忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

LGBT法案、9日審議入り自民は与党案採決の構え成立の公算

2023年06月07日 | 随感随筆




トルストイはクリミア戦争に従軍し、そこで祖国のため部隊のため、血みどろになって戦うロシア兵を見た。その雄姿を塹壕の中で書き残して「セヴァストポリ物語」として世に出した。トルストイが見た前線の兵士はよく戦った。しかし、それでもロシアは負けてしまったわけだが、戦勝国、イギリスの調査報告書にも「ロシア将兵の個々人の勇敢さは将軍の無能、官史の汚職と公金私消のため、まったく無益に帰した」と残る。

要すれば兵士であれ社員であれ、現場の末端は死に物狂いで頑張っているが、その中間の管理監督者、更にはその上層部が私利私欲に惑溺しているなら、そのすべてが「無益に帰す」。いまのロシアだけではなく、全世界的にも言えることだとそこらの会社員でも知っている。

自民党も同じ。地方議員も含めて、本気でこの国を良くしたい、これ以上悪くならないようにしたい、と考えて懸命に働く議員はいる。有権者もそう。党員でなくとも、地元の議員の話を聞いたり、応援したり、投票したりして、懸命に意思を伝えようとする国民もいる。だから今回のLGBT法案はマッテくれと多くの国民は自民党議員に伝えたし、託された議員らも必死で活動していた。その結果として特命委員会、内閣第1部会の合同会議において、反対意見が上回った。民主主義国家の国民がやれることをやり、その代表者たる国会議員が然るべき場で然るべき仕事をした。それだけのことだった。

合同会議の場で反対意見が大きく上回った。民主主義国家ではそれでお仕舞である。廃案にするか、修正して出し直すか、はその後の話であり、取り急ぎ、結果は出たと誰でもわかる。

しかしながら、結果は「部会長一任」ということで、G7サミットの3日前、16日は党内手続きを終えて、与党政策責任者会議で「了承」する想定だという。記事でも「保守系議員の一部に異論は残った」とか、あっさり書いているが、要するに既定路線だったとわかる。

今回、中身が中身なだけに、メディアを使った世論形成も拙い。歪曲、偏向しようにも筋が悪すぎてどうしようもないのだろう。先月だったか「報道ステーション」で女性アナが「差別はいけないという当たり前のメッセージを伝えることがこんなに難しいのかなと思ってしまいますね」とか、安モンの小学生みたいなことを言っていたから驚いた。典型的なテレビ脳、無責任お花畑マインドだ。このレベルの頭が世の多勢を占めると国が亡ぶ。

そんなことは「難しい」と知れている。もし「簡単なこと」なら、第一次世界大戦後、パリ講和会議にて日本が提出した「人種差別撤廃案」が受け入れられて世界は平和になっている。しかし、実際は「人種差別撤廃案」が採択されたら、アメリカは国際連盟に加盟しない、という決議が上院でなされている。ちなみにこのとき「賛成票」が上回っていたのも有名だが、当時のウィルソン米大統領が「全会一致でない」を理由に否決している。いま、どこかの傀儡政権が部会で同じようなことをしたわけだ。

長年、日本は「アメリカの属国」とか「アメリカの準州」と馬鹿にされていたが、ようやく、アメリカの「どの傀儡だったのか」が具体的に可視化されてきた。日本のマスコミが総出でトランプを貶める報道を繰り返していたのかの理由もそこにあったと知れてきたが、やはり、その正体は「アメリカ」ですらなかった。その実、アメリカも極左的な勢力にボロボロに喰い尽くされている。共和党支持者だけではなく、古き良きアメリカを守ろうとするアメリカ人はいま、トランプの復活に望みを託し、バドワイザーを不買して頑張っている。

日本人の多くも「第三次安倍政権」に期待もしたが、昨年の7月8日、その希望の根元から奪われてしまった。しかも、そんなのいったい、誰が信じるんだ?というような茶番を垂れ流して、どうやら本気で「山上単独犯」で幕を閉じようとしている。このまま流れてしまえばいいと期待した阿呆な法案も、どうやら本気で今国会で成立させようとしているらしい。

これを止めるにはもう、立憲や共産に「頑張って反対してくれ」と頼む他ないと、筋の通った保守論客までもが泣いて縋っていた。あんなカスみたいな連中を頼るしかない、ということだ。つまり、打つ手がない。

