忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

パチンコ業界最大手から学ぶこと

2012年10月05日 | 過去記事

パチンコ屋の駐車場で幼児が蒸し殺される事件は毎年あるが、その中でも私が記憶に残る事件、そのひとつが2007年の大阪能勢町で起った事件だった。同年4月、能勢町の山林、側溝からみつかった幼児の遺体は上半身だけ青いポリ袋に入った状態だった。遺棄されたのは山林。要するに埋めたわけだが、おそらく雨で流れてきたのだと思う。

大阪府警は遺体の身元を「峯松優ちゃん(当時1歳)」と断定。死体遺棄容疑で21歳の母親と同じ年の再婚相手の男を逮捕した。この鬼どもを調べると、優ちゃんが死んだのはその年の1月31日だと言う。場所はパチンコ屋の駐輪場。優ちゃんは原付バイクの荷物入れ、いわゆる「メットイン」の部分に詰め込まれていた。普通、相手が犬猫でもやらない。

それから女は買い物、男はパチンコへ。男が戻ると優ちゃんは亡くなっていた。どうしよう、となった男は女を待って、それから救急車も呼ばずに近くのホームセンターでポリ袋を買った。男はそのまま優ちゃんを再びメットインに放り込んで運び、ポリ袋に入れて山林に埋めた。この男は「再婚相手」ということだが、入籍したのは「優ちゃんを埋めたあと」だった。夫婦ともども異常者だった。

こういう事件がなくとも、パチンコ業界における組合からは、毎年夏前になると注意を呼び掛けるチラシが送られてきた。地元警察からの指導もあり、組合の会議でも必ず議題になった。対策としては顧客に対する注意喚起のポスター、それからマメな見回りになる。当時、私は店舗管理の責任者だったから、従業員にも「駐車場の巡回」は徹底させていた。役職者には店内の巡回だけではなく、そのまま外に見に行けとうるさく指導した。

「子供を閉じ込めている車両」を発見したら呼び出して約定解除、つまり「出入り禁止」の処置も辞さないと明言した。また、子供が衰弱していると判断すれば、その場でガラスを叩き割って救出、速やかに警察と救急に連絡するよう指導もした。ベンツだろうがロールスロイスだろうが関係ない。弁済金など気にしなくてもいい。会社はもちろん、警察も弁護士も、マスコミも世論も味方してくれる。躊躇わずにやりなさいと周知徹底させた。御蔭様でその後、会社は無くなったが、その手の事故は一度も出さなかった。

そんなとき業界最大手の「マルハン」がやった。優ちゃんが殺された翌年、2008年だった。私はこの事件にも注目した。またそのころ、グループ総帥の御曹司、ミーハーな「若旦那」が「マルハン」にどっぷりとハマっていた。向こうのエリアマネージャーとかなんとか、本部に呼ばれて話をしたのだと威張っていた。知り合いになれて嬉しかったのか、業界最大手から吸収すべきことはたくさんある、とか、当たり前のことを言っていた。

幹部会議があった。「若旦那」はその日、マルハンの経営方針やら人材育成を取り上げ、御自分の人脈を自慢する手筈になっていた。その直前、私の問題提起になった。

2008年4月。鹿児島県の「マルハン加治木店」で1歳7カ月の男児が車内に放置された。母親が発見したとき、もう、男児は口から泡を吹いていた。救急車が到着するも心肺停止状態、男児はそのまま亡くなった。「よくある話」だが、私が印象に残ったのは、この店舗が「託児所併設店」だったということだ。私はここに安易さ、単純さ、馬鹿さをみた。だから私は幹部会議で取り上げた。これはより悪質だと。

託児所の定員は15名。この母親が男児を預けに行くと「3時まで無理です」と言われる。「マルハン加治木店」の設置台数はパチンコ480台、スロット160台。時代は今と違ってまだまだパチンコブームだった。つまり、足らないことは誰でもわかった。

チラシには「無料託児所完備」とかある。「お子様連れのお客様もご安心ください」とか「お母さんの味方です」みたいなことになる。パチンコファンの母親は喜んでやってくる。そこで「15人までです」と言われて「家に戻らない母親」が出ることは想定の範囲内だった。どころかより一層、幼児が駐車場に放置される可能性は増すのは馬鹿でもわかる。要するにマルハンがモラルより、子供の危険より優先させたのは商売だった。

「マルハンから学ぶべきは業界の在り方、遵守すべきモラル、安易な出玉合戦による集客、巨大資本による地域店舗の破壊、遊技業としての歴史と伝統の破壊など、我々がいちばん“真似してはいけない”典型的な悪い見本です」と〆てから「若旦那」につないだ。

若旦那は小さい声がもっと小さくなり、マルハンの総売り上げやら店舗数、従業員数を述べたあと、我がグループもいずれは全国展開がなんとか、ぶつぶつやっていた。

会議が終わると高級料亭で懇親会。それから北新地のクラブへ。悪い政治家みたいだが、その席で少し酔った総務部長が私を捕まえ、若旦那の子分らしく、今日のアレはどうかと思う、とか議論を吹っかけてきた。総務部長は若旦那の右腕、以前は芸能プロダクションにいた辣腕、という触れ込みだった。

