忘憂之物

日本人のモチベーション(界王拳発動)





小説「姿三四郎」に出てくる矢野正五郎の一番弟子、戸田雄次郎が英語を学んでいるシーンが出てくる。小説の時代背景は明治維新後、欧化政策の真っ只中だ。戸田雄次郎は同門に「日本の精神はどうなってもいいのか」と咎められる。「文明文明と騒いで、日本の形がめちゃめちゃになっても構わんのだな」と。

戸田雄次郎は「俺は日本のために英語を勉強するのだ」と言い返す。日本の柔道を世界に広めるためにやっているのだ―――国際化である。「姿三四郎」の作者、富田常雄の父親は「講道館の四天王」と呼ばれていた富田常次郎である。この父親が戸田雄次郎のモデルだ。この父親は本当に柔道を普及させるためにシアトルに行った。

この人は「日本最初の柔道初段」でもあり、柔道使節として1908年、セオドア・ルーズベルトにホワイトハウスに招かれてもいる。そこでルーズベルトは「柔道をやってみろ」として160キロのプロレスラーを用意する。試合結果は「胴締め」で敗れているとある。柔道とは体重別の競技であり、そもそも「胴締め」は柔道で禁止技とされているが、いまも昔もアメリカ人には関係ない。ホワイトハウスから「おいおい、柔よく剛を制するんじゃなかったのかい?」という馬鹿笑いが聞こえてくる。ルール無用で馬鹿のアメリカ人らしくて微笑ましいが、いま、板垣恵介という漫画家が「雄次郎」というキャラにアメリカ大統領をビビらせている。恐れすぎて「雄次郎」個人と安全保障条約を締結する、米軍の憧れの対象になっている、という漫画ぶりだが、わかってやっているなら凄い。まあ、何にでも流行る理由があるということか。

ところで、NHKでまた馬鹿なことをやっていた。日本企業に勤める支那人をピックアップ、日本人幹部にべた褒めさせるという番組だ。「世界を相手にする」とか「多様性のある人材を確保する」とか尤もらしいセリフが続くと、NHKニュースもその後から推す。日本企業100社にアンケートしたら「継続的に採用している」が89社「外国人の採用を増やす」としたのが37社だと喜んでいる。「減らすことを検討している」という企業は、なんと、ありませんでした、とやる。アナウンサーは<国内での売り上げの大きな増加が見込めないなか、海外事業を強化するため、優秀な外国人を積極的に採用しようという企業側の姿勢が伺えます>とか今更やる。お前らは日本を代表する企業の社長に外国人が就いているのを知らんのかと。企業だけでもなく、例えば広島の平和記祈念館の館長はアメリカ人である。だから日本はもう、既に国際的過ぎるほど国際的だ。

産経新聞を読んでいても安心できない。先日は「金さん銀さんは足は命と言った、若者よ外に出よう」というわけのわからぬコラムもあった。日本の学生は内向き、というアレだ。何を言っているのか、私にはまったくわからない。我が倅は大学で支那語や英語は満点取る。簡単だと言う。漢字検定は2級だが、節分の食卓、“恵方巻き”とか“祈祷海苔”を怪しく読んでいたから注意した。支那語も英語もわからんでいいから、日本語くらいはマトモに読めるようになりなさい、と叱責したばかりだ。在日の親父から「おまえはナニ人だ?」と言われる日本人の倅も可哀そうだが、メディアから草食系だの内向きだの言われる若者は焦らずとも良い。鬼は外、福は内、先ずは「内から」わかってもらわんと困る。

それに支那人の労働者で世界は困っているのが現状だ。それを正確に伝えないのは日本くらいか。日本の陸上自衛隊もいる南スーダンでは支那人労働者が拉致されている。やったのは反政府組織、というとテロリストみたいだが、これも武器や贅沢と引き換えに資源やエネルギーを好き放題させる政府が悪い。エジプトでもあった。犯人は遊牧民のベドウィンとされる。ベドウィンというのは「バーディヤ(町以外に住む人)」という意味だ。町に住むのは「ハダリ」という。ベドウィンはハダリの街を守ったり、家畜を飼育したりする。その代わりにハダリはベドウィンの農作物を買い上げてくれたりする。その金でベドウィンもハダリから必要なモノを買う。つまり、文化を護りながら相互関係ができている。

