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忘憂之物

LGBT法案来週提出調整サミット前成立は困難





コロナのバカ騒ぎも沈静化しはじめている。8日のなんとかステーションでも物悲しげなBGMと共に、全国の感染者を示す「お馴染みの日本地図」を写しながら、アナウンサーが「この画面を使うのも、もう最後になってしまうかもしれません」と寂しそうに言っていた。

怪しげな専門家も「5類になったからとはいえ油断してはならない」「通常のインフルエンザと同じと考えるべきではない」「現在、また感染者数の増加がみられる」とか悔し涙に暮れていた。我々はまだあきらめないぞ、という決意を示す者、もう、終わりなんですね、と寂しがる者が混在していたが、普通に働いて暮らす巷では概ね歓迎ムードだと思う。

我が社も例外ではなく、相変わらず多い無駄な会議だが、何十人か、同じ会議室に集って行うことも増えてきた。そういうときは東京の本社か、地方なら貸し会議室などで行うから、ちゃんとその後の「飲みを伴う会議」も復活し始めている。往々にして、そこではポロリと本音が出たり、核心を突く鋭い意見が出たり、画期的と言って差し支えない提案がなされたりする重要、且つ、貴重な場である。

そこで交わされる会話は様々だが、それは大人の集いであるから、仕事関連の話の隙間、それなりに政治や経済、社会情勢、国際情勢の話などもしているようだ。「ようだ」というのは、私はほぼ参加しないからだが、とはいえ、私もぽつんと「ぼっちくん」なわけではなく、それなりに何人か、私の周りにも人はいる。その日は「何故、橋下徹の動画の再生回数が数千とか、しょぼい回数なのか。比して、谷津義昭の『おりゃチャンネル』なんかで『谷津義昭が選ぶバックドロップの使い手ベスト10』の動画が数万回再生なのはどういう現象か」みたいな話をしていた。バイデンのホワイトハウスの広報動画も悲惨なことになっているが、本当の意味での世間の興味はどこにあるのか、などを語っていた。

徐々に近くの席の何人か、そこは「少子高齢化」の話などをしていたと思うが、そちら側の何人かも谷津義昭に興味を示し始めている。私は、そら気になるだろう、興味あるだろう、と自信満々で「谷津義昭・義足の青春」の話を続ける。たまに「おりゃ」とか入れるともう、近くの席の何人かはうずうずしているのがわかる。まあまあの偉いさんが話しているのに、私が「おりゃ!」と発すると、完全に何人かがこちらを向く。

「谷津義昭が選ぶドロップキックの名手ベスト10」の話に移行したときにはもう、我慢し切れずに何人かがグラスを持って移動していた。そうだろう、そうだろう。少子高齢化みたいな詰まらん話よりも、本当に気になるのはドロップキックだ。藤波?鶴田?コブラ?コブラと言えば、その弟のミサイルドロップキックも凄かった、まあ、威力と迫力ならブロディかハンセンか、時折見せる長州のバランスの悪いドロップキックも味がある、いや、なにより32文を忘れてはいけない、などと話も興味も尽きないことになっている。プロレス談義なら3日はやれるだけのストックもある。

大人でも子供でも、自分の知らないこと、興味があること、答えが不明なことが気になる。考えたり探したり調べたり、つまり「勉強」も楽しい。好きなことの話もそうだ。以前、私はお笑い芸人と飲むことが少なくなかったが、中には朝までお笑い談議をするのもいた。私はファンとして、相手は芸人として、互いに「お笑いのここが好き」「お笑いが必要とされる理由」などを語り合うのであった。そこで共感したり、反論したり、説明したり、説得したりが楽しい。そのときはその芸人、翌日が「単独ライブ」だというのに明け方までふたりで一緒に飲んでしまったほどだ。

例えば、その偉いさんの言う「少子高齢化」についてもそう。あと何年もしたら、日本の人口がこうなってああなって。4千万人がどうしたこうした。だからもっと政治はこうあるべき、若い夫婦に手厚く、子育て世代に対してこうすべき、諸外国ではこうだ、先進7か国で日本はどうだ、みたいな安モンの政治家みたいなことを言う。実に面白くないし、本気で言っているなら、相当にセンスがない。だから株価が下がっているんじゃないのか、と不安にもなる。ちゃんと「ライガーチャンネル」だけでも観るべきだと思う。

