忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

カラオケボックスに行かないか

2012年02月05日 | 過去記事





過日、職場の飲み会。久しぶりにカラオケボックスに行った。1次会は「某白木屋」で行われたのだが、20分ほど遅れて店に入ると男性が1名だけ。残りの十数人が女性職員だった。私はメンバーなど知らなかったから、計らずともその「地獄ハーレム」の中に突き落とされる。機嫌よく酔った御婦人がたにからまれながら、そのまま否応なし、問答無用で2次会に引きずって行かれた。

御婦人がたは2時間ほど、私が某白木屋の店員にイモ焼酎をピストン輸送させる鯨飲にも喜んでいた。「おっとこらしぃ~~♪」とのことだが、酒が飲めぬ男性は少なくないから、どうにも最近は珍しがられる。年上の女性職員からは「お父さんみたい」と言われた。

「何か歌え」と言われたので歌う。私の座るソファは両端、がっちりとむっちりと固められている。「郷ひろみ」を歌えと言われて驚く。そのリクエストから、自分がいったいどこで何をしているのか、見失わないで済む。とりあえず「言えないよ」とか熱唱する。黄色い・・・いや、黄土色の声援がある。韓流スターの苦悩が少しだけわかる。私はジャックダニエルのロックを飲み干した。

もちろん、サザンも言われる。コレは比較的若い女性からだった。「TSUNAMI」を歌って欲しいと。コレは私の持ち歌だ(笑)。その昔、あちこちの韓国クラブでも「チュナミ!!」とリクエストされていたモノだ。朝鮮人の生演奏で歌ったこともある。台湾でも歌った。台湾でサザンは「南方之星」と書いてある。

この曲がリリースされたのは2000年、私が28歳だったころだ。当時は「モーニング娘」が凄かった。AKB48より凄かった、ような気がする。その年のオリコンも「恋のダンスサイド」で決まり、だってその前の「LOVEマシーン」は160万枚のミリオンヒット、こんなの誰も勝てないだろう、という状態だった。そこに「チュナミ」だ。コレが売れに売れた。あっという間に300万枚を突破、CD・J-POP楽曲のシングル売上としてはオリコン歴代1位となる。

その年のレコード大賞も獲得。桑田は「ようやく、ひばりさんの背中が見えた」とカッコイイことを言った。だから私も好きな歌なのであった。

しかし、気が乗らない、と言ってみる。すると、何人かが気付いた。そうか、東北で・・・となる。私はホントは歌いたかったが、とりあえず「真夏の果実」で誤魔化した。黄色が抜けて茶色い声援がもらえた。2004年のスマトラ沖地震のときはアレだったが、さすがに今回は「ま、いいか」とはならない。

そしてその後、頭の中で歌詞を思い出すと、はっとした。ちょっと貼ってみよう。





TSUNAMI/サザンオールスターズ

風に戸惑う弱気な僕 通りすがるあの日の幻影
本当は見た目以上 涙もろい過去がある

止めど流る清か水よ 消せど燃ゆる魔性の火よ
あんなに 好きな女性に 出会う夏は二度とない

人は誰も愛求めて闇に彷徨う運命
そして風まかせ Oh,My destiny 涙枯れるまで

見つめ合うと素直にお喋り出来ない 
津波のような侘しさに I know...怯えてる Hoo
めぐり逢えた瞬間から魔法が解けない
鏡のような夢の中で 思い出はいつの日も雨

夢が終わり目醒める時 深い闇に夜明けが来る
本当は見た目以上 打たれ強い僕がいる

泣き出しそうな空眺めて 波に漂うカモメ
きっと世は情け Oh,sweetmemory 旅立ちを胸に

人は涙見せずに大人になれない 
ガラスのような恋だとは I know...気付いてる Hoo
身も心も愛しい女性しか見えない
張り裂けそうな胸の奥で 悲しみに耐えるのは何故?

見つめ合うと素直にお喋り出来ない
津波のような侘しさに I know...怯えてる Hoo
めぐり逢えた瞬間から死ぬまで好きと言って
鏡のような夢の中で 微笑をくれたのは誰?

好きなのに泣いたのは何故? 思い出はいつの日も...雨





----ちょっとゾッとした。


消せど燃ゆる魔性の火よ」など原発事故にしか思えない。「人は誰も愛求めて闇に彷徨う運命 そして風まかせ Oh,My destiny 涙枯れるまで」も深くて怖い。「闇に彷徨う」なども、その闇の原因が「SPEEDIの情報を出さなかったから」と思えてくる。震災からひと月経過しても、原子力安全委員会のサイトには掲載されていなかった。だから「風まかせ」の放射線を浴びた有害物質がどこに行くのかわからなかった。被災地の人々は「My destiny(自分の運命)」すら「風まかせ」にせねばならなかった。それは「涙枯れるまで」だ。

サビの部分「見つめ合うと素直にお喋り出来ない」も絶妙だ。無論、震災を目の当たりにした人々は言葉を失った、という見方でも結構だが、そうではなく、政府も専門家も、東電も国民も「様々な現実と」見つめ合うと、素直にお喋り出来なかった、とも解釈できる。テレビ屋は夏も冬も節電CMで誤魔化したが、1時間当たりの消費電力はエアコン130ワット、液晶テレビ220ワット(野村総合研究所データ)、つまり、テレビを消すとエアコンの1.7倍の節電となる、とは「素直に」やらない。視聴者や国民とは「見つめ合って」いない。



そして2番は「復興」を意識させる。

「夢が終わり目醒める時 深い闇に夜明けが来る
本当は見た目以上 打たれ強い僕がいる 泣き出しそうな空眺めて 波に漂うカモメ
きっと世は情け Oh,sweetmemory 旅立ちを胸に」




もはや私の解釈、説明は必要ない。そのままだ。



ラストのほうになると、歌詞は聴き手に問いかけてくる。



<張り裂けそうな胸の奥で 悲しみに耐えるのは何故?>
<鏡のような夢の中で 微笑をくれたのは誰?>
<好きなのに泣いたのは何故?>




コレも読めば読むほど深い味わいが増す歌詞だ。言葉の息遣いが伝わる。職場の「韓流ファン(本物)」のオバサンはサザンが嫌い、だって歌詞の意味がわからない、と言っていたが、朝鮮語ばかり頭に入れているから馬鹿になったんだろう。

いやはや、桑田佳祐、怪物である。




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