男前の罠

月明かりが差し込むだけの薄暗い通路。そこに四つん這いになった全裸の老女がいる。老女は「もしもし、もしもし・・・？」と何かを問おうとする。少し離れた通路からは「きぃ・・・きぃ・・・」と車椅子の車輪が回る音・・・部屋からは年老いた人間の断末魔の如き「ぎぃやぁぁぁ！！！」という叫び声が響き渡る・・・・夜勤である。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110516-00000010-jij-soci
＜看護師の離職、減少傾向＝夜勤負担軽減が課題＞

＜2009年度の常勤看護師の離職率は11．2％で、前年度から0．7ポイント改善したことが、日本看護協会の「看護職員需給状況調査」で分かった。2年連続で低下したが、夜勤の状況からは依然として負担軽減が課題であることもうかがえた＞
　


私が通う施設にも「白衣の天使」がいる。全部で5人くらいいる。いずれもお近づきになりたくない感じのアレである。間違っても「合コン」などしたいと思わぬことだ。例えば、初対面であるにもかかわらず、仕事の連絡をしに行った私に対し、どすの利いた声で「わたしはキツイで。言い方とかキツイから」と、何やらわからぬ宣言をしてくるほどだ。また、この50代と思しき女性、おそらくは「キツイ」のは言い方だけではなく、生活とか婚活とかウエストとかもキツイはずだ。しかも独身だという（泣）。

岩石に絵の具を撒き散らしたような化粧を施し、毎日朝から厳めしい顔面をしながらも、明日にでも私が駐車場で待ち伏せし、真っ赤なバラを1万円ほど抱え、真面目な顔して「私事で恐縮ですが、私と晩御飯を食べてもらえないでしょうか」と刑事物語をすれば、この「白衣のクチビルゲ」はぽっと頬を赤らめ、あ、阿呆なこと、言ってるんやないで、わ、わ、わたしはそんな、お、おとこなんか・・・ということで、この岩石が貯め込んだ「結婚資金」という名の貯蓄をすべて吐き出させ、それを全部、被災地に送ることも可能だろう。

また先日、その中の一人、いや、まあ、この人なら「合コン」くらいしたい、というか、もし、しなければ「人類が絶滅する」という条件が無くても、まあ、一緒に酒飲んで遊ぶくらいはよろしいのではないでしょうか？という「白衣の天使」が話しかけてきた。ちょっとコソ―リした感じだったから、もしかすると、人類は絶滅するのではないかと思った。

「・・・続きそうですか？」

と質問された。私は「もしかするとダイエットとか・・？」と答えると笑われた。職場のことだと言う。私はう～む・・・と考え込んでしまったが、そういう質問をするときというのは、およそ、本人がその「質問の答え」に悩んでいるときだと思い出した。

「・・・・なんなんですかね・・・ここは・・・」





―――とにかく人が辞める。挨拶も気持ち良く、仕事への姿勢も素晴らしく、謙虚で前向きな人が辞める。つまり、4か月目に突入した私はそうじゃない（笑）。

しかしながら、昨日も今日も介護主任の男性は忙しそうだ。順次、施設職員らと面談をし始めている。「ポリシー」とかで敬語を使わぬ30歳の女性は涙をぬぐっていた。叱られたのだろう。介護主任は私が提出した「業務改善案」の「④」を実践し始めた。そういえば「辞められたら困る」で人材の育成や職場の風土、環境を放擲するなら、職場に管理職はいらぬし上司とは呼べぬ、というようなことも書いた。

先日、Ａ4用紙20枚ほどの「業務報告書」を提出した。人手不足が厳しい中、ふたりが異動、ひとりは諭旨解雇となった。他の何名かは施設側と揉めているそうだ。何か言われたのだろう。ならば月が変わるころにはまた、何人かが辞めることになるだろう。また、一般職員やパート職員を含むメンバーでの遊び半分のミーティングではなく、ちゃんと施設責任者が中心となった管理職の会議が緊急的に行われていた。何の前触れもなく、職場に流れだした「違和感」を察知し、多くの現場職員らはざわざわと浮足立ち始めた。


来月に副主任の内示を受けている男性のベテラン職員が、夜勤明けのベランダで気持ち良く、明けの空を眺めながらマルボロを吸う私に話しかけてきた。そう、私はタバコを止めれないのだった。すまんの。

頭がぼぉ～っとしたまま黙っていると、その男性職員は私を「副主任に推薦したい」と言ってきた。ボクじゃダメだと思う、とのことだ。もちろん、まだ仕事も覚え切っていない私だから、なにを馬鹿なことを言い出すのかと笑って聞いた。しかし、どうやら結構な本気らしく、思いつめた表情の彼は私をして「人の上に立つ人」だと持ち上げ出した。まったく、放っておいてほしい。そっとしておいてほしいのである。私はいま、先輩職員のみなさんに「休憩に行ってください」とか「これを先にやってください」と言うだけでお腹一杯なのである。

