忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

あっぱれ

2012年12月10日 | 過去記事



京都市北区にある「立命館大国際平和ミュージアム」。先月の19日に元米兵の90歳の爺ちゃんら、6人がやってきた、と京都新聞にあった。このメリケンの爺ちゃんらはB-29で東京を空襲した際、迎撃されて墜落、そのまま日本軍の捕虜になったそうだ。目玉もくり抜かれず、耳も鼻も付いたまま「憲兵隊に酷い暴力を受けた」と恨み節を言いに来た。

もちろん、GHQの言い分通り「国民の皆様」は悪くないから、軍人以外の日本人は優しく、なんともまあ、空襲を受けた時には「一緒に防空壕に入れてくれた」とか。それから「平和を願いましょう」ということで「もう憎しみはない」と上から目線で「許してやる」とのことだった。気の利いた学生が質問している。「空襲時に罪悪感はなかったか」。

老兵はこれに対してもムッとせず、穏やかに「軍事工場を壊すためだった」と答える。それから「多くの良心的な人々が犠牲になったのは申し訳ない」と付け加えるのもお決まりだが、まあ、なんというか、ふざけちゃあいけない。ならば京都御所に軍事工場があったのか?名古屋城は軍事施設か?明治神宮は日本軍基地か?アメリカは「多くの良心的な人々」を狙って空襲、爆撃したのである。

東京大空襲ではナパーム弾を落とした。どこにどう落としたか。都市をぐるりと囲うように落としたのである。逃げ道を塞いだのだ。大型の焼夷弾は落下すると巨大な火炎は竜になって地を這う。逃げ惑う「良心的な人々」は必然的に東京の中心に集まる。そこにクラスター型焼夷弾を降らせたのがアメリカ、カーチス・ルメイだった。対日焦土作戦、まさに重大なる国際法違反。10万人以上、無抵抗の「良心的な人々」を狙った悪魔の所業である。非武装の民間人に直接、火の雨を降らせておいて<申し訳ない>で済むわけない。

だからアメリカは呪われている。だから彼らは神に「お許しください」と懇願する。自分らが何をしてきたのか、本能で知っているのだ。つまり、この先もずっと、世界の戦争やら紛争でアメリカ人は死ぬ。べつにアメリカを護って、というわけでもない。オノレが蒔いた種、大国のエゴのために死ぬのである。彼らは許されない。未来永劫、許されない。


ところで、白人は日本を恐れていた。正確に記すと、いまも警戒しているが、直接的な戦勝国のアメリカも例外ではなかった。真珠湾をやられ、マレー作戦でやられた1941年12月以降、日本軍は太平洋戦線において連戦連勝だった。米軍も圧されていた。イギリスやオーストラリア、オランダなどは完敗に近かった。

真珠湾に飛来した日本軍機に、アメリカ人は心底恐怖した。事前に知っていたルーズベルトも「誰がそこまでやれ言うた」みたいになった。ルーズベルトは日本を「脅威」と認めてはいたが、艦砲射撃が来ると思っていたら、艦載航空機399機(零式艦上戦闘機120機、九九式艦上爆撃機135機、九七式艦上攻撃機144機)が二派に分かれて飛んできた。

当然、ルーズベルトは予想以上の大損害を出す。日露戦争の悪夢が甦る。戦艦も駆逐艦も巡洋艦も壊滅状態。航空機も330機以上が破壊された。戦死者は2300人を超えるも、民間人犠牲者は57名だった。「軍事施設を狙いました」という精密爆撃のお手本だった。

腰を抜かしたルーズベルト。と、ところで、そっちはどうだった?とチャーチルをみれば枕を濡らしていた。マレー作戦では日本軍も1700名の犠牲者が出たが、イギリスとオーストラリア軍は25000人もやられた。5000人は回収も出来なかった。真珠湾を超えていた。

プリンス・オブ・ウェールズもレパルスも海の藻屑。元々の戦力は倍以上、日本軍3万人と少しに対し、連合軍は8万人以上。これも舐めていたからコテンパンにされた。その後のシンガポール攻略戦でチャーチルは「全滅してでも守れ」と毛沢東みたいなことも言った。とっくに余裕などなくなっていた。

さらに日本海軍は、アメリカおよびカナダ、メキシコの太平洋岸を中心としたアメリカ本土攻撃を計画し、その一環として1942年2月24日未明、カリフォルニア州サンタバーバラにあるエルウッド石油製油所へ砲撃する。その頃「伊号第一七潜水艦」をはじめとする日本海軍の潜水艦はアメリカ海域周辺をうろうろ。タンカーを沈めたり、西海岸から数キロ地点にも出現して、白昼堂々、アメリカ市民の眼前で貨物船を沈めたりした。フランクリン・ルーズベルトも<大規模な日本軍の上陸は避けられない>と認め、それでも上陸されたらロッキー山脈で止める、それが無理ならシカゴで止める、と構えていた。

