忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「とある日の夢想」

2008年04月25日 | 過去記事
■2008/04/25 (金) ガチコメ的「とある日の夢想」1

どこだか知らない街を歩いている。都会だ。それもビジネス街を少しだけ離れた、海沿いの人工的な芝生の上を歩いている。立ち並ぶ高層ビルを近くに見ながら、そして、遠くを見ているからこその「キレイな海面」に太陽光線が照り返し、そのまま地平線辺りに視線をおいていると、目の前の河川の汚れが嘘と消えゆくような気がした。

「だまし絵」のようなビル街から目を離すと、突如、引力が逆転したかのような力が働いて、私は猛スピードで地面から遠ざかる。元来、高所が苦手な私は息をすることもできず、ただ、その「引力」の反発に身を晒している。すぐに先ほどのビル群は小石になり、今はもう砂粒ほどしかなくなった。落ちたらどうなるのか?と考えるのも忘れるほどの高所まで引き上げられた私は、今度はその速度のまま横に移動させられる。

スチール製のバケツを裏返したような・・・絵心のない父親が、酒に酔いながら幼い我が子に描いてあげたような未確認飛行物体が、私と同じ高さを飛んでいる。徐々に近づいてわかるのだが、それはとてもでかいものだった。そのまま地上に降りたとすれば、先ほどの都会の街を全部包み込んでしまうほどの大きさである。そして、人生、往々にして嫌な予感がした時にはもう遅いものだ。私は先ほどの力で「それ」に吸い込まれた。もちろん、それに抗うことなど意味をなさないし、もう、その気もなかった。

恐怖感からか、それとも期待感からか、私はその巨大な飛行物体の「入口」らしき「金属が波打っている部分」に吸い込まれながらも、今後のことは考えなかった。自分がどうなるのか、なにが起こるのか、すべての思考経路のドアを閉められたように、何も考えないことに対する違和感もなかった。そして次の瞬間・・・

私は映画で見たことのあるような「スラム街」らしきところにいた。周囲を見ると、バラック小屋のような建物が破損しながらも、なんとか地面にしがみついていた。なにやら「荒れた農家」のようなイメージの家もある。農具らしきものも見える。ここは、いったい・・?

「2」へ

■2008/04/25 (金) ガチコメ的「とある日の夢想」2

少し離れたところに「街灯」がみえる。小さな路地を抜ければそこに着きそうだった。もちろん、私はゆっくりと歩いていく。路地に入ると、すぐに物音がしたので横目で確認する。すると、数人の外国人男性が女性を襲っているように見えた。そういえばさっき聞こえたのは「物音」と「呻き声」が合わさった音だったと数秒前の記憶が蘇った。

一瞬、固まったが、再度、確認するために横目で見る。いちばん手前の屈強な黒人と目が合う。白いTシャツにブルーのライン。ズボンはわからない。髪は短めで眉毛が濃い。闇の中、白く光る大きな眼光。明らかに私を威嚇している眼つきであった。

私は先ほどの農家に向けて走った。警察を呼ぼうとした。と同時に、おそらくここは外国だと思った。農家の入り口を叩く。反応がない。先ほどの農具らしき物の中から、武器になるモノを探しながらもドアを叩く。あきらめて棒切れを掴んだそのとき、後方から白色の電灯が私を照らした。ドアが開く・・・・。

仕方がなかった。だって、その時、私はまだ、

自分が800年後のアメリカにいるとは知らなかったのだ。

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という「夢の話」を妻にしていた(笑)。

最近、同じ夢ばかり見るのだと話していた。妻が「夢の話」をよくしてくるので、その「お返し」というか「反撃」というか「報復」というか、ともかく、仕事から帰ってきてすぐに「人の夢の話」を聞かされるほど疲れることはないんだよと、ぐりーんだよと、言いたかっただけなのだが、これが予想を見事に裏切って、ものすご喰いついてくるではないか。