彼は勤続3年目、この業界には数年間いるという。年齢は33歳で独身だ。なかなかの男前で、後輩の私に対してもサイフォン式のコーヒーを淹れ、且つ、それを「冷たいのが良いと思いまして・・」と冷凍庫で冷やしてから出してくれたりする猛者だ。やはり、男は男前だけではモテないのだ。こういう心配り、気配りが出来ねばならないのである。

そういう彼だからこそ、私は言った。



「私が副主任などの管理職になることについて、あなたの推薦は要りません。やる場合は施設上長から“やれ”と言われたときだけです。勤め人ですから。それにね、私があなたの年齢の時には年間、1千万円以上は稼いでました。毎月80万円以上の給料がありました。初めてスーパーの店長として店を任されたのは24歳のとき、もちろん、年収もそこそこでした。つまり、私はあなたの年齢よりもっと若いころから、それなりに会社の中で発言し、私なりに行動してきました。あなたは3年間もここにいて、何をしましたか？車椅子の修理も立派です。倉庫の掃除もお疲れ様です。残業を厭わず、率先してシフトを埋める勤務も御苦労さまです。しかし、あなたはいったい、その3年間、この施設で何をどうして来たのでしょう？そしていま、また、なにもしないつもりですか？私に“副主任”をやれと？この施設を何とか変えてくれと、問題点を改善してくれと、また、あなたは自分でやらないつもりですか？たしかに私は年上だし、管理職の経験もある。でも、そこで私に何か言うなら、それは“どうすればいいのか？”と問うことであって、丸投げして“やってくれ”ではないはずです。それにあなたは大丈夫です。優れています。努力の価値も知っている。あなたが上司になるなら、私やみんなはこの職場が少し楽しくなるでしょう。夜勤の眠さもマシになるはずです。 応援してますよ」



彼は「じゃあ、教えてもらう」とのことで、飲みに行く約束を取り付けてきた。最近の私は「お外でお金を使うとき」は妻に許可を得ねばならないから即答は避けたが、男前の彼には善処することを伝えておいた。家に帰って妻に言うと「えぇ～～もうぉ～～ずるいぃ～～」と言われた。ずるい、とはなんなのか。ともかく、帰りに「ザクザクリッチ」を買ってくることで了承を得た。

それに私は大変なのだ。古参の女性職員から虐められるのである。先日もついうっかり、嫌われることをやってしまった。四脚四輪の歩行車を使うお爺ちゃんがいた。その古参はいきなり、大声で「歩行器！！高さとか調節！どうなってるの！」と叫んだかと思うと、近くにいた「言われ役」のパートさんを捕まえ、溜息交じりに「もう！ほんとうにわたしが気付かないと誰も気付かない！」と威張っていた。私を含む数名が近寄った。本当に「高さ調節」とかどうなってるの？と思ったからだ。その古参は「低い！ちゃんと肩くらいまで上げておかないと、転倒リスクが～」とやりだした。そのとき、私と古参の目があった。しまった。


「ちゃんと、こういうところを見てなければダメ！」みたいな感じのアレであった。ま、そのまま鼻息を荒くした古参に、あ、そうでしたか、と言うのは簡単だが、しかしながら運悪く、その日の私の機嫌も少し悪かったから、少しだけ言ってみた。周りに他の職員もいたし、ね。




「あの、先ず、歩行車です。歩行器は赤ちゃんですね。ンで、四脚四輪の歩行車のアームレストの高さは肘に合わせると教わりました。調べてみてください。“手押し車”を例に出して説明しているものがありました。また、歩行車の操作は前腕でしますね。それが肘より低いと体幹の前屈が強くなりますから前腕部に重心、負荷がかかりますから操作はし難くなります。でも、問題なのは高いことです。肩に合わせれば前腕で操作するどころか、ぶら下がる形になりますから転倒リスクは上がりますね」



古参は「はぁ？」という感じであったが、とくに反論もせず、しかし、相手にしてられない、という態度を隠さず、目一杯のジェスチャーをして去った。他の職員も何も言わず、みんなその場を離れた。近くに「白衣の天使」がいた。岩石ではなく、私に「続きそうか」と問うてきたほうの看護師だった。彼女は下を向いてクスクスやっていた。私はもう、相手がそこにいないと知りながらも、あ、それとね、さっきの昼食の「ムニエル」はイタリアンではなく、フレンチですね、食べたことも作ったこともないです？と白々しくも続けたら、その看護師さんは爆笑したあと、

「・・・・・じゃ、こんど、ヨロシクお願いしますね！」

と意味不明なセリフを吐いた。さて・・・？

「飲み会ですよね！たのしみにしてますね！」




・・・・・・・・・・・・あ、あの男前め・・・