また「防空壕」とは日本だけのことでもなく、アメリカにもあった。空爆に備えて灯火管制もした。ただ、アメリカの場合は強制収容所も作って、そこに恐ろしい黄色人種を放り込んだ。日系人は堂々と差別された。白人が支那人にならないのは「余裕があるとき」に限られる。紳士ぶるのは「勝っているとき」だけ、という証左である。

「勝てる相手」に「勝てる用意をして」から戦争をするアメリカは、生まれて初めて他国から本土を攻撃された。だからそのビビり具合は凄まじいモノがある。また、臆病だからこそ残虐にもなる。米軍は空爆するか、艦砲射撃してからしか上陸できない。兵隊ではなく、銃後の民間人を殺すのもそうだ。その「効果」を知るからこそ、自分の番になれば我を失う。

1942年2月25日。ロサンゼルスの陸軍レーダーが西方120マイルの地点、日本軍機と思われる飛行物体を感知した。その後、さらに「飛行物体は日本軍機」「飛来数は25機」「時速320キロで移動中」とまでわかる。陸軍第35沿岸砲兵旅団はこれを撃墜しようと対空射撃を開始。ロサンゼルスの沿岸部上空をサーチライトで照らしながら、対空砲を1440発もぶっ放したが「飛行物体」には命中せず、そのままレーダーからも消えてしまう。

ロサンゼルスは大パニック。対空射撃の破片が落下して住宅や自動車に被害多数、破片にあたった3名が死亡。また、対空砲発射時の衝撃音にショックを受けたのか、心臓麻痺で民間人の3人も死亡している。日本では左翼がよく「子供のとき米軍機に機銃を浴びせられた」とか言ったあと「ほらね、戦争は怖いでしょう」と〆て悦に入るが、この語るに落ちた戦時国際法違反はともかく、日本人の子供でもショック死したとか聞いたことがない。アフガニスタンやイラクでも「慣れてしまって」、民衆は爆撃音を「時計代わり」にしている者もいる。戦争とは遠くでやるもの、アメリカ本土ではやらないこと、と信じ切っていたアメリカ人は、運が悪けりゃ死ぬだけさ、とはならない。だから慌てふためく。

結論から言うと、日本軍機が飛来した、という証拠はない。西海岸付近にも日本の航空母艦は不在だった。潜水艦が10隻ほど、あの辺りの海域に潜んではいたが艦載機も15機あったかどうか。それに日本海軍も「そんな命令は出していないし作戦計画もなかった」。

ただ、陸軍第205防空部隊が「気象観測気球」をサンタモニカで上げていた。たぶん、コレと間違えた。しかし、実際に米軍は観測気球に1440発の対空砲火、しかも、それを落とせなかった、とは言えない。海軍長官のフランクリン・ノックスは「日本海軍機と思われる飛行物体の飛来とその後の警報は誤報であり、攻撃も確認されていない」と発表したが、実際に慌てふためき、攻撃も無いのに未明のロサンゼルスを騒がせて6人も死なせ、住宅やら車やらを壊した陸軍は「ロサンゼルス市上空で、1時間にわたって15機の航空機が9000フィートから18000フィートの高度を上昇と下降を繰り返していたことを確認している」(ヘンリー・スティムソン陸軍長官)とか「15機に上る航空機の飛来が確認されたものの、空襲などの攻撃による被害がなかったことから、日本軍が対空砲の位置を暴くとともに、灯火管制を敷かせることで生産性を低めるために偵察機を飛ばしたと推測する」(ジョージ・C・マーシャル陸軍参謀総長)と言い訳に終始した。「間違いでした」とは言わない。民主党みたいな連中だが、戦後は「UFO説」まで飛び出ている。鳩山レベルもいた。

要するに怖かった。西海岸には日本海軍の航空母艦がずらり、戦艦や巡洋艦が海を埋め尽くし、そこから雨あられと艦砲射撃が来る。同時に真珠湾も思い出す。数百機の日本軍機が飛来して、自分らをインディアンのように殺戮し、上陸してきた日本陸軍には筆舌に尽くし難い「残虐」な目に遭わされる。リンカーン像は引きずり倒され、ホワイトハウスに日の丸が揚がる、と思えば観測気球に対空砲火もする。

1942年2月といえば、日本軍の脅威的な強さは周知だった。だから米陸軍は慌てた。少し前にはロシアが負け、いま、他の白人国家が連戦連敗して逃げ惑い、白人の専売特許である植民地からも追われている。そんな軍隊がアメリカ本土にやってくる。最初は舐めていたが、いまはもう、我々は勝てるのか?防げるのか?という不安は隠せなかった。

