忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「立ち飲み屋理論」

2008年05月16日 | 過去記事
■2008/05/16 (金) ガチコメ的「立ち飲み屋理論」1

「立ち飲み屋」が好きである。

居酒屋とは違う雰囲気、空気、接客、客層。料理に酒。先ず、私の大嫌いな「餓鬼」がいない。もう、新世界は「餓鬼」に占領されてしまった。

土日は三国人に、深夜は「餓鬼」だらけ。もう、あんなのは新世界ではない。さようなら新世界。思い出をありがとう。

おまいら、天満と京橋には来るなよという今日この頃、一緒に飲んでる店長が「クジラベーコン」を忌み嫌うのが悲しいんです。おはやうございます。もう、朝です。

http://www.asahi.com/national/update/0515/TKY200805150114.html
<鯨肉持ち出し疑惑、「証拠品」示す グリーンピース>

環境テロ・チンピラ「グリーンピース・ジャパン」がクジラの肉を盗み出して騒いでいる。「持ち出し疑惑」と騒ぐ前に、己らが「盗み」を働いていると気づかんところが素晴らしい。典型的なアレな状態である。「愛鯨無罪」である。もう、パンダ喰ったろうか?

<GPが確認した箱は、4月15日に東京に帰港した船から降ろされた荷物の一部。GPは調査捕鯨船・日新丸の元乗組員から「乗組員が鯨肉を私的に持ち帰っている」との情報提供を受けて調査しており、同日、船から出された荷物を積んだ運送会社のトラックを追跡。配送所などで「塩物」などと書かれた伝票と乗組員の名簿を照合し、12人の名前を47箱で確認。うち1箱を無断で持ち帰ったという。>

これを日本では「窃盗罪」という。しかも配送所に「不法侵入」の疑いもある。例え、本当に乗組員がクジラ肉横流ししてようが、己らの不法が許されることはないと知れ。

<一方、日本鯨類研究所は、乗組員に赤身とウネスを数キロずつ土産として配ることは認めているが、「乗組員が何十キロものウネスを持ち出すことはまず無理だ」としている。>

それにしても、この写真。美味そうな肉と、阿呆そうに堂々としている男が絶妙にマッチしているではないか。「どうだ!」ってなもんなんだろうなぁ・・恥ずかしいなぁ・・・

「2」へ

■2008/05/16 (金) ガチコメ的「立ち飲み屋理論」2

でも、こういう阿呆に比べたら、新世界で夜中に串カツ喰って騒いでる餓鬼はマシだな。少なくとも、行動する阿呆としない阿呆なら、しないほうがマシだ。おい、阿呆餓鬼、やっぱり京橋は来てもいいぞ。私の新しい隠れ家である店も行け。ちなみに、そこのおっさんはひとりで店をやっているのだが、聴覚が全然効かん。声もほとんど出ない。で、そのおっさんに、どうやって「冷や酒」を頼むか知っているか?

私は既に、

『おい、オヤジ!生中と冷や酒、あと・・・まず、赤ウィンナーを塩で焼いて、鴨ロースと、んで、モヤシ炒めだ!』というコミュニケーションを簡単に取れる。むははははは!

あ、でも、西九条とか土居の商店街には来るな。餓鬼は嫌い。

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嗚呼・・・どっかに「リアルパンダ焼き」を喰わせる立ち飲み屋はないかなぁ。私は「見た目が愛くるしい」などは関係ない。食物連鎖の頂点にいる私としては、喰って美味いなら問題ない。でも、人語を解するのは嫌だ。というか、話が通じるなら大根でも人参でも嫌だろ?あと、気持ちが通じ合ったネギとかも喰い難いだろうなぁ・・・どうでもいいが。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/080515/chn0805152037011-n1.htm
<パンダ貸与、91%が受け入れ反対>

さすが「手放しで喜んでいる」状態であるな(笑)。どうする気だ福田。

<(1)パンダの貸与を受けることに賛成ですか
YES→9%NO→91%
(2)高額のレンタル料に納得できますか
YES→3%NO→97%
(3)パンダで喜ばせてギョーザ問題などを隠す意図があると思いますか
YES→88%NO→12%>

ww

道路と同じだ。もう、時代が違うとあれほど・・

「3」へ

■2008/05/16 (金) ガチコメ的「立ち飲み屋理論」3

で、尤もな意見を見つけた。コレはいいな。

<広島・男性教員OB(69)「パンダの貸与を受けるための費用は、税金から出すべきではない。全国に呼びかけ、協賛金という形が望ましいのではないか。日中友好の進展のためにも、中国から要求された高額のレンタル料を払うという形を取ってはほしくない」>

これだろ。民主的でいいぢゃないか。別名:橋下理論ww

朝日スクランブルも、支那人民が埋め殺されているのに「ドラえもん募金」などと呑気なことやってないで、これこそ「パンダ募金」をやりなさい。で、貯まったら、パンダでもジャッキーチェンでも借りればいいではないか。地震のほうは真面目な名前をつけなさい。

で、

地震だ。

http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20080516k0000m030165000c.html
<四川大地震:救出打ち切られ、親が手で…都江堰の中学校>

なんとも・・・同情を禁じ得ない。

日の丸背負った国際緊急援助隊の第一陣が到着したと思ったら、もう、救出打ち切りだという。せっかくの生命反応探査装置なども無駄になるではないか。こんなときだけキッチリだな、おい。いずれにしても、早く掘り起こしてやらんかい。まだ生きとるかもしれん。