ネットなどでも「LGBT法案は自民党の終わりの始まり」という書き込みもある。いや違う、それは日本の終わりの始まりだ、との返信もある。個人的にはそれも違うと思う。もっと以前から、例えば「男女差別を助長する」などという不気味な理由で言葉狩りが始まり、漫画のキャラクターや地元のゆるキャラに文句をつけて騒ぐ連中、テレビCMやドラマや映画にいちゃもんをするジェンダー関連の怪しい団体などをして、笑って小馬鹿にしていた油断こそが「終わりの始まり」だったかと思う。

いまも「除夜の鐘」や「子供の声」が煩いとクレームする妙なのがいる。最近では「田んぼのカエルが煩い」もいた。これを我々は半笑いで「おかしな人がいるなぁ」で済ませてしまう。もちろん、普通に生活している常識ある人は忙しいし、他に楽しいこともたくさんあるので構っているヒマもない。まさか、こんなことで我々の社会が分断されたり、伝統文化が破壊されたりなど想像も及ばない。しかし、事実として、我々自身が「貧乏人」を「低所得者」と言い換えて違和感を持たなくなってどれほど経つだろうか。

チェルノブイリを「チェルノービリ」と言い換えてまだ1年と少しだが、もう、キーフはキエフと呼んでいた、と思い出すことも少ない。これが子の世代、孫の世代になれば「キーフ」が完全に定着するのと同じく、いま、だれでも「スチュワーデス」を言わなくなった。若い世代は「スチュワーデス物語」と言われてもピンとこない。堀ちえみもびっくりだ。

日常会話で「昔はこう言っていた」という言葉はどんどん消えていく。差別的な意味がどうした、傷つく人がいるからどうだと、どんどんと言葉は狩られて変容していく。もちろん、時代の移り変わりは結構だ。みんながみんな「すゑひろがりず」みたいに面白くなるわけもない。しかしながら、この言葉はダメ、こう言い換えなさい、には注意が必要だったということだ。日本人だけでもないが、多くの人は安直なポリコレに油断し過ぎていた。

その代表的なのがNHKなどのテレビか。大河ドラマ「峠の群像」では「片手落ち」を「片落ち」に替えて意味不明にしていた。CMでも「男女」が絡む内容なら制作会社も苦労していた。男性タレントがインスタントラーメンを持って「ボク食べる人」と言えば、なぜ女ばかりが作らねばらないのか、と本気でクレームを入れる団体がいた。自動車のCMで女性タレントが「男だったら乗ってみな」と言っただけでも台詞を変えさせられていた。しかし、我々がそれらに笑って呆れているとき「男女平等推進フォーラム」などは税金を使って「フリーセックス」「妊娠中絶する自由」を喧伝していた。

公金で運営される「日本女性会議」とやらのワークショップでは、北原みのりなどが「バイブガールズ」と称して、大人の玩具を口に咥えるパフォーマンスで極左変態集団を喜ばせていた。普通の人は眉を顰めるが、しかし、それでも「ヘンな人がいるなぁ」と他人事で済ませてしまっていた。そしていま、性自認を「性同一性」という言葉にすり替えて、これなら大丈夫、と自民党内でも反対派が抑え込まれている。毎日新聞も「成立の公算」と勝利宣言している。たぶん、もう、手遅れだろう。

公的な施設のトイレにおいて「女性トイレがない」が異常だということは普通の感覚ならわかる。難しいことではない。さっきまで男性だった屈強な選手が「女性です」として女性の大会に出てぶっちぎりで勝利する。接触する競技や、そのまま格闘技なら洒落にならない怪我もする類の非常識をして、普通の頭の人なら「それはダメでしょ」となる。考えるまでもない。いま、このレベルの常識が通じない社会が目前に迫る。現実として、我々の生活を変容させてしまう。娘がいる人はもう、公衆浴場や温泉に妻と娘だけで「いってらっしゃい」と言えない。女風呂に入ってくるのは「はるな愛」ばかりではない。男性器をぶらさげたのが堂々と「女です」と入ってくる可能性は否定できない。それが事後、犯罪者として逮捕されますから、で安心できるお父さん、お兄さん弟さん、息子さんはいるか。

自民党内にどれくらい「官史の汚職と公金私消のため」に日本の文化、歴史と伝統を破壊してもいいという議員がいるのか、想像するにとても恐ろしい。

来月で安倍さんがいなくなって1年になる。日本が失ったものは途轍もなく大きいと、これから思い知ることになるのだろう。





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