機嫌よろしく仕事をしている私に「もっと関心持ちなさいよ」と言ってきたのは40代半ばの古株女性職員。顔は厭味に笑っているが話の中身、言葉のチョイスは冗談でもなさそうだ。
なんのことか、と呆気に取られていると、最近変わった「業務体系について」だった。つまり「関心を持て」は仕事、業務についてだった。というのも、施設は慢性的な人手不足を「今までが多すぎたのだ」と結論、それでセクトを牛耳るボスに対応を丸投げした。この50代半ばの女ボス、他の職員の面倒見は良いし、率先して動くタイプ。アルバイトから正職員になったことからも現場の事情に精通する。気に入らねば虐めもするが、基本的に悪い人ではない。むしろ「善人」と言える。
そして根っからの善人に「合理主義者」はいない。頭の中には花畑があるから論理的な思考は不可能だ。だから少々、このボスも効率的に物事を判断したり、能率的な視点から業務を構築したり、という難しいことは苦手である。ということは側近の意見を丸飲みする他ない。自他共に「わかったふり」と知りながら、建前上、意見を集約して決定したのだ、ということになる。また、そこに嘴を入れたがるのもいる。あーでもない、こーでもないという理屈屋だ。
案の定、出来上がったソレは見るも無残なバラバラだった(笑)。しかし、施設のエライさんは現場を知らない。あまり興味もない。となれば、そのボスの名の下、他の職員らはソレで動く。初日から無理が生じる。仕事が重複して無駄が生じる。無用な負担が発生して不満が鬱積する。真面目にマニュアル通り、ぜんぶマトモにこなしていくと、定められた時間に帰宅できない日々が続く。真面目が取り柄のうら若き女性職員は18時に終わる予定の仕事が20時を過ぎる。毎日が強制残業になる。そこに会議とか施設行事が重なる。
いずれにしても、大したことはないが「5勤(5日間連続して勤務すること)」で音を上げる連中、そういう「激務(笑)」が続くとどうなるか。
これは簡単で欠勤することになる。熱が出た、腹が痛い、腰が痛い。もちろん、それは仕方がないことではあるが、私のように心身ともに頑丈なオッサンは過去、仕事を休んだ(病欠・当日欠勤)記憶がない。それと要領よく、つまり「遊ばず」に仕事を進めていくから、とくに残業もしなくて済んだりする。無理に暗い顔もしない。愛想の悪い日も無い。だから「涼しい顔」で過ごしていると看做される。こっちはこんなに大変なのに、と突かれる。
「関心を持て」の女性職員も文句ばかり。要すれば、私にも「文句を言え」ということだった。しかし、こんなの無理とか、こんなのイヤ、というのはどこまで譲っても「意見」に過ぎない。提案などでは決して、ない。それから私も不惑を過ぎて1年以上が過ぎる。そろそろ不平不満は少なくなってくるし、言っても詮無いことは言わないとか、それなりの流儀を見出していたりする。すなわち、この女性からの説教である「関心を持て」は的を得る。私はたぶん、本当に「関心が薄い」と自認する。
私とは違って、この「関心を持つ女性職員」は、何事にも関心があり過ぎるから体調を崩して欠勤する。そしてその穴埋めは関心の薄い私なんかがやったりする。「胃が痛くて吐き気がする」と休んだ翌日、その女性は出勤すると「休日を潰された」私に対する謝罪では無く、代わりに「ボスの悪口」を言った。その側近も含めて「勝手なことばっかり」と非難し、愚痴を吐いた。私には「関心」がないかもしれないが、この御婦人には常識がないとわかる。
比して「ボス」は休まない。それに動く。「単純作業」と言って差し支えないルーチンを、その単純な性質から黙々とこなす。頭が悪いと自覚するから、じっとしているのが不安になり、誰も見ていないところでも懸命に動く。自分のアイデンティティを知っている。汚い仕事も「だって仕事だし」で無抵抗。こういうのを「プロ」という。
