忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ルーピーTシャツは買ってません

2010年05月31日 | 過去記事
「ブービー賞」というものは日本特有らしい。わざと狙える最下位ではなく、ビリから2番目に与えられる賞のことだ。町内会のボーリング大会や社内レクリエーションのビンゴゲームなんかでも「ブービー賞」の賞品や賞金は優勝と変わらぬ高価なものだったりする。みんなが最後まで楽しめるように、最後までチャンスを消してしまわぬように、という観点からであろう。ま、そう言われれば日本的な感じがしないでもない。

また「loopy」が「愚か」ならば「booby」はもっと酷くて、語源となるスペイン語の「bobo」とは「まぬけ」という意味になる。しかし、日本ではブービー賞を狙える人を「ブービーメーカー」として盛り上げる傾向がある。成績は良くなくとも、ゲームを最後まで盛り上げてくれる人は愛されるわけだ。真面目な「まぬけ」は愛されるのだろう。

ところで、ワシントンポストから「loopy」の称号をもらった鳩山総理だが、最近はもう、着ている服まで叩かれた。例えば「鳩カフェ」で着用していたカラフルなシャツがそうだ。まあ、服のセンスについて私が文句を言うのもおこがましいが、たしかに派手なシャツだった。もちろん、アレはさすがにタダでもいらない(笑)。そのシャツの出所とされたイタリアのメーカーは「絶対に当社の商品じゃない」と言い「最悪だ」と貶していたと報道もされた。あまりの言われようだが、もちろん、シャツに罪は無い。あの派手な柄も役に立つかもしれないじゃないか。目の検査とか、な。

ンで、やはりというか、なんというか、鳩山総理は2005年、週刊誌で「結婚した時に服は全部捨てられた。今の服は全て妻が決めている」と惚気ている。つまり、あの「毒のある虫」みたいな柄のシャツは幸夫人がコーディネイトしたものなんだろう。実にオカルト好きの夫人らしい「不思議センス」である。あの有名な「ハートがいっぱい」の柄シャツも同じく、夫人の趣味なわけだ。ま、そりゃ結構だ。

私も基本的に「仁義なき戦い」とか「ミナミの帝王」などから「あ!これかっくいー!」とかなるから、頼むから止めてと慌てた妻が服を買うことが多い。今着ているものも妻が選んだものだ。また、私の場合「サイズ」も大きな問題だ。「5L」とか「6L~」がある店に行くこともある。私は「デブ屋」と呼んでいる。店のねーちゃんにも「すいません、この柄で5デブありますか?7デブしかないんですけど・・」とかやって妻に叱られる。

その店、実際に力士が買いに来る店らしい(笑)。関取は弟子と一緒に試着室に入るから「デブ屋」の試着室はテーブル置いてテレビとソファがあってもいいくらい広い。はっきり言って住める。だから、私はそこでは「小さいサイズ」を探す羽目になる。

なんたる中途半端な男なのか。太るなら太る、痩せるなら痩せる。禿げるなら禿げる。40までにはしっかりと決めたい。不惑というくらいではないか。虹の会長も「髪の毛不要論」を述べるほど惑わない漢である。

また、私はその「デブ屋」でも妻の意見を聞く。というか、決められる。私が気に入ってチェックした服は全てNGを出される。稀に買ってくれることもあるが、それは「おとしゃんが欲しがったから」という妥協案である。まさに私の「腹案」、いや、服案はすべて却下されるのである。「なんで、龍とか虎の絵がいるのん?」と問われても、それはもう「好きだから」としか答えられない私も勉強不足であるのだが、じゃあ、その「イチゴ柄」のポシェットはなんだと問い返せば「かわいいから」だと断ぜられる。未だに理解不能だ。

しかし、だ。

例えば私の「勝負ネクタイ」は「赤色」だったりする。赤は好きな色ではないが、大きい会議や、今日はちょっとやっちゃうよ?という会議の日は「赤色」のネクタイをつけて会社に行った。古い社員はその日、私が赤色のネクタイを締めていたら、ああ、今日は何かあるな、と推測するほどだった。私も鳩山総理に負けず、思いつきで物事を決めるときがあるから、要するに次の日が怖いわけだ(笑)。

でも、その「勝負ネクタイ」は妻の斡旋ではない。スーツの色もそうだ。およそ「仕事に通ずるもの」は、やはり、私が決めていた。とはいっても、夫婦で特別にルールを策定したわけでもなく、自然にそうなっていた。いわば「妻が介入できぬところ」が仕事だった。

いま、多くの「おとうさん」は共感してくれているのではなかろうか。そうそう、うちもそうだよ、という人が多いだろうと勝手に思っておく。つまり、それは普通だからだ。

公私の区別である。如何にラブラブ夫婦であれ、私生活は妻にお任せ、言われたとおりにはいはいと、妻の後に続くふにゃふにゃでも「仕事」となれば話は別で、そこは言わずとも理解してくれるのも妻の器量、仕事のことはあなたにお任せでなければ困る。嫁さんが男の仕事に口を出し、例えそれが正論であっても不細工なものだ。そこは違う理由でダメだとわかる。「何でも言い合える夫婦」は結構だが、なんでもかんでもそれでは成り立たない。古臭くもなんともないが、妻が「後ろを黙ってついてくる」とわかっているから、男は外で覚悟を決めて前に出られるのだ。これが出来る嫁さんを「あげまん」とかいう。