なにが?と問うと「やっぱりマルハンはすごいでいい」と言う。また、なにが?と問う。

業界最大手だから、が言い分だった。あそこまで成長するには理由があるはずだ、とか誰でも知っていることを並べていた。彼と同じく、少々酒が入っていた私は「最大手の定義は?」と向き合う。店舗数?売上?従業者数?少し怯んだ辣腕は「そんなの、ぜんぶでしょう」とか曖昧なことを言う。若旦那もこちらをちらちら、仇を討とうとしている子分が気になる。

「無計画にでかくなるだけならデブの勝ち」が私の意見だった。それからもし、そのデブに収入があって学歴があって、彼女が美人で友人が多かったら、もう誰も適わないでしょうと。「マルハンはいろいろ持っているデブ」と斬って捨てた。

つまり「大きい」だけで優れているなら百獣の王はアフリカゾウ、海の王者はシロナガスクジラになっちゃうでしょう?人口が多いだけならインドは世界一、でも貧困国ですよね?国の面積だけならロシアが世界一です。でもソ連は崩壊しましたね?日本の対外純資産260兆円はダントツ世界一です、でも世界は日本が一極支配しているわけでもない。

例えばアメリカ。世界中の国がコレを目指すわけもない。それぞれの国の価値観、それぞれの国の事情もあるから、憧れるどころか嫌悪する国もあって然るべきだ。私が言いたかったのは「なぜマルハンは全国展開できたのか」とか「どうしてマルハンは業界最大手なのか」という疑問は愚問、且つ、無意味だということだった。そんなことは中学生にでもわかる。たくさん出店してたくさん稼いだからだ。

また、何のために働くのか?に対して「カネを稼ぎたいから」と言う人を私は信用しない。これは綺麗事ではなく、その動機が嘘だからだ。「カネを稼ぎたい」で勤め人をやってはいけない。稼げない。上限も定められている。各種、条件も厳しいモノがある。それから業種も限られる。それに勤め人は「ローリスク」が前提だ。ハイリターンがあるはずもない。「世の中カネですよ」と言うなら、さっさと起業してハイリスクを負うべきだ。福祉介護で働きながら「給料が安い」は馬鹿の見本だと思っている。当たり前ではないか。

マシなのは「喰うため」だ。少なくともこれは嘘ではない。普通は働かないとメシが喰えない。喰わせられない。企業も同じ。先ずは「潰さない」ということだ。それから「たくさん雇用したい」とか「もっと税金を払いたい」とかマトモな理由、動機は結構ある。若旦那とか社長マンは、そこにモチベーションを滾らせる私などをみると「目線が低い」とか「理想がない」と馬鹿にしたが、結局のところ、全国展開どころか地域での展開、維持もままならず、最近、大小合わせた店舗すべてが閉じてしまっている。理想どころか、彼らには「現実」すら見えていなかった。

ライオンはインドゾウをみて羨ましがらない。シャチもクジラを羨望しない。そんなつまらぬことを考えているヒマもない。腹が減ったら狩りをせねばならない。今日を生きるために全力を尽くさねばならない。それが「生存における最低条件」だと知っているからだ。

マルハンは業界で初めて「いらっしゃいませ」をやった。静岡の第一号店で店員が頭を下げて客を迎えた。例えば、学ぶというならココだ。当時、パチンコ屋がそんな「普通のこと」をするなどあり得なかった。客も求めてはいなかった。しかし、それから従来のパチンコ屋のイメージ、タバコの臭いが充満する不衛生な空間とか、ガラの悪い兄ちゃんが突っ立っているとかのイメージは一新される。そこから新たなユーザーも発掘されたのは周知の通り、結果として業界全体が巨大産業となった。最初はそこから、やったのはマルハンだった。だから「マルハンはすごい」と言うなら大いに賛同する。

つまり、従業員と顧客に対する「意識改革」だった。いま、福祉介護の業界もコレをやりたいが、なかなかできなくて困っているのが現状だ。どの世界でも「意識を先ず変えよう」と口にするのは容易いが、これほど強い理念の元、確乎たる決意を持ってなさねば成らぬこともない。政治でもそうだ。

<政治家の秘訣は何もない。ただ「正心誠意」の四文字ばかりだ>と言ったのは勝海舟。マルハンが「いらっしゃいませ」で従業員だけではなく顧客の意識も変えたように、この国は政治家の劣化だけを吊るしたり、嘆いたりしている場合でもなくなっている。政治家に対してだけ「正心誠意」を求めた結果、その四文字を持つ政治家は絶滅の危機にある。

だから政治家は言葉だけの「正心誠意」を繰り返した。言葉だけだから軽くなり、ふらふらと向きを変えながら、そこには嘘も蔓延った。当然、その弊害は国民に直撃する。マルハンの「いらっしゃいませ」が言葉だけになったら駐車場で子供が死ぬようなものだが、言うまでもなく、コレの真因は「マルハンだけの所為」でもない。「そこにマルハンがあるからだ」という阿呆はともかく、我が子を春先の駐車場、車の中に放置した母親の「意識」に問題があったことは自明である。すなわち「意識改革」は有権者にも希求されている。

安倍新総裁の自民党。さっそく都合の悪いメディアは叩くが、さて、有権者の「意識改革」はどこまで成されたのか。敢えて「いばらの道」を選んだ安倍さんの「正心誠意」に応えられる有権者はどれほど増えたのか。もうすぐわかる。そして、それは期待できる。



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