そもそも、人間はそんなに阿呆でもないから、実のところ「薄っすら」と気づいていることも多い。ただ理路整然と説明したり、具体例を調べて数値化してプレゼンしたりができないだけだ。そんなこと、仕事でもなければふつうはやらない。そんなにヒマな人はいない。

しかしながら、本質的なことには気づいている。だから、そこにごろんと「核心部」を転がされるとぴんとくる。「少子高齢化」などもそうだ。そこで偉そうに焼酎の水割りを舐めながら、知ったつもりの勘違いオヤジなどの話がクソ詰まらないのはその所為である。

例えば「少子化」の核心部分は「女性の社会進出」である(おりゃ)。

当たり前の話である。専業主婦を「男の奴隷」とかやった成果である。いくら男女平等を頑張っても、男性は出産できないからである。良いか悪いか、ではなく、要すればその程度の話なのであるから、こんなことは面白くとも何ともない。それに「専業主婦」が社会に参加していない、と考えている日本人はどれほどいたのか不明である。分かり切ったことを討論会で国会の場でわぁわぁやるから阿呆臭いし、面白くないし、胡散臭いのである。

「憲法9条が日本の平和を守っている」と本気で思う日本の有権者が多ければ、とっくの昔に共産党政権が誕生している。志位は22年前から「日本自治区」の首長になっている。自民党保守派なんぞ、いまの社民党みたいな扱いになっているはずだ。しかし、現実はそうなっていない。つまり、多くの日本人は薄っすら、立憲や共産党はダメだと気付いている。

いま、LGBT法案が喧しいが、これも同じく、多くの日本人は「ヘンだ」と気づいている。また、もっと前から、たくさんの保守論客も警鐘を鳴らしていた。それに日本をおかしくしようと尽力する連中も、べつに隠してもいなかった。堂々としていた。

村山政権発足の1週間ほど前、羽田政権末期に設置されたのが「男女共同参画審議会」だった。平成6年だ。ここに名前を聞いただけでぴんとくる活動家が入り込んでいたが、世間に「ジェンダーフリー」とか意味の分からん言葉が氾濫し始める。基本法の文言で揉めるのも現在と似る。このときは「性別に縛られず」の文言を「性別にかかわらず」に替えている。意味の違い、解釈の違いはわかると思う。

「男女共同参画基本法」が制定され、日本中に「男女共同参画推進センター」ができた平成12年。アチラ界隈の大物、上野千鶴子は松山市のセンター開館記念講演で勝利宣言もしていた。「男女共同参画基本法が可決された。しかも全会一致で。私はこのように思った。この法案がどういう法案か知っていて通したのかよ、と」「この後で保守系オヤジどもを地団駄踏んで悔しがらせてやる」と言っている。会場はきっと、大いに盛り上がったことだろうと思う。その後の対談本でも「よう通したな、こんな過激な法律を、と思いますが」(ジェンダーフリーは止まらない・フェミバッシングを超えて 上野千鶴子・辛淑玉)と本音を吐露している。隠していない。完全に日本人を舐めているとわかる。

「女子トイレ」を無くしたら女性は困る。これ、説明が必要なことだろうか。全米のミスコンでデブのおっさんが優勝する。これ、普通のことだろうか。格闘技を含む女性スポーツに元おっさんのごついのが参加して女性選手を負かす。格闘技なら致命傷も与える。これ、正しいことだろうか。「心は女性です」という変態おやじが事実として女風呂に入っている。これ、正常な社会だろうか。ここに議論の余地はあるのだろうか。これで喜んで安心しているLGBT当事者はいるのだろうか。迷惑だと思っているのではないだろうか。

こんなことは考えるまでもないのである。連中は「当たり前」を壊そうとしているのである。自民党もヘチマもなく、このような分断工作、社会の破壊活動に与する政治家を落とすのはもちろん、これを「良いことだ」と広めようとする地上波テレビ、及び、出演者を監視せねばならない。連中の眼前に「NO」を突きつけねばならない。薄っすらとでも気付いている人だけでもいい。日本人本気で怒らねばならない。おりゃ。


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