「ちよたろさん、あの、タカの目ってなんですか?」
職場の先輩。茶髪の兄ちゃんだ。小さな声で問うてきた。
―――タカの目・・・?それは、つまり、鵜の目鷹の目のこと?4字熟語だね。「鵜目鷹目」のこと。意味は水面に魚を探す鵜のように、中空から獲物を狙い定める鷹のように、何かを懸命に探すさまを言うね。ところで、それがなにか?
「いや、あの、そうじゃなくて、料理に使う・・・・」
―――ああ、それは「鷹の爪」だね。原材料は「鷹」も「爪」も使わない。トウガラシだね。乾燥させたモノだね。鷹の目玉は料理に使わないね。あ、恥ずかしがらなくていいよ。別にこんなの弄るのも邪魔臭いし。
「・・・・・た、高いモノなんですか?」
―――50グラムほどで78円か98円で売っているね。なるほど、ペペロンチーノだね。
「・・・!!な、なんで・・わかったんです?」
このアンちゃんは数か月前、自炊するのが邪魔臭いから彼女と住んでるのに、とかカッチョヨロシイことを言っていた。男子厨房に入らず、だ。それが最近、ちょっと変わってきた。過日の朝、目玉焼きを作ってトーストに載せて出したら、彼女がたいそう喜んだのだと、たいそう喜びながら私に話してくれた。今度はサラダも付けてみようと思っている、と私に関係ない内緒の計画まで教えてくれた。ま、これからも仲睦まじく暮らして欲しい。
―――ニンニクの粗切り。それと鷹のツメをオリーブオイルで炒める。「ボスコ」って書いてるのを買うんだ。キミは相当なアレだがアルファベットは大丈夫だな?「BOSCO」だ。量は適当でよろしい。そして弱火でじっくりだ。そこにソーセージでもベーコンでもいい。ともかく、カリカリにする。味付けはここだけだ。コショウは少々濃い目にする。それで茹でたパスタと・・
「からめるんですね!!」
―――そうだ。もう教えることはない。それに先日チャレンジしたサラダも添える。イタリアンシェフもびっくり。彼女が大喜ぶこと、コレ必定。
妻の職場の友人。旦那さんは亭主関白。嫁はんをぶっきらぼうに突き放す。昨年までは、
「新年会ぃ?ンなもん、勝手に行け」
とのことだった。それが今年、劇的な変化を見せる。
「新年会ぃ?ンなもん、迎えに行くから終わったら連絡しろ」
他の友人。その旦那も「旅行だぁ?ンなもん、仕事が忙しくて行ってられるか!」とのことだったが、昨年、ついに「温泉でも行くか?途中に獲れたて市場に寄って、それから夜はイルミネーションがあるらしいから・・・」となる。結婚して10年と少し、その友人は泣いて大喜んだのだという。
私も昨年、職場で男性職員から問われた。クリスマスのサプライズとかだ。私も毎年、いろいろ練るからアイデアはある。
例えば、迎えに行く。その際、電話をする。クリスマスや誕生日の待ち合わせだ。相手も待っている。そこに電話で「ごめん、ちょっと友達が乗ってるけど、ごめん」とか言う。人数は「たくさん」とかだ。彼女は少し不安、且つ、不機嫌な返答をする。なんでこんな日に友達なんか乗せてるのよ、と言いたいけれど、せっかくの楽しい日に喧嘩はちょっとマッタとなる。だから、ともかく待っている。
私の場合は車の中に「くまのぬいぐるみ」を50個置いた。助手席から後部座席、足元にもいっぱい置いた。そして真顔で「ごめんな、どうしても乗らせろ、ってな」とやる。クマだらけの車に妻を乗せると、妻はきゃぁーきゃぁー言いながら大喜んでいた。これは「バラの花」でもいいが、後が大変だから、何か別のモノのほうがよろしい。
入院中もやった。その日は妻の誕生日だった。私は事前に段取りを進める。病院を抜け出して立ち飲み屋と古本屋を回るついでにファンシーショップやジュエリーの店もチェックする。安売りもしている。どれでも5個でナンボ、とかもある。「メイン」はちゃんとしたのを買うが、そのオマケも重要である。私はやはり十数個用意する。それを病院横の喫煙所、その周辺の植え込みやらベンチの下に隠す。私はその場所で待っている。
妻が面会に来てくれる。私は「今日は誕生日なのに」と謝罪する。しかし、妻が座ろうとしたベンチには既に可愛らしい袋がある。これなに?・・・しらない、とやる。
開けると小さなハートがついたピアスが出てくる。妻は「ありがとう」と言うが、まだ、私は知らないで通す。そこでベンチの下を指して、コレは何?とかやる。そこにも袋がある。妻は作戦に気付き始め、周囲をウロウロ探し回り、都度、その場できゃぁーきゃぁーやる。もう探し切ったと思われる頃、看護師さんに呼ばれる。妻は病室に戻るように言うが、ちょっとマテ、まだ2個ある。
いまの職場での飲み会。終わった頃に妻が迎えに来てくれる。若い先輩職員も一緒に家に送る。職員らは例外なく、私と妻の仲良しぶりにドン引く。ドン引いたくせに、翌日なんかに質問を浴びせてくる。相手次第だが、私は色々と話すこともある。仕事とか結婚とか、人生とか家族とか。大切なモノは尊重して認めねばならない、とか偉そうにやる。