嗚呼、なんで、もっと、「妻が退屈するように」話さなかったんだろう。これが私の悪いところだ。サービス精神が旺盛なのと、自己顕示欲と虚言癖とが合体したようなこの性格は半島の呪いなのであろうか。でも、そんな自分が好き。あんにょん。おぱおぱ。

妻は眼を輝かせて、私の膝の上で座りながらピョンピョンと跳ね上がり、なんで「ズボン」はみなかったのか?と聞いてくる。いや、だからそこは「なぜ800年後なのか?」とか「なぜ、わかったのか?」とか「その巨大な飛行物体とは?」みたいなもんぢゃないのか?相変わらず、人とは違うツボを持ち合わせているようだ。

「3」へ

■2008/04/25 (金) ガチコメ的「とある日の夢想」3

っまあ、我妻のツボは10年以上研究した結果、私にも少し理解できるようになってきた。10個のうち3個くらいは、「あ!なるほどなぁ!」ということもある。

よく「夫婦は趣味なんかが違うほうが良い」みたいなことも聞く。一理あると思う。「違うことを認めるとき」にこそ「相互理解」の関係が構築されるのだろう。「趣味趣向」が同じで価値観も同じならば、仲が良いのは当たり前なのだ。つまりそれは、幼稚園児が同じ「ドラゴンボールの弁当箱だった」というだけで仲良くなれるシステムに過ぎんわけだ。そこに「共感」はあれども「理解」の出番は少ないだろうと思う。なるほどである。

前フリだけで2000文字も書いてしまって正直すまんが、しかしながら、こいつとだけは絶対に相容れないというか、万が一、価値観が同じになったら洗剤を混ぜて殺してくれと思うほどのクズを見つけた(笑)。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080424-00000004-jct-soci
<「元少年殺されれば遺族は幸せ」 青学准教授ブログに集中砲火>

知っている方もおられると思うが、ホンマ、酷いですねぇ~~~言論の自由とは、このような妖怪も生み出してしまうということを忘れないようにしましょうという今日この頃、車の中で妻に「ポン中音頭」を聞かせてみたら、まったくリアクションがなかったので妙に納得したラリクマ(私もお気に入り)です。らりっ!

「4」へ

■2008/04/25 (金) ガチコメ的「とある日の夢想」4

で、もうひとつ、「今日笑ったこと」としてコレを貼っときたい。

http://www.mbs.jp/news/jnn_3836459_zen.shtml
<筑紫哲也さん、日本記者クラブ賞受賞>

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ふざけるなーちくしてつやー

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<今年の日本記者クラブ賞に筑紫哲也さんが選ばれました。この賞は、全国の新聞社や放送局などが加盟している日本記者クラブが、毎年、ジャーナリズムの信用を高めた人を選んで贈っているものです。受賞について筑紫さんは、「半世紀近くの継続を評価頂いたものと心より感謝しています」と話しています。(24日18:15)>

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<日本記者クラブが、毎年、ジャーナリズムの信用を高めた人を選んで贈っているものです。>

ええと、たしかこの辺に・・・

「いらね」の顔文字があったんですが・・誰か知りませんか?

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「ジャーナリズムを高めた人が出ている」TBSではないが、さっきもテレビ見て笑っちゃったところだ。コレをやってたんだがな。

http://netallica.yahoo.co.jp/news/32356
<吉野家株急落5000円安…米国産牛肉に危険部位混入>

いや、私も極力「吉野家」は喰わんのだがな。それにしても、

「日本の政治家は国民の健康を第一に考えて行動してほしいですね!」

「危険だとわかっているのに、輸入を止めないというのは・・・」(ふるたちww)

