「愛屋鳥に及ぶ(あいおくうにおよぶ)」とは、愛する人の家の屋根にいた鳥さえも愛おしく想う、くらいの意味になる。ま、なんというか、無理矢理わかりやすくすると「阪神ファン」みたいなものだ。なんでも「阪神タイガース」に来ると愛おしくなる。
例えば、広澤克実はヤクルト、それから巨人と4番を打ち、毎度毎度、阪神ファンを恐怖のどん底に落とした名打者だったが、これが阪神にトレードされると「広澤はん」と呼んで受け入れた。「広澤はん」は「六甲おろし」を「六甲おぼし」と言ったが、それすらも許容された。背番号はミスタータイガースの「31」。「阪神ファン」はそれにもケチをつけず応援した。そんな広澤、最後は「代打の仏様」と親しまれた(代打の神様は八木)。
自分の「贔屓チーム」にくると受け入れる。「広澤のボケ!」とヤジっていたファンは「広澤はん、たのむで!」となる。野球ファン、とくに「阪神ファン」にはこの傾向が顕著である。実に微笑ましいことだが、これが「政治の世界でも通用する」と勘違いしているのがいる。移籍先はファンの多い、人気の高いチームが好まれる。
「愛屋鳥に及ぶ」の反対の意味になるのが「坊主憎けりゃ袈裟まで」になる。ちなみに私はコレをおかしいとは思わない。その坊主個人ではなく、仏僧自体、ぜんいんが憎ければ、その象徴でもある袈裟は当然に憎いでよろしい。木魚とか位牌などの仏具も憎いはずだ。インディアンが<輪は人々を引き寄せ、十字架は人々を引き離す。十字架は分裂を引き起こすものだ>(ホピ族の長老トマス・バニヤッカの言葉)としてキリスト教の牧師憎けりゃ十字架まで、になるのは仕方のないことだ。これを「レッテル貼り」とはいわない。
きちっと峻別しておかねばならないことはある。「元巨人」とか「元ヤクルト」は気にしなくともよろしいが、つまり「前民主党」とか「元民主党」をして「民主党」という憎悪の対象、具体的には「落とす」という対象に加えておくことは必要なことであり、16日に備える上での最低限の知識ですらある。同じ過ち、失敗を繰り返さぬためにも、だ。
「元オウム真理教です」という人間と無抵抗、無条件に付き合えるというのは、たぶん、その人もカルト宗教にはまっているか、同じく「元カルト」なわけだ。これは差別でも何でもない。不気味、怪しいで「レッテル」を貼付しているのではなく、支那朝鮮と同じく、何らかの実害を及ぼした犯罪組織、集団であるからだ。これに対する予防的な警戒心を「差別」と言われたら、我々はもはや無防備に近い「お花畑思考」でいる他ない。疑う、安易に信じない、というのは「オレオレ詐欺」から「民主党」までに対する防衛手段である。
私は「民主党を中から変える」とか「売国法案を阻止している」とかいう民主党内にいる保守派議員も批判してきた。「オウム真理教を中から変える」とかあり得ない。外に出てから壊す、という役割のほうが重要だとしてきた。それはいまも変わらない。その集団、団体が「どのような性質を持つのか」がわかった瞬間、自分がそこにいる意味を考え、あるいは「その血肉」にされている可能性を鑑み、最大の攻撃としての離脱が効果的なダメージを与えることを望まれていた。小沢で割れ、消費税と脱原発で割れ、TPPで割れるその後の民主党の崩落が示すように、その極左売国集団の一員として数えられることは、己の祖国に害をなす一味に手を添える愚行であることは自明であった。
また、2009年の悪夢。このとき「政権交代」の御旗の下、3年も経たずに「だれがみてもやれないことを、いつまでもやれるというのは、国民に対する裏切りではないですか」と党の要職を務めたイオン岡田が言うほどの大嘘マニフェストをして、財源はある、バラマキではないと連呼し、日本のためには政権交代が必要なのだと、一度ヤラせてくれと天下の往来で叫んだ過去というモノも忘れてもらったら困る。
「なぜ、この人が民主党なんだ」という議員もいた。この人はいろいろ言ったが、その中でも「レッテル貼りは気をつけないとダメ」は印象深く覚えている。数年前になるか、最初に会った頃だった。この人は私に「レッテル貼付の危険」を言った。日教組にも愛国者がいる、が持論だった。属している組織で個人を判断するのは損だと、保守と呼ばれる人らの了見の狭さだと。比して左翼の連中はカネ儲けも宣伝も上手い、保守陣営は学ぶべきだと述べていた。一定の説得力はある。しかし、あくまでも「一定」だった。