ここに支那人が入り込む。もちろん、根っこはアメリカ人と同じだからルールを守らない。中国社会科学院の専門家が「郷に入りては郷に従え。アフリカでは現地の言葉や習慣を学ぶべきだ。言動を慎まなければ、火の粉が降りかかる」と指摘するほどだ。支那人はラクダに乗った遊牧民の暮らしすら破壊する。なのに日本は大量の支那人労働者を受け入れて、且つ、TPPでアメリカに好き放題させよという。「日本の形」はどうでもいいのか。

「姿三四郎」に戻す。矢野正五郎は柔術を学校に組み入れよ、と進言する。それを学校側は非難する。「この文明摂取の時代に柔術を採るなら、ちょんまげに逆戻りか。外国の侮りを受ける。時代遅れの暴論だ。キミは西洋の学問で何を学びとったのか」―――

「日本の尊さを学びとりました」

富田常雄はそれを<悠久3千年の大和民族の武魂>と称している。最近、文部科学省の定める新学習指導要領で「中学校保健体育」において武道を必修とすることになった。ようやく時代が小説に追いついた。



グローバリゼーションは結構なことだが、そこから「日本人としての国際化」がすっぽりと抜け落ちると意味が変わる。「日本の形」の破壊だ。国際化とは日本人がいなくなることではない。逆だ。日本人が国際社会の中で、もっと日本人になることをいう。富田常雄のお父さんは先述したとおり、1908年にホワイトハウスで負けた。負けた常次郎は潔く帰国するも、そのとき一緒にいたのが、あの有名な前田光世だったりする。当時26歳。

前田は「この腐れ毛唐ども、日本の柔道を舐めてるんじゃない」と雪辱に燃える。1000ドルを用意してアメリカの道端に立つ。「誰でもいいからかかってこい。オレに勝ったらカネをくれてやる。さあ、ぶちのめしてやる」――

前田は講道館を破門される。前田はレスラーやらボクサーやら相手を選ばず、1000回以上無敗で暴れまくる。メキシコにも行く。ヨーロッパにも行く。164センチ70キロの前田はアトランタで「世界一の怪力」と言われた因縁、180センチ120キロの巨漢レスラーと戦う。「ブッチャーボーイ」だ。「カモン、ジャップ」にキレた前田は、問答無用、ブッチャーの腕を「飛び付き腕十字」でへし折った。日本人が内向き?大人しい?勘弁してくれ。

前田光世はブラジルに行きそこで帰化する。ここが在日とは違う。名前も「コンダ・コマ」となる。そこに移民でやってきたのがガスタオン・グレイシーだ。息子のカーロス・グレイシーが暴れん坊で困るからなんとかしてくれ、とコンダ・コマに頼む。このやんちゃ坊主は、そこで柔術を仕込まれる。その息子のカーロス・グレイシー・ジュニアは現在、国際ブラジリアン柔術連盟の会長を務める。もう、おわかりだろう。前田光世は「グレイシー柔術」の始祖だ。日本人が内向き?世界に通用しない?冗談は止めてくれ。

いまも昔も日本が「国際化」したら困るのは白人だ。事実、白人は何度か危なかった。だからいまも、その傀儡を使って日本人の自信を喪失させようと必死だ。だから日本人のノーベル賞作家も「自分には帰るべき朝鮮がない」と泣いたりする。日本人が嫌だと日本人に言わせるのが効果的だと思っているらしい。加藤登紀子も「日本という言葉を発するとき、たえず嫌悪の匂いが私の中に生まれる」と言うから、曽野綾子氏が産経新聞で「じゃあ日本人やめればどうか」と提案していた。教師にも日の丸、君が代と聞けば胸が苦しくなり「カメムシが監視しにくる」とか危ないことを言わせたりする。それほど日本人が日本を学べば白人は危うくなる、と信じている。

たしかに日本を学べば自信に充ち溢れ、感謝の念に押し潰されそうになり、明日から世のため人のため、家族のため恋人のため、とーちゃんのためならえんやこら、かーちゃんのためならえんやこら、もひとつおまけにえんやこら、と頑張ってしまう。NHKが日本をくさすのも無理はない。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「過去記事」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事