「なんらかの政治的圧力があるんでしょうね。」

「政治家は国民のほうを向いているのでしょうか?」

どこも「輸入停止せず!!」と見出しをつけてご苦労様です。

いや、もう、言いたいことは伝わっていると思いますので結構です(餃子)。

「5」へ

■2008/04/25 (金) ガチコメ的「とある日の夢想」5

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さて、いよいよ、今日の朝にやってくるであろう「聖火」なんだがな・・・

http://www.asahi.com/international/update/0424/TKY200804240078.html
<豪州、厳戒下の聖火リレー 警備費膨らみ2億円に>

とくに「行わないとダメ」ということでもない「迷惑リレー」。

どこも「正直止めたい」と思っているであろう「迷惑リレー」。

日本に「迷惑」の聖火をリレーしてきたオーストラリアも大変な目にあったようだな。

<出発地点の市中心部の広場には、早朝からシドニーやメルボルンなどから大型バスで中国系住民や中国人留学生が続々と集まり、中国国旗がはためいた。豪州在住チベット人の団体や支援団体も集結。「中国は一つだ」「チベットに自由を」と双方が怒鳴り合う一幕もあった。地元メディアによると、聖火走者の前に座り込もうとした男性ら7人が逮捕された。>

それにしても、相変わらず、支那人の主張はおかしい。

「チベットに自由を!」→「中国はひとつだ!」
「チベットの弾圧をやめろ!」→「中国はひとつだ!」
「チベットの虐殺をやめろ!」→「中国はひとつだ!」

つまり、全部、認めているということでOKなわけだ。思考が延髄から折り返して、そのまま口から出るヒステリックな支那人特有の阿呆さ加減であるな。もう、幼児が耳を押さえて「わぁ~~!!わぁ~~!!」と声を張り上げているのと同じだ。「考えてみる」という選択肢はないらしい。

「相手の言い分」とか「その原因」を考えることもなく、ただ、ひたすらに相手に向って「お前が負けろ!俺様の勝ちだ!」と言い続けるしか能がないのだろう。また、それが通用する国があるというのだから困る。例えば日本とかな。

「6」へ

■2008/04/25 (金) ガチコメ的「とある日の夢想」6

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http://www.asahi.com/national/update/0423/TKY200804230272.html
<青ジャージー隊やっぱり来る 長野聖火リレーに100人>

まあ、日本の機動隊を押しのけて、ランナーと走ることはしないとしても、だ。支那の国威とやらを発揚させたいがだけで、他国の警備体制を軽んじるとは、さすが大中華様である。

<遅塚専務理事はこの伴走者について「青色のジャージーを着るが、ロンドンやパリなどで見られたような警備の役割をするのではなく、あくまで聖火が消えた場合などに備えるスタッフ。アテネ五輪の聖火リレーが日本で実施された時なども受け入れてきた」と話した。>

とうとう、かつて東京を走ったアテネ五輪の「エスコートランナー」と、この偉そうな「聖火警備隊」が同じだと抜かすか(笑)??あの貧乏臭いジャージで、無愛想な顔で、ギラギラと敵意剥き出しの眼つきで走る不思議なボランティアと??華やかな笑顔を振りまきながら、歓迎されつつ、手を振りながら走るエスコートランナーがぁ???

ならば、ジャージはチベットの旗を振っている抗議集団に向けても手を振れ。笑顔で手を振りながら「中国はひとつですぅ!」と言え。当然、それが中継されて国に帰ったら殺されるだろうがな。

「支那からの圧力に屈した」とは言いたくないのだろうが、あまりに国民を舐め過ぎてはいないか、この専務理事はリレーコースをジョギングでもしながら考えたほうがいい。

「7」へ

■2008/04/25 (金) ガチコメ的「とある日の夢想」7

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「おかしいこと」を誤魔化そうとするから、もっと「おかしく」なる。当たり前のことだ。普通に「致し方ない」とすればいい。「本意ではないが」とすればいい。そこが単純なる力関係における「立場の強弱」と、完全服従が前提の「」との差異を、唯一見分ける態度ではないか。戦争するまでもなく、最低限、そこだけは死守するべき「最後の砦」であろう。せめて「おかしいとは思う。でも、仕方がない。」というスタンスは堅持してくれ。

