のどこでも肯定されると信じている。しかし、これは白人に限らず、どの国でもどの民族でも、どんな小さい部族であっても、自分の祖先を悪く言うことはあり得ない。今、その場で祖先を貶めている人物が存在する限り、その祖先はいたからである。どんなにくだらぬ人物にでも祖先はいるからである。その祖先を非難することは、いま、この糞平和な日本で高いスーツを着て、高い車に乗って、給料の高い仕事をして、なんともまあ、世界がうらやむいえいいえいと暮らしていても、今現在をすべからく否定していることになるからだ。

これほど阿呆に見える瞬間があろうか。いま、テレビで「昔の日本はダメだった」ということが、いったい、どういうことなのか。それは小さな子供が与えられた玩具を持ち、与えられた服を着て、与えられた食べ物を喰いながら、これらは全て自分の力だと言い切るに等しい幼児の戯言なのである。

以前、務めていた会社の若社長が、居並ぶ幹部社員の前、自身の実父が会長を務める会社の幹部会の席で「ボクの人生(の評価)はホールインワンです」と言い放った。総業30年、70を超えた創業者の父親がその直前、今までの経営の歴史を振り返り「私の評価はダブルボギーがいいところです」と言った横で、入社して間もなく、最高幹部になった長男がそういう無様を思い浮かべればわかる。父親が大きくした会社、それを粉骨砕身、支えてきた幹部連中の前で、30にもならぬ若輩がカップインなのである。

私はそのときの、おじいちゃんの表情を忘れる事が出来ない。私はその会長とふたりで飲んだこともある。どれほど、その長男が可愛いか、女の子ばかりが産まれる中、ようやく40を過ぎて出来た、待望の長男ができたときの嬉しさと興奮を私に語ってくれたことがある。「私のすべてを捧げてもいい」と言ったあと、おじいちゃんは自嘲気味に笑った。

失礼ながら、本当に惨めな老人だった。哀れ過ぎて言葉も出なかった。

その後も、通常の会社では考えられぬ無様を何度もみた。いくら実の親子であろうが、その社のトップに対し、入社間もない若造が暴言を吐いて会議室を出たこともあった。古い幹部の前で罵倒されたところもみた。おじいちゃんはオロオロするばかりだが、古い、甘い、時代が違う、空気を読め、など、およそ部下が経営者に対して口にする言葉、言い方ではなかった。私が幹部会の席で「家に帰って風呂場でやれ」と聞こえる声で言い放つと場が凍った。「あいつ、お父さんの背中流したことあんのか」と言い捨てた。

祖先を敬うことを忘れるとはこういうことである。それはいずれ、段々に下がり、最後は両親や祖父母となる。事実、成人して仕事もせずに、中学生のように暮らすゴクツブシが一人前の消費者気取りで威張っている。母親を女中とし、父親を人夫だと思っている。最近、父親の給与を管理していたという餓鬼もいた。

自分は何もせず、何もできず、今ある便利で豊かな生活を、まるで自分の成果のように振舞い、思うようにならぬ小さな人生の隙間でもがいて迷惑をかける。さっさと死ねばよいのだが、自分は悪くないから誰かを巻き添えにしようとする。親に対する感謝を忘れたニンゲンが人として暮らすことが困難なように、先祖に対する感謝を失念し、あまつさえ扱き下ろすことで自己を正当化する連中はもう救えない。大学教授であろうが、ジャーナリストであろうが、政治家であろうが、総理大臣であろうが、そんな連中は空っぽだ。酔っ払い相手に大声でやっていればいい。マトモな人は相手をしない。


今日、鳩山総理は福島大臣を罷免して記者会見を1時間もやった。どちらもアレだが、形としては選挙前から公約として挙げた「沖縄から基地を出す!」と言い通した大臣が、途中で公約を「私が言っただけ」と開き直った総理に切られるという異常事態である。福島大臣は「公約を守ったから切られた」わけであり、会談では「公約を破れ」と説得されたという史上稀にみる「阿呆VS阿呆」の阿呆な争いであった。

鳩山は会見でつまり、学んだことからいろいろわかったと、それは日本国民の平和と安全維持のことだったと、それに海兵隊の抑止力について慎重に熟考した結果が、今日の閣議決定だと言った。書いたものを読まされているだけだから、こんなことを人前で読めるのだ。言うまでもなく、その御大層な結果とやらは、自民党の現行案のことだった。しかも、これは、それはもう、大勢の人から「現行案しかない」と言われ続けたことでもあった。

この馬鹿が「知らなかったわけでありますから」と言った12億6千万円の「こどもてあて」は、この馬鹿の祖父さんが地下足袋を売ってタイヤを売って、その金で株を買って稼いだ金であろう。社会出て金を稼いだこともないような世間知らずの罰当たりだから、いつまでも周囲に振り回されてわけがわからなくなる。アイスクリーム屋でアルバイトして大統領になったオバマからすれば、ホントに馬鹿に見えているのだろう。擁護するわけではないが、鳩山由紀夫は勉強のできる世間知らずなだけだ。本当に友愛とか、虚ろに考えているのだろう。今回の件も謝罪して、また頑張ればいいと本気で思っている。責任などとったこともないのだろう。周囲の左巻きから「放り出したら自民と一緒、最後までやり遂げることが責任です」と言われたら、うんうん、そうだね、と言っているのだろう。

そういえば、この馬鹿は最近、全国の知事を集めて「どこか基地受け入れてくれませんか?」という馬鹿丸出しをやった。その際、また口が勝手に動いて「尖閣は日中間、当事者同士で解決せねばならない問題だ」と抜かして、また、叱られた。さすがの岡田外務大臣ですら「尖閣は領土問題ではない」と当たり前すぎるコメントをせねばならないほどだった。支那共産党も驚いたのではなかろうか。予想出来ぬ阿呆さ加減である。

しかし、本当にその程度の認識なのだ。何も難しい話ではない。本当にそれだけなのだ。忙しい記者さんを集めた会見でも、この馬鹿は「腹案」とは鹿児島県の徳之島だと明かした。誰か驚いた人いるか?金曜日の夜だというのに、何もなければ東京の繁華街では経済活動が行われたはずだが、この馬鹿が記者会見をすると言い出し、それは5時から7時、最終的には9時になったのだが、その席で福島を罷免したと聞いて、こりゃ大変だと、慌てて本社に連絡を入れた記者はいるか?この馬鹿は記者さんの家族、東京近辺の居酒屋や料理屋、夜の店などにも謝ったほうがいい。馬鹿とは迷惑をかけるのだ。その馬鹿をトップに据えた国が、周辺諸国から馬鹿にされることはもう覚悟したほうがいい。

また、

馬鹿にするだけで勘弁してくれる国は、日本の周辺にないことも友愛は知らないだろう。

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