真珠湾攻撃のときもそうだった。真珠湾の水深は平均して12メートルと浅い。だから日本軍機が魚雷を発射しても海底に突き刺さるだけだ。それに大した威力はない。ドイツ海軍の魚雷でも米海軍の防潜網は破れない、防御壁も壊れない。爆弾もそう。我がアメリカ艦隊の装甲甲板はびくともしない、とみんなが言っていた。だからルーズベルトも呑気にアメリカ艦隊をゲームみたいに並べた。しかし、実際はどうだったか。

日本海軍機が発射してきたのは戦艦の主砲だった。40センチ砲弾を加工したモノだった。これを「急降下出来ない」とされてきた日本人パイロットが急降下で撃ち込んで来る。先端を硬質化させた砲弾は簡単に装甲を突き破る。魚雷もそうだった。ドイツは「日本製魚雷」と「Uボート」の交換を申し出たほどだった。その威力は英米製の魚雷とは比べるべくもなかった。日本軍機が放った魚雷は海底に突き刺さらず、水深10メートルで浮上、水面を跳ねる小石のように横っ腹に飛んできた。一撃で防御壁を突き破り、直撃すると米戦艦はふたつに折れて沈んだ。たった1発で轟沈させる。まさに「化け物」だった。

こんな魚雷はみたことない。日本の「図南丸」は米海軍の魚雷攻撃を受け、船体に6発も突き刺さしたまま帰還している。つまり、爆発しなかった。「こんな魚雷で戦争が出来るか」と米海軍の艦長が報告して、米海軍は慌てて研究を重ねるわけだが、日本はその先の先、白人から見えないところにいた。だから、あっさりとアメリカ太平洋艦隊は全滅した。

シンガポールにいた英国自慢の不沈戦艦もそう。戦闘機の護衛もつけずに北上した。ドイツ空軍が敵わなかった不沈艦。ベトナムのフコク諸島から日本軍機が出撃したと知っても、日本のサル如きがどうした、と舐め切っていた。しかし、飛来したおよそ80機の日本海軍機が発射したのは例の「主砲」だった。必死の対空砲火で日本軍機を3機落としたとき、イギリス極東艦隊は壊滅していた。日本は開戦から3日目、英米の主力艦隊を屠った。


私は毎年、12月8日は贅沢をする。日の丸をベランダに揚げる。今年も「祝い用」に肉と酒を買った。和牛の良いところと、少々、晩酌では気が引ける高い日本酒だ。妻が覚えていて、この日はなにかと買ってくるのだ。倅はもう二十歳になったから、一緒に日本酒を飲むことを許した。大いに誇り、それから学びなさいと教えた。

忘れてなるものか。あれほどの巨悪に立ち向かった「日本人」を忘れてなるものか。あれほどの思いあがった白人列強に目にモノ見せた「先人」を誇らないでどうするのか。

経済大国もよろしい。平和な国も素晴らしい。最先端の技術も威張って良い。自然と調和した都市、緑が多い先進国、道徳観が備わった高い民度、世界一清潔で綺麗好きな民族、年寄りも子供も大切にされる福祉の国もそうだし、アニメもゲームも漫画も自慢していい。

しかし、12月8日。これほどの天晴れがあるか。




4 コメント

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戦勝記念日 (近江謄写堂)
2012-12-12 12:55:02
来年の5月あたり、「日本海海戦 戦勝記念日」を祝して、飲み会をやりたいですね!
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Unknown (翡翠)
2012-12-12 15:41:46
ああ、泣けました。泣けました。
心の底から泣けました。
嘗ての日本人を本当に誇りに思います。
何て素晴らしい。何て勇猛果敢。

日本人を誇りに思います。
大東亜戦争を戦ってくれた全ての
日本人に感謝を。
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本当に (オヤジ47)
2012-12-13 01:09:38
こういった事こそ、後代に伝えるべき歴史だと思います。
私も含めて、当時の日本人の「魂」を、当の日本人が忘れ去ってしまっているのは、何とも嘆かわしい。
本当に戦争犯罪を犯したのはどちらなのか。
腐れサヨクに、こんこんと問い詰めたくなります。
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Unknown (久代千代太郎)
2012-12-13 20:58:21
>りじちょ

やりましょうやりましょう。幹事は▲に頼みましょう。


>翡翠さま

毎度です。

知れば知るほど好きになる国・日本。

カッコよろしい国、日本。感動します。

子供らに伝えたいですね。


>オヤジ47さま

いらしゃいませ。

まったくそうですね。いまの日本の国内問題なんて、当時と比べたら・・・と思います。誇りを取り戻せば、勝手に解決してしまいそうなことばかり。

安全保障もそうですね。当時の国際情勢と比すと、まだ、なんとかなりそうなことばかり。


ともかく、がんばって伝えましょう。ということで、私も今から居酒屋、職場の同僚に伝えに行ってきます(笑)。
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