忘憂之物

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地域ぐるみでいじめ撲滅…岐阜・可児で条例成立

2012年10月03日 | 過去記事

地域ぐるみでいじめ撲滅…岐阜・可児で条例成立

<地域ぐるみで子どものいじめ撲滅を目指す岐阜県可児市の「子どものいじめ防止条例」が2日、市議会本会議で可決、成立した。

 3日に施行される。条例は、市や学校にいじめを防止し解決を図る責務があると規定し、保護者に対しては、いじめが許されない行為であることを子どもに理解させるよう求めている。また、市民は、いじめを発見した際の情報提供などに努めるとしている>





伊勢神宮の神宮文庫から「御朱印師職古格」がみつかったのは昭和8年。古い話だが中身はもっと古くて天正15年(1587年)6月18日。同年6月19日の「松浦家文書」、いわゆる「伴天連追放令」の前日に秀吉から出された11カ条の覚書だ。そこには日本人を南蛮に売り渡す事を禁止する一文がある。イエズス会のガスパル・コエリョが本国、ポルトガルに「日本人を奴隷にして売るのは無理」と言ったところで聞き入れる連中ではなかった。だから秀吉は「追放」した。

秀吉の時代でも「日本人が拉致されて奴隷にされる」となれば戦国の世も何も関係ない。それくらい国家主権というモノは国家の主体性を包含するわけであるが、いまの日本は北朝鮮に同胞がいると知りながら何もできず、どうにかやっていた拉致担当大臣も更迭まがいの交代をさせられるほど、主体性を失ってしまった。土井たか子や朝鮮総連を追放もしない。福島瑞穂も吊るさない。見たことはないが秀吉の世が懐かしい。

日本人は戦国の昔から奴隷は嫌い。だからポルトガルの武器兵器が欲しかった関ヶ原の戦国大名、家康も秀吉も捕虜やら領民を奴隷船に乗せなかった。日本人からすれば、そんなの当たり前になるが、世界から見ればそれは少数、極稀な文化的価値観のことだった。

例えば、遊牧民族は家畜を飼う。これに対して「家畜を奴隷化している」とは言わない。農耕民族だった日本人も牛や馬には世話になる。逃げたり死んだりすれば、また市場に買いに行く。簡単に言うと、白人はコレを人間でやる。

また、中東などにも奴隷はいた。しかし、白人のソレとは少しだけ違った。「奴隷」とはプランテーションで死ぬまで働かせるだけではなかった。我々が知る「奴隷」とは伝染病と汚物にまみれた船底で死にながら運ばれてくる黒人奴隷、わかっているだけでも1500万人とか2000万人とか、半分くらい海に捨ててもまだ儲かるような「家畜としての奴隷」のことだが、例えばオスマントルコの家産奴隷、カプクルなんかは将軍になった。つまり、単なる階級差別、民族差別、人種差別のことだったから、中には出世したり、金持ちになったり、指導者になったりする者もいた。少なくとも相手が人間だという認識でやった。

白人は違う。連中は品評もやった。病気があるかないか、まさに家畜を買うときと同じ、口内を調べて瞼をめくった。また、我々が飼い犬の子供を余所の家にあげるように、家族もバラバラにして気にもしなかった。要するに人間だと思っていなかった。それから現地生産もやった。「品種改良」もやった。運動神経のよろしい黒人同士、何度もかけ合わせたらアトランタオリンピックの陸上競技の決勝には黒人選手ばかりが並んだ。

黒人奴隷の反抗は3種類。ひとつはサボタージュ、逃亡、それから暴動になる。左巻きのくるくるぱーのストライキは遊んでいればいいが、彼らのサボタージュは命を賭けた。鞭で打たれても言うことをきかない覚悟を要した。逃亡は北に逃げる。多くはカナダを目指すが、途中、捕まると問答無用で殺される。逃げ切ったら懸賞金を賭けられる。日本人ならペットが逃げても「返してくれ」と言うが、そもそも「見せしめ」のための懸賞金だから返してもらわなくてもいい。賞金も払うし、それから「みつけたら好きしていい」。

最後の手段は暴動。1831年のナット・ターナーの反乱、1859年のジョン・ブラウンなんかは氷山のナントカ。人間を牛や馬のように扱えば暴動くらい起って当然だ。鎮圧されて捕まったジョン・ブラウンは絞首台の上「罪深いこの国の大罪業はただ流血によってのみ洗い清められることができると、私は確信する」と予言した。それから2年後、アメリカは南北戦争になる。予言通り70万人が死んだ。

