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八王子スーパー射殺で警視庁、比に捜査員を派遣(読売新聞)>2012.7.18

2012年07月18日 | 過去記事

    




八王子スーパー射殺で警視庁、比に捜査員を派遣(読売新聞) - goo ニュース

<東京都八王子市のスーパー「ナンペイ」大和田店で1995年7月、アルバイトの女子高校生ら3人が射殺された強盗殺人事件で、警視庁は17日午前、犯行に使われた銃の捜査のため、製造元があるフィリピンに捜査員を派遣した。

 当時の銃の流通経路や製造工程などを確認するとともに、弾丸が銃身内を通過する際に付く「線条痕」の資料提供も求める。

 同庁幹部によると、犯行に使われた銃は、フィリピン製の38口径回転式「スカイヤーズビンガム」。同庁は、現地の製造元の会社から資料提供を求め、犯行に使われた銃の製造時期などを特定する>










第一次世界大戦が終わり、レーニンがロシア社会民主労働党を割って「ボリシェヴィキ」を結成。「暴力による革命」という正直なスローガンの「ロシア革命」が起って「ソ連」になった。それでもまだソ連軍が使っていた拳銃はナガンリボルバーだった。この銃は重くて大きくて使い難い。だから兵隊はドイツのモーゼルとか、アメリカのコルトガバメントがあれば、そちらを使う。というか、そもそもナガンリボルバーはベルギー人の「ナガン兄弟」が作った。なんとかならないか、とレーニンが言うと、トゥーラ兵器工場で働いていたフィヨドル・バジレビッチ・トカレフが自動式拳銃を設計した。1929年のことだった。

トカレフはアメリカのコルトを参考にした。ロシア人でも作れるように部品を減らして組立工程も簡略化した。ハンマーからシア、ディスコネクタに至る最重要な機関部はどうせわからないだろうから、とアッセンブリーにした。大きな部品に小さな複数の部品で構成されたモノを取り付ける。プラモデルをグリコのオマケみたいにしたわけだ。そんな「トカレフ」は1933年に正式採用。大量生産される。

元のスタイルがアメリカのコルト。普通に撃って人も殺せるから世界中に広がった。独ソ戦の初期、ソ連兵から奪ったトカレフをドイツ兵が私用で所持していたりもした。まあまあ人気だった。それから少しだけ時代は流れ、そんなトカレフも1953年に生産は止まる。するとその翌年、支那共産党軍は「五四式拳銃」を人民解放軍で採用する。トカレフの支那バージョンだ。なんと、軍の正式モデルなのにパテント(特許)がない。つまり、コピー品だった。もちろん、その他の例に漏れず、粗悪さはまさに劣化コピー。「撃ったらバラバラになった」とか「落としたら暴発した」などの事故が続出した。支那人は「どうせ撃つんだから」ということで安全装置も作らなかった。グリコのおまけも、ちゃんと作れなかった。

大恥をかいた支那共産党軍は「五四式」の生産を中止。素直にソ連製の「マカロフ」に変更した。日本で「トカレフ騒動」があるのはこの頃になる。密輸だ。この「五四式」が闇ルートで日本に大量に流れ込んできた。「五四式」は「黒星(ヘイシン)」と呼ばれるが、これはトカレフのグリップに五芒星が刻まれていたからだ。トカレフは性能が悪く、狙っても当たらない、という誤解はここから来る。

1995年7月30日。東京都八王子市のスーパー「ナンペイ大和田店」で女性スタッフ3名が射殺された。記事によると使われた銃は<フィリピン製の38口径回転式「スカイヤーズビンガム」>とあるが、これは模造銃の「スカイヤーズ・ビンガム・コマンチ」のこと。蛇足、且つ、旧聞だが、民主党の「仕分け人」だった金田康正が自衛隊の装備にケチをつけて「カラシニコフは1丁30ドルで買えるとインターネットにあった」と言って阿呆を晒した。もっと安いのがあるだろと。そりゃフィリピンのセブ島あたりで1万ペソも出せば良いのが買えるだろうが、常識で考えると「自衛隊の装備なんぞ模造銃で十分」と公言する教授先生の神経はポンコツの模造銃より危険だと思う他ない。

しかしながら、チンピラと同じ装備で日本を護れという阿呆はともかく、この「スカイヤーズビンガム」も性能はよろしくない。だから八王子の事件では女子高生アルバイトの後頭部にくっつけて引き金を引いている。47歳だった女性パートさんは左右のこめかみに撃ち込まれていた。銃の熱で皮膚が焦げていた。発射された銃弾は5発。2発は女子高生にひとつずつ。1発を金庫に発砲して、残る2発は47歳の女性の頭に。銃声は連続していて、47歳の女性が知人男性に電話してから約2分30秒の間に聞こえた(路上にいた高校生の証言)。ほとんど、なんの躊躇いもなく、確実に死に至る方法で殺害している。