妻は女友達に私のことを話すとき、ちょっと丁寧に話す。「今日は休みだから家で寝てる」というときは「寝てはる」と謙譲する。職場の飲み会で誘われても「おとうさんに聞いてみる」となる。当初、同年齢の友人からは「いい年こいて旦那の奴隷か」とかやられていたらしい。その友人のひとりは先ほどの「温泉旅行」の人だったりする。でも、最近から妻の真似して「今度の土曜日、仕事場の飲み会があるけど行ってもいい?」と言い続けた。当初、旦那も「はぁ?」ってなもんだったろうが、いつしかその旦那が旅行に誘って来たわけだ。
ま、つまり、だ。我ら夫婦の「仲良しオーラ」は周囲の夫婦やカップルを仲良しにする威力がある。そこでいまなら特別、この「オーラ」を詰め込んだ小瓶を十人様限定、3本限り、1本九千八百円でご提供、消費税、送料、手数料は民主党が負担いたします、と言いたいところだが、我ら夫婦も喧嘩くらいする。先日は大喧嘩。もう少しで協議離婚、子供はともかく、犬をどちらが引き取るのか、という骨肉の争いに発展する可能性が0.1シートベルトほどあった。原因は「たら」だ。そう、魚の「たら」である。
その日、私は「たら汁」を作ろうと企てていた。職場の五十代女性から聞いたのだった。その東北出身の女性は遠い目で「結婚していたとき・・・主人によく作ってあげたの・・」と言っていた。そんな思い出メシ、聞かされたら味わってみたい。それに簡単そうだ。
妻に頼んだのは二品。「ササガキゴボウ」と「タラの切り身」だ。あとは冷蔵庫のモノでなんとかなる。しかし、だ。「ササガキゴボウ」はあったのだが、もう一品がなんと「ぶり」だった。これは喧嘩になるのも無理はないというモノだ。このままなら「ぶり汁」になる。
―――なぜにそういう細かくて大事な部分を間違えるのか。
「あした、タラ買って来るやん」
―――それでは、魚ばかりじゃないか。
「肉あるやん」
―――それでは肉汁、というか、それはもう、料理ではないじゃないか
「もう、うるさい。ハゲ。ぶち殺すど」
―――圧倒的、且つ、絶対的に口が悪い。せめてデブと言いなさい。お仕置きスペシャル発動。「もけけスペシャル2012」!(※もけけスペシャル・抱きついてくすぐりながら頭を噛んだりする。毎年、バリエーションは変化するが、基本的に同じようなもの。鼻に喰らいついて舐めまわす“鼻ポセイドン”や、肩に担ぎあげてお尻を揉みこそばす“ケツぐるま”などもシリーズ化されている)
「ぐぎゃぁぁぁあああ~~!!」
・・・・というわけだ。裁判になっても私が勝つことは法学部の倅も断言している。
自分で10万円使って遊ぶ。コレの価値はどこまでいっても10万円。しかし、だれかに10万円使ってみる。この「心理的価値、多幸感」は倍以上になることがわかっている。つまり、自分が仕事終わりに買って飲む缶コーヒー。これを事務所で残業している「大嫌い」に差し入れる。心理的価値は120円を突破する。疲れた自分が飲もうと買っておいたドリンク剤。これをその日が夜勤の同僚に差し入れる。疲労回復はバカンスに匹敵する。
人間はだれかを喜ばせることで幸せになれる。小さな喜びは大いなる幸せに昇華する。人は誰かを護ることでしか強くなれない。そのとき小さな力は強大になる。そして、人は幸せになって強くなると「前を向く」。前を向くと道を誤らない。
腐るほど聞かれる「結婚してよかったこと」。それは「喜ばせる相手」を得たということ。無理なことをしなくてもいい。サプライズなんていらない。病気が治っただけでも喜べるし、喜んでくれる。子供が生まれたり孫が生まれたり。子供が受験に合格したり、結婚したり。給料をもらう、犬の散歩をする、晩飯の用意をする、という「日常の生活」においてすら「ありがとう」を言い合える相手を得るということ。すなわち、極普通の出来事をして、互いに心から喜び合えるパートナーを得るということ。
「結婚して良かったと思うことは?」は既に愚問だろう。
我ら夫婦の結婚記念日は昨年12月で19回目。今年は20年目に突入。正月は妻の実家の集まりに顔も出した。毎年恒例、大阪の居酒屋で宴会だ。70歳を超える「キングじーじ」も入院先を抜け出して参加。交通事故に遭って鎖骨が砕けた、とか笑ってる場合ではないが笑ってしまった。強面のハゲ頭だから曾孫は逃げるが、それでも目を細めてニコニコしていた。二十歳になった孫、つまり、我が倅とも一緒にビールを少々。感想を問うと「ヘンな感じ」と言っていた。私も同感だったと伝えてから、仕事で来れませんすいません、の娘の旦那トカゲの悪口を言うと、キングじーじは「わしも同感だった」とか嫌味を言う。
まだまだ呆けてはいないが、今年もこの「キングじーじ」は私に「おおきに、ありがとう」と「よろしゅうたのむで」を言った。妻を真ん中にした三姉妹。今年も妻を中心に大騒ぎで大笑いだった。我ら旦那衆と妻の兄は隅っこでちびちび。野郎ばっかり固まってぼそぼそ。たまに声がかかるとアレとってコレとって。コレを注文して、この大皿は下げて。
妻の姉、つまり長女の旦那から言われた。「こうなったのはだれの所為?」。
幸せオーラは伝播する。楽しいも嬉しいも伝わる。つまり、私の所為だ。
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久代千代太郎
ぽんこ
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