<<菅前首相>四国霊場巡りを再開>
<退陣してから約1カ月の菅直人前首相が、中断していた四国八十八カ所霊場巡りを再開した。白装束に「同行二人」と書かれた菅笠(すげがさ)をかぶり、3日には愛媛県今治市の五十四番札所「延命寺」を訪れ、歩いての札所巡り「歩き遍路」を再スタートさせた。
SPを連れてはいるが、東京の事務所にも詳しい日程は知らせていない一人旅で、9日までかけて香川県へ入る予定。この日午前は、延命寺や五十五番札所「南光坊」など今治市内の札所を巡った。
南光坊で取材に応じた菅前首相は心境を問われ、「東日本大震災からの復旧・復興と、犠牲者の冥福。それから原発事故の収束。それだけです」と穏やかに語った。更に脱・原発依存については「(首相)在職中にある程度、方向が示されたと思う。最終的には国民が決める」と述べた。
菅前首相のお遍路は、年金未納問題で民主党代表辞任に追い込まれ、「自分自身を見つめ直す」と髪を短く刈り上げて04年7月に一番札所「霊山寺」(徳島県鳴門市)からスタート。その後も断続的に続け、党代表代行時代の08年7月に、五十三番札所「円明寺」(松山市)まで達していた>
昨年の民主党代表選挙。小沢一郎は「頭が真っ白」ということで名前だけ書いて出した。みんな「腹は真っ黒のクセに」と笑っていたら、小沢はやっぱり負けた。勝った菅直人は色紙に「初心を貫く」と書いていた。「初志貫徹」と書けばすっきりするのだが、そんなことよりも「初」の字を間違えていた。衣偏を示偏で書いた。つまり、点が足らなかった。
菅直人がお遍路を再開させた。白装束に菅笠をかぶる菅直人の写真があった。菅が菅笠とはまたややこしいが、この菅笠には「同行二人」と書かれているとのことだ。なんという皮肉か。
「同行二人」とは空海、つまり、弘法大師さんが一緒に回ってくれている、という意味となる。だから「ひとりでもふたり」なのだ。そして、弘法大師といえば平安京の応天門だ。いわゆる「弘法も筆の誤り」である。弘法大師は「応」の文字に点をつけるのを忘れた。いま、これを「弘法大師でも間違えるんだから~」として、ま、気にすんなよ、と巷で使うわけだが、本当はコレ、ちょっと違うのだ。
弘法大師は「応」の字に点がないと知るが、その看板を下ろさず筆に墨をつけて投げる。それがばしっと然るべきところに「点」としてつく。コレが伝説となる。つまり、ここは「偉い人は間違えても、その正し方も違うんだなぁ~」と感心するところだ。凡人とは「間違えたあと」が違うわけだ。菅直人は筆を投げても当たらず、民主党政権の看板は汚れただけだった。いやはや、さすがは延命し損ねてから「延命寺」を訪れるだけのことはある。行動の全てが阿呆である。そこらの阿呆との差異は、そこにSPがいるかどうかだけだ。
また、もうひとつ、これもわざとやっているなら大したものだが、誤魔化す、という言葉も弘法大師からきているという説もある。いわゆる「護摩の灰」というやつだ。ただの灰を箱に入れ「これは弘法大師様が焚いたありがたい護摩だ」と売り歩いた詐欺師がいた、というものだが、これぞまさしく、菅直人そのままである。阿呆で詐欺師、こんなのが公金で財をなし、税金を誤魔化して北朝鮮工作員に手渡し、機密費で贅沢三昧、従妹の嫁はんと首相官邸で缶ビールの空き缶を山と積みながら、国民からも「空き缶」と罵られていたわけだ。今更ながら頭が重いのであるが、当の本人は頭も心も、御遍路の足取りも、とりあえずは軽いことだろう。というのも、在日韓国人からの献金問題も誤魔化して不起訴となったからだ。
「故意を認める理由がない」として嫌疑なし、すなわち不起訴処分とのことだが、それなら領収書もすっと出せや、という話だ。104万円の献金の内、100万円は時効らしいが胡散臭いことこの上ない。「道義的責任」という言葉も虚しく、本当に胡散臭い男を総理にまでしてしまった、という事実が重く圧し掛かる。
そもそも東京地検に処分される前に、お遍路を打つ(回る)ならば「十善戒」という厳しい修行があろう。八十八か所を巡る間、菅直人は、これをたくさん破っている。「不妄語・・・偽りをいうことなかれ」「不綺語・・・虚飾のことばをいうことなかれ」「不両舌・・・二枚舌をつかうことなかれ」「不瞋恚・・・怒ることなかれ」「不邪見・・・邪な考えを起こすなかれ」―――これはもう呪われて死ぬレベルだ。喜んで守っていたのは「お接待(※遍路の途中、見知らぬ人からの接待。基本的に断ってはならない)」くらいなものか。菅直人は日本国民に対して「南無大師遍照金剛」と三回唱えて納札を渡したほうがいい。
しかし、菅直人が「市民の党」から派生した「市民の会」に6250万円を渡していた事は別だ。資金残高がマイナス状態で現金を支出していた件も告発されている。こちらもズドンと重い話だ。合わせて小沢も年貢の納め時、有罪判決が出る可能性は高まっている。
平安時代、修行者は四国の海岸沿い、すなわち「辺地(へち)」を歩いた。「根の国」へ行くためだ。この入口は黄泉の国へと続く。中世以降、辺地は「辺路」と呼ばれるようになり、いつからか「遍路」と落ち着くことになる。罪や穢れを「根の国」に流す。なぜなら、そこは悪霊邪鬼の生まれ故郷。「正と負」を丸ごと引き受ける異世界だ。この世の邪悪を元の世界へ戻す、のだ。
徳川家康は天下を取ると、日本全国の街道を整備し始める。江戸庶民からすれば「御蔭参り」も「お遍路」もレジャー感覚だ。同時に喰い詰めた者、病気の者、家を出された者も「お遍路」を回る。「お接待」で死なずに済むからだ。これは「乞食遍路」と呼ばれて差別される。この世のハレとケを受け入れる「根の国」の入り口がそこにあった。
菅直人は弘法大師さんと「同行二人」で「根の国」を目指して歩く。八十八か所、回り切ったときには悪霊退散、菅直人の額には、ちゃんと弘法大師さんが投げた小筆の痕もある。日本の政界に巣食う邪鬼と共に、弘法大師さんの神通力で黄泉の国へと送り帰されるべきだ。市川房江も待っている。
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