こんな阿呆臭い「中華リレー」はともかく、日本はどうせ戦争できないんだから、当然に外交はゴリゴリと押されまくる。そして、これも当たり前だが領土も盗られっぱなしである。そして「対話」などでは絶対に返ってはこない。情けない話だが、最低限、せめてそれを「おかしい」と思うくらいの「常識」は残しておいてほしい。で、なければ、チベットよりも早く、ホントに日本がなくなる。頼むよ、おい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080424-00000116-jij-soci
<「硫化水素まく」妨害予告メール=聖火リレーで警戒本部設置へ-長野市>

ここまでの話になってさえ「強行する」のは誰のためか?濃度の高い硫化水素を吸い込めばかなりの確率で死に至るんだろ?死なないまでも深刻な障害が一生残るのだろう?

その「硫化水素」を捲くと言ってきているわけだ。これはもう「妨害予告」ではなく「テロ予告」であろう。本気だったらどうすんだ?それでも尚、中止しないのは「テロの脅しに屈して平和の祭典を中止するわけにはいかん!」という大義からだけではないだろう。

沿道に集まる日本人の観衆にも被害が出るかもしれない。いや、当然だが、本気で散布されたら死人も出るかもしれん。そして、それは硫化水素ですらないかもしれない。

「8」へ

■2008/04/25 (金) ガチコメ的「とある日の夢想」8

<これまでに届いた妨害予告メールは10通ほど。危機管理防災課の職員は「信用度は不明」としながらも、「あらゆる危機を想定して対処する」と述べた。市は、市民の生命・身体などを脅かす恐れがあるとして、リレー当日に危機警戒本部を庁舎内に設置することを発表。県警や消防局と共に情報収集を行い、多数の負傷者が出た場合や不審物を発見した際に市民を避難所に誘導する。>

某巨大掲示板で「◎▲○駅を爆破する」と書きこまれただけで厳戒態勢、それが学校行事や公的行事ならば「やむを得ず中止」となる日本が、10件もの「あらゆる危機」を受けて強行するとは、気合いの入った国になったもんだ。「市民の生命・身体などを脅かす恐れがある」と知りつつ強行して、その悪夢が現実となったとき、誰がどう責任をとるのか、どこの国の誰が喜んで、どの国の誰が嘆くのか。それを実行するとして、どの国が「丁度いい」のか・・・

特殊警察がチベット僧に扮する国である。警察が暴徒に扮する国である。マッチポンプは得意中の得意、バレバレでも強引に押し通す国である。それは最近のことだけを取り上げるまでもなく、その国の歴史が物語っているではないか。

紛れ込ませた工作員が、大勢の日本人を巻き込んでテロ行為に及んだとき、その国の国家主席はアメリカと共に「テロに対する脅威」を振りかざすだろう。「平和の祭典を破壊された」と嘆いて見せるだろう。

「自由」を殺しながら「解放」を叫び、「人権」を踏みにじりながら「平和」を謳い、「主権」を奪いながら「友好」を悪用する国ではないか。

なればもう、「ダライ・ラマ集団」はアルカイダと同類であると言い張るかもしれない。いや、もう、それに近いことは公言している。「ダライ・ラマ集団」に苦しめられていたチベットの人々を支那人民解放軍が「解放」して差し上げたのだと胸を張っているではないか。

そのとき、日本政治家は、

「だから、我が日本の政治家はダライ・ラマが日本に立ち寄った際も、誰も会いに行かなかった。一部、退陣した元総理の妻が会いに行ったくらいだ。我々は中国との友好関係を第一義において考えてきた。日本国の誠意を評価してほしい。」

とでも言うつもりなのだろう。

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・・・・。

ええと、どこまでが「夢の話」だったか・・・?

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