この「元民主党」だった人の言った「レッテルを貼るな」はいま、自分を擁護する言葉になりつつあり、また、その持論を身をもって示す絶好の機会ともなっている。「民主党」というレッテルは目立つ。政策やら人柄の前に「民主党」と聞いただけで拒絶反応を示す有権者は少なくない。いま、3年半前の追い風が数倍になって逆風になっている。このことは周囲、おそらくはその人の心ある周囲の人はそれとなく、あるいはダイレクトに伝え案じた。今はイイ。それでも必ず、民主党は政権を盗ってからボロが出る。そしてそのボロは致命的、且つ、絶望的な威力を持つ。マニフェストの実現も不可能、ゴリ押しすれば誤魔化せないレベルの「帳尻合わせ」が必要になる。とんでもない政党だ、あんたは愛国者なのに、こんな日本を害することがわかっている政党の政権奪取に名を連ねるのか、と。
これは私の持論だが、その人の持論に反論すれば「日教組に愛国者なんかいない」になる。決して愛国者とイコールしないところに「日教組」はある。「オウム真理教にマトモな人間はいない」でもいい。そもそもからして「おかしい」のである。愛国者は日教組に入らない、入れない。「暴走族」にいるけど純真な奴なんだ、はいる。昔、人を殺してしまった、もある。喧嘩の弾みで、思わずカッとなって突き飛ばしたら死んだとか。私も過去、たまたま「相手が死ななかった」だけで、タイミングや打ちどころが悪ければ、たぶん、何人か殺している。こんなことは誰にでもあることだし、多くの人が経験するレベルのことだ。でもいま、私がどこぞの「武等派グループ」に属し、反社会的な組織で活動しながら、例えば人様に対して「感謝を忘れず、日々、コツコツ真面目に生きることが幸せ」とかやっても説得力もないし、そもそも私なんぞに言われたくもないことだ。
この人はいわば「柔軟」だった。そして懐が深いのだろう。日教組や民潭にも日本を憂う人がいる、と本気で考えていた。この人は例の「小沢訪中団」にもいた。前国家主席と握手もして記念撮影もした。小沢が「人民解放軍の野戦司令官」とか言ったとき、その場にてニコニコとビール片手に立っていた。「人民解放軍にも日本を憂う人がいる」と思ったのかどうかは問うていないが、それから3年ほどが過ぎたいま、やっぱり「レッテル貼り」とか「決めつけ」とか「固定観念」と言われようとも、日本の国体を破壊せしめんとする反国家組織、反日団体に「愛国」はみつけられない。「個人で判断する」も危険過ぎる。人は口では何とでも言える。それは民主党が教えてくれたではないか。
しかし、“この人”は観点を換えれば「口だけではなかった」という貴重な政治家でもあった。民主党内部で一貫して「反民主党」だったことは認めざるを得ない。この人は現場で憤っていた。焦っていた。そして戦っていたのだ。このことは揺れ動かぬ事実である。
“この人”はいま、行動で示した。選挙区ではいま、この人ほど悪口が多彩な政治家もいまい。元から「極右」とか「歴史修正主義者」と言われていたのが、ここに「民主党」「ウソつき」「売国奴」の悪口も加わった3年2カ月。それからいま「裏切り者」「コウモリ野郎」「変節漢」。右からも左からも、いやはやボロクソである。
言われるのはわかっていた。そして言われて当然だった。受け入れる覚悟もあった。誤魔化さず、開き直らず、真摯に全てを甘受していた。しかし、いま、この人は信念に基づいて行動した。罵る有権者の数倍、多くの有権者がその事実を知る。見る。絶対に勝てる。
「愛屋鳥に及ぶ」の「愛」は自民党に対してではない。日本国である。私はその屋根にとまる鳥を応援したい。それがべつに「コウモリ」でも構わないが、民主党にも礼を尽くし、ケジメをつけて無所属、自民推薦の侍が、自民党から維新に逃げたポピュリズム丸出しのコウモリを退治する選挙区が大阪にある。「朱に交わっても赤くならない本物の真正保守」が、元から真っ赤のコウモリ野郎を「いてこます(やっつける)」。注目である。
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東京女子医科大学卒業の旧華族出身の「至誠会」の医学博士より
東京女子医科大学卒業の旧華族出身の「至誠会」の医学博士より
久代千代太郎
河野賢治
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