47歳の女性は「金庫の開け方」を知っていた。ダイヤル式金庫の番号を知っていた。でも、金庫にあった週末までの売上金526万円がそのままだった。だから「怨恨説」も出た。パート女性のこめかみは焦げていた。つまり、最初に発射された2発で殺されていないことがわかる。想像だが、先ず、縛られていた女子高生が撃たれた。恐怖でひきつる女性を前に金庫に向けて1発。威嚇するなら他の場所があるし、その前の女子高生の脳幹を撃ち抜いたので十分だ。つまり、さっさと金庫を開けろ、という意志表示だった可能性がある。

仮に「強盗説」で考える。すると女性はなぜ、金庫を開けなかったのか、となる。犯人の「意思表示」が伝わらなかったのか。また、犯人はなぜ、この女性が「金庫のダイヤル番号を知っている」とわからなかったのか。もしかすると、この犯人は怯えてパニックになる女性を見て「金庫は開かない」と断定したのではないか。つまり、言葉が通じていない。

それに「左右のこめかみ」に1発ずつ、である。想像してみてほしい。左右から撃つとなれば、拳銃を持ち替えるか、反対側に回るか、即死してる女性を裏返すか、引き起こして撃ち直すか、そもそもなぜ、女子高生と同じに後頭部から撃ち抜かなかったか。

頭蓋骨は存外に硬い。だから拳銃自殺は「口から咥えて」やる。「仁義なき戦い・広島死闘偏」で「山中正治」を演じた北大路欣也も脚本では「こめかみを撃つ」だったが撮影では口に咥えた。登場人物の山中は復員兵、特攻隊の生き残りだ。北大路欣也は、山中が自決するならこうしたはずだ、というリアルをやった。山中のモデルになった「山上光治」も広島東警察署の捜査員に発見され、逃げ込んだ果物店の五右衛門風呂の中、口にブローニング38口径を咥えて死んだ。その方が確実、且つ、顔が汚れないで済むからだ。

こめかみを撃つと骨が砕けて目から飛び出ることもある。頭蓋が割れると顔面への損傷は著しい。誰だかわからなくなる。「2.26事件」の際、総理大臣だった岡田啓介は押し入れに隠れた。そのとき総理秘書官で身辺警備も兼ねていた松尾伝蔵は、自ら反乱将校らの前に躍り出て前額部を撃たれる。反乱将校らは松尾の顔面を見て「目的を果たした」と誤認する。これで岡田は助かる。

犯人はわざわざ「左右のこめかみ」に撃ち分けている。これは「金庫が開かなかった腹いせ」ではなかったか。それから犯人は「カネカネキンコ」すら言えなかった可能性がある。また、粘着テープには犯人の指紋、それから汗が付着していた。残された足跡は血溜まりを避けた10か所。鉄粉やら粘土が採取された。この犯人も「世田谷一家殺害事件」と同じく、いろいろと個人を特定できる「遺留品」を残している。世田谷の場合も「犯人は被害者のパソコンから劇団四季のチケットを購入しようとした」ことまでわかりながら、いま現在でも「未解決」だが、この八王子の事件も15年が過ぎようとしていた2009年、支那で覚醒剤所持の罪で捕まった「日本人の男」が「重大な証言」もした。

大連刑務所にいた男は「日中混成強盗団」のリーダーだった。日本国内で起こした17件の強盗の疑いで愛知県警が国際指名手配していたら、こいつが周囲の知人やら飲食店の従業員に「八王子の事件は知り合いがやった」と自慢していたとわかる。この証言をうっかり「知り合いの中国人がやった」と報じたところもあった。

警視庁は「日中刑事共助条約」に基づき捜査員を大連に派遣する、と支那公安当局に伝達する。自慢げに言いふらしていた馬鹿との面会は許されたが、その後、もうひとり「事情を知る日本人」も覚醒剤の密輸で捕まっていたとわかる。八王子署捜査本部がその男からも事情を聴くため、捜査員の派遣を支那公安当局に要請すると、もう二人共が死刑執行された後だった。支那共産党には日本国内で起った凶悪犯罪の重要参考人を、捜査員派遣の要請中に吊るしてしまう必要があった、と察することは邪推ではない。

相手は日本人だ。脳幹をぶち抜いたところで罪悪など感じない。それに犯人は安モンの銃が当たらないことを知っていた。だから被害者に密着させて発砲した。それでも「黒星」は使わなかった。そんなの使って手がなくなったらたまらない。つまり、支那のことをよく知っている。




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