「4」へ

■2008/05/16 (金) ガチコメ的「立ち飲み屋理論」4

<午前9時過ぎ。成都市の疫病コントロールセンターの白いワゴン車が到着。遺体が多数埋まっている場合、感染症が発生するおそれがあり、白衣を着た職員が校舎のがれきに向かってホースで消毒液の散布を始めた。>

阪神淡路大震災では、行方不明者を捜索するローラー作戦が地震発生(1/17)後から同月30日まで行われた。無論、真冬のことであったから感染症の発生状況も違うだろう。だが、理由はそれだけなのだろうか。

それよりも、「なんとしてでも救いたい。せめて空の下に出してあげたい」という、人間的な一心ではなかったか。「親の眼前で消毒液をかける」など、とてもじゃないが想像ができん。まだ息がある子供もいるだろうに・・真っ暗な瓦礫の隙間で細く息をする子供は、流れてきた消毒液に何を想うのか。その国に生まれ、その国で育ったことを不幸に感じることはできたのだろうか。

<「何の説明もなく救出を打ち切るなんて許せない」。解秀英さん(38)は涙ながらに憤った。「スポーツが得意な子だった」。がれきの下にいるかもしれない2年生の息子、巴飛君(15)を丸3日、思い続けている。近くでは、授業を休んでいて難を逃れた李力君(16)ら3年1組の4人が死者に贈る紙銭を燃やしていた。>

私の年齢と倅の年齢に近い。もし、私がその立場なら、発狂せずにおれるのだろうか。「許せない。」と憤る余裕すら自信がない。ホースで消毒液を撒く職員に襲いかかるかもしれない。

・・・そして、この恐ろしい独裁軍事政権の傀儡国家となろうとしている日本はどこに行くのか。国内での有事の際、媚中侮日政策・福田政権は、日本国民をこの「支那人民被災者」の如く扱うのではないか。そのときは国内の被災地にパンダでも送るか?

「5」へ

■2008/05/16 (金) ガチコメ的「立ち飲み屋理論」5

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080515-00000158-mai-soci
<<中国製ギョーザ>基準10万倍超のメタミドホス検出 千葉>

わかっていたことだが、やはり、すごい量だった。明らかな「殺人未遂事件」であり、明確な無差別テロだった。「生協」の役員が6人ほど給与を減らされたらしいが、その遅いうえに軽い処置が、この重大、且つ、深刻な事実をして笑えるほどチンケである。どうぞ、そのまま消費者を小馬鹿にした態度で被害者面しているがいい。もう、ただでは済まん。

で、そのメタミドホス。もはや、「残留」などというレベルでないことは周知であるが、結局のところ「真相解明」は、福田政権である限りは藪の中である。

<内閣府食品安全委員会によると、中毒症状が出るのは体重50キロの人で約0.15ミリグラムとされるが、混入量が1個当たり290ミリグラムを超えるものあった。体重15キロの児童の場合、1個食べただけでも致死量に達していた可能性がある。>

恐るべき事実である。そう考えると、今、私が健康で仕事していられるのもただの「偶然」である。餃子に限らず、我が家でも冷凍食品は使っていた。私や倅の弁当にも少なからず入っていた。とくに、私は餃子が大好きだ。味の素の商品は好んでいた。しかしながら、ある日、偶然に妻が味の素ブランド以外の特売商品を買ってきて、メタミドホスたっぷりの冷凍餃子を食卓に出していた可能性は高い。私は大量に口に入れて死んでいたかもしれない。つまり、読者諸賢も十分、危なかったわけだ。

<ギョーザによって濃度に差があることについて、同課は「さまざまな要因が考えられ特定できないが、製造工程などから別々に混入されたとは考えにくい」としている。>

もういうまでもなく、

「具」を練り込むときに混入されたのであろう。つまり、天洋食品工場の内部である。支那がちゃんと協力さえしてくれれば、すぐにわかるはずだ。製造過程のどこで、いつ、どのくらい、そして、だれが・・・。

「6」へ

■2008/05/16 (金) ガチコメ的「立ち飲み屋理論」6

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私が「立ち飲み屋」を愛するのは、そこに「信頼関係」が残るからだ。大手企業の居酒屋チェーンの「信用」とは違う、もっと人間的で体温のあるモノ、それが「立ち飲み屋」なのだ。ホントに「好きでやってるなぁ・・・」と感じさせる店主に信頼感を覚える。

「ビジネス」ではなく「商売」というイメージ。売り上げや利益、企業ブランドやオピニオンリーダーなんか気にもせず、ただお客さんの顔を見ながらツマミを出し、酒を出す姿にこそ信頼を感じる。誇りを感じるのである。

「客単価」など考えたこともないようなメニュー。「好きなもんを喰って、さっさと飲んで早く家に帰れ」といわんばかりの豊富なメニューに、「真の酒飲みは酒を選ぶな」といわんばかりの、あっさりしたドリンクメニュー。餓鬼に阿ったジュースのようなアルコールもない。もう、飲んだら家に帰るか、もう一軒行くしかない選択肢。酔って見上げる月夜に、嫁さんと子供の顔が浮かんだら帰ろうかと思いつつ、同じような店をもう一軒・・・。

で、想像してみる。

「信頼できない立ち飲み屋」(笑・ないこともない)

値段は高くて安定しない。愛想もなければ味気もない。不衛生どころか食中毒で死人が出る。店主は偉そうにモノを言ってプライドもない。毎度クソ高い勘定ながら、店主は贅沢三昧、でも従業員は最低賃金ってなんですか?さあ、そんな店に通う人はいないだろうって?あはは♪

福田さん?

さっきから、カウンター席の端っこで「パンダ焼き」持って、なにしてんの?

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