1863年の元旦。リンカーンは「奴隷解放宣言」を出す。これで一応、400万人の黒人奴隷が解放された。でも大丈夫。次は国際世論から批判されない「苦力」がいる。

また「奴隷を解放した立派な大統領」はこのとき、サンテ・スー(ダコタ族)の暴動を鎮圧、38人の処刑にサインしている。大暴動の原因は1951年、連邦政府がサンテ・スーの狩猟地を無理矢理に買い上げることから始まる。最近は国際世論もうるさい。そろそろ勝手に人の土地に入り、皆殺しにするのも気が引けてきた。そこで一時金と年金をくれてやるから出て行け、とやった。我々は未開の土人相手にでも取引します、コレが文明、人道的でしょう、と言いたかったが、根っからのアングロサクソンはやっぱり払わない。

土地を追われたサンテ・スーは飢えて死ぬ者も出てきた。蜂起するか死ぬか、合議制からなるインディアンの長老らは夜通し話し合ったが、積年の恨みを晴らす、という強硬派を抑え切れなかった。白人の商売人、アンドリュー・ミリックも「インディアンが飢えているなら草を喰わせればいい」と放言して火に油を注ぐ。怒れる戦士、酋長のリトル・クロウはレッドウッド滝の近く、連邦政府の出先機関を襲う。アンドリュー・ミリックも殺され、口の中いっぱいの草を放り込まれた。

平和に暮らしていただけの民族に無理難題を押し付ける。奴隷として従順になるか、それとも殺されるのかを選ばせる。我慢の限界、もはやこれまでと立ち上がると、待ってましたと軍隊が出てくる。アメリカの十八番だ。このときも4週間ほど、みっちり殺しながら鎮圧、女子供を含む2000人ほどを捕虜にして、無関係だった人らも「スー族」というだけで1700人以上を収容施設に送り込んだ。一網打尽だ。

軍事法廷にかけられたのは392名。被告弁護士はなし。傍聴もなしで審議時間は「ひとり5分未満」。流れ作業で有罪判決を下すという、どこかで見たことのある「リンチ裁判」の結果、人道的な大統領は今後4年間、マトモに支払ってもいなかった年金支給を停止、その金は白人遺族に支払われることになった。捕まっていたスー族はまた、出て行けとやられた。今度は一時金も何もなし。どこかで勝手に野たれ死ね、ということだった。白人の言う人権とか平等の及ぶ範囲に有色人種が入っていない証左だ。


岐阜県可児市の「子どものいじめ防止条例」。2010年に民主党推薦、連合岐阜推薦で当選した冨田成輝市長は<いじめの事実を誰にも話せないのが一番の問題。言えなくても知ってほしいと訴えかけている子に対し、行動を起こす。いじめられている子は、一人で抱え込まずに相談してほしい>と優しいコメントを出した。子供のために一肌脱いだのだろうが、ここでもやっぱり「加害者」がない。奴隷の無い国の虐めなどは所詮が知れているからか、加害者も同じ子供、これも保護して世間から守ってやらねばならない、が罷り通る。

いくら日本人とはいえ畜生道に堕したら同じようなモノ。白人の国やその傀儡国と違うのはあくまでもその数だ。それに最近は見た目が黄色くても中身が白いという、卵の反対みたいなのもたくさんいる。外国人差別がない日本では、そんな外人の子供も日本人と同じ学校にいる。「被害者の子供に配慮を」は、せめて日本人の子供に限定すべきだ。

だからさすがに奴隷の本場の虐め対策は違う。説得力がある。例えば、学校の中に「いじめ裁判」とか「いじめ法廷」がある(イギリス)。被害者本人や目撃者が加害者を衆目の中吊るす。教師はそれを監視するだけ。あとはぜんぶ、子供らが多数決で「虐めかどうか」の判決を下す。あるいは「虐めの加害者」に矯正プログラムを受けさせる(アメリカ)。「虐め発見」の場合は被害者の保護と同時に加害者も隔離する。それから「怒りの表現の仕方」とか「言語によるコミュニケーション」を教える。キミは馬鹿で粗野だから集団生活できないんだよ、と子供にやる。要するに加害者を何とかしないと話にならない、とよく知っている。

相手を勝手に見下して人間扱いしない。そういうことを躊躇わずにやってきた連中は「その対処法」も知っている。犯罪者の心理は犯罪者に問うのがいちばん。いま、日本の友達には「世界の加害者」とか「世界の嫌われ者」がいる。なぜそんなことするのか、その場合どうすればいいのか、たまには真面目に問うて、素直に真似してみたらどうか。


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