だから、鳩山総理が夫人とデートの際、南米の珍しい魚みたいなシャツを着て喜んでいてもいい。プライベートでならば全身金色のスーツで「すまんのうぉ~金持ちのボンボンじゃ、許せよぉ~」と言いながら歩けばいい。しかし、有権者との面談や、各種会合などの席であれば、ちょっと話は変わってくるはずだ。しかも、現在は我らが日本国総理大臣様である。公人である時間が長い。外国のマスメディアも写真を撮る。日本の総理大臣が原油を浴びた阿呆鳥みたいなシャツを着てれば国民が恥ずかしい思いをする。

でも、まあ、服だけなら笑って済ませることもできる。

今日、鳩山総理は韓国から帰国したと思うが、政府専用機のタラップから降りてくる際、幸夫人と手を繋いでニヤニヤしていた。虫唾が走った。

そういう「けじめ」がないから、こういうことになる。今回の外遊とは単なる日韓における首脳会談ではあるまい。韓国軍の46名が亡くなり、靖国神社には近寄らない鳩山総理だが、ちゃんと韓国海軍の慰霊碑には頭を下げに行ったわけだ。また、いうまでもなく半島の緊張感は増している。在韓米軍と韓国海軍は「レベル2」まで警戒レベルを上げている中、日本の総理大臣は「韓国を全面的に支持する」と言った会談だったはずだ。それに北朝鮮には未だ日本人が拉致されたままでもある。

これは普通、日本の政治家ならば嫁さんとおててつないでニヤニヤする場面はない。しかし、どいつもこいつも、まあ、いちいち真剣さが無いのは民主党の特徴なのだろうか。赤松大臣も先日、種牛49頭のうち2頭が発熱したと記者から聞いて、何が面白いのかわからんが、ニヤニヤしながら腰をくねらせて笑っていた。「しらない、はははは、だから、早く殺せっていったんだよ」と、およそ正常な感覚とは思えぬセリフを吐いて国民を震え上がらせた。こいつはもう呪われろ。


私はよく職場で冗談を言った。重い話をしている部下を茶化すこともあった。邪魔をして遊んだこともある。リラックスと言えば聞こえは良いが、頭の固い人からすれば「ふざけているだけ」だと叱られるかもしれない。しかし、だ。私は「現金を査収しているとき」にふざける者がいれば烈火の如く怒った。猛烈な怒声で叱りつけた。二度と忘れないように、気の弱い者や女性なんかは凍りつくほど怒鳴りつけた。理由は簡単、危険だからだ。

それに、私もそう教えられてきた。ペンキ屋でバイトしたとき、私がいくら仕事が遅くとも、にっこり笑って「すぐ慣れるよww」と言ってくれる優しい先輩は、私が屋上での作業中、言われたことを守らず、フェンスの外に出て「養生」のテープやビニールを剥がしていたら、殴られるのではないかと思うほど叱り飛ばされた。これも危険だからだ。


また、ひとくちに「危険」といってもいろんな危険がある。

直接、身体に危険が及ばずとも、それらを許すこと、看過することによって、結果的に重大な危険を招くような事柄は同じく叱られることになった。例えば「道具をまたぐ」とか「商品に座る」とか、その仕事そのものに対する姿勢を咎められることもある。これもある意味、とても危険なのだ。




――――「けじめ」を失えば「しめし」がつかなくなる。

他のことはともかく、これだけはダメだ、という「けじめ」がなければ、なにも「しめす」ことができなくなる。これが壊れると、例えば、職場でふざけるのは馬鹿だ、というだけの話になってしまう。そこで「緊張感の緩和における作業効率の上昇」を説いたとしても、それはただの言い抜けに過ぎなくなる。今の鳩山総理がそれだ。

鳩山総理が熱くなって怒ったのは元自民党の与謝野氏から「おっかさんに金の無心をしているらしいじゃないか」と国会で言われた時だ。つまり、自分のことだ。マスコミから「5月決着」をしつこく言われた時だ。これも自分のことだ。要するに「けじめ」がないのだ。

だから、餓鬼みたいに嫁さんの選んだ服を着て馬鹿にされる。小さな子供に「なんて服着せるかなww」と思うことがあろう。それと同じだ。仕事の服、仕事の道具とは魂である。その魂を嫁に選んでもらうとは言語道断、話にならないのである。

医者がメスを選んでもらうのか?兵隊が銃を選んでもらうか?漁師が携帯電話で嫁さんに潮の流れを確認するのか?ボクサーのグローブ、野球選手のバット、サッカー選手のスパイク、選んでもらわないのである。遊びでやっているならいい。「ごっこ」なら夫婦で楽しくやればいい。手を繋いでニヤニヤとタラップを降りてくればいい。しかしながら、残念無念、この鳩山総理とは本物の「日本の総理大臣」だから困ったものである。

鳩山総理と民主党を中心とする連立政権は、尽く「けじめ」をつけなかった。昨日今日、社民党の福島瑞穂が「けじめ」をつけたと勘違いされているようだが、こやつらはその前提から「けじめ」など皆無だ。国会議員とは日本国の安全保障に関してだけは「けじめ」をつけてもらわないと困るからだ。西村眞吾氏いわく「国防は最大の福祉」である。「国を護る・国民を護る・国体を護る」これだけは「けじめ」がなければ話にならんのだ。

そして、至極当然、「けじめ」を失った政権は「しめし」がつかず。国民に何をしめそうとも「しめし」になっていない。そして、なにも「しめせない」政権とは存在意義もない。

簡単な理屈だ。つまり、いらない。

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