また、生意気な言い方をすると、一緒に仕事すると非常に助かる。こういう職員を「メインユニット」にせず、その人格から成るイニシアチブだけに期待して「任せる」から、大いなる無駄が生じているだけのことだ。つまり、人事センスというモノがない。目を配って気を配れるスタッフが「中間管理職」の真似事が出来るとは限らない。そういうセンスがないと「有能」を無能化してしまう恐れがある。これはどんな企業にもよく見る現象だ。私にも過去、大いに思い当たる出来事があった。これはそこからの反省でもある。
その「側近」らもそう。ひと通りの業務は無難にこなす。一緒に仕事すると助かる。上手に頼んでやってもらうと効率が上がる。私も早く帰れる。困るのはこの「関心がある」ような職員だったりする。理屈屋さんのほうだ。ともかくノロい。ともかく止まる。
「ボス」は一応、自分が中心となって構築した「業務体系」を愚直、必死にこなす。「側近」らが思うままに「提案」した要素でぐらぐらしたままのシステムを、不安定なまま稼働させる。「側近」らは、そのセクト力学によって珍しく「文句を言わずに」働いている。「自分らが決めたのだ」という自負心もある。そこに他の職員、それこそ派閥外の「関心のある職員」なんかがケチをつけるから、もっと意固地になった結果「そんなの、やりながら変えていけばいいじゃん」という正論にも辿りつく。
文句の連鎖は知らぬうちに「反対のための反対」になり説得力も失う。その「反対の意思」を示すためにはサボタージュ紛いの「実力行使」もやる。システムの不備を言うがために休んだり、殊更「体調不良」を強調したりする。「利用者に負担が」とかマトモなことも混ぜる。それから「関心がある」という割に具体的提案がないのも特徴だ。そろそろ民主党に似てくる。
私も私なりに対応する。そこから勝手に無駄を見つけて省き、さらに勝手に付け加えていく。「やりながら変えていけばいいじゃん」だ。決まった形の中からでも「円滑に機能する業務システム」の可能性は否定しない。「完全体、完成物でしか仕事できない」は無能の証。「あるもの」でなんとかするのが仕事の基本だ。
もちろん、細かいアドバイスというか、私見的なことはその場で言う。「関心があるか無いか」はともかく、何度かの小さな変更があったのもその所為だ。「ボス」は何でも受け入れるから慕われている。その理由は「わからないから」であるが、ともかく、結果として「なんでも聞いてくれる」という評価を得ている。つまり、良く言えばポジティブなのである。だから人が寄ってくる。しかし、ボスである彼女は思考経路が拙い代わり、直感が優れている。鋭い嗅覚もある。だから私の小さな声にも反応する。
私は「関心が薄い物事」についても論理的に分析できる。典型的な男性脳だ。だから、この「新システム」の構築、稼働からひと月後、極簡単にまとめてみた書面を「ボス」にこっそりと渡した。一日の流れ、夜勤の流れ、業務を類型別に分けた一覧と優先順位、それとその各説明を簡略に行い、それらを加味して組み込んだ「新・新システム」をちょっと考えてみたんですけど、これを参考にしてみてください、と3歩下がって手渡した。もちろん、私から、というのは内緒。その理由は「生意気だと思われたくないンです」。
「ボス」はなんでも聞いてくれる。なんでも肯定的に受け入れる。それに嗅覚がある。
それから数日して「ボス」の鶴のナントカ、ちょっと変わったとこがあるから、との一声の下、全職員がソレを確認。パソコンとか、ちょっとアレなボスらしく、ちゃんと「お願いした通り」に手書きのソレになっていた。ちゃんと誤字脱字もあった。それを今度は「側近」がパソコンで打ち直して配布した。「関心がある職員」も納得、ちゃんと「関心のある部分(文句)」も考慮してある。だから私も連休が取れる。膝がちょっと限界だった。
私が新聞を読んでいると、先の「関心を持つ」古株女性職員が関心も無いくせに「選挙?」とか問うてきた。この「関心があり過ぎる」御婦人は自分の選挙区の立候補者も知らない。「それはダメですよ」と窘めると「だって関心ないんだもん」。
巷に巣食う病理「誰がやっても一緒でしょう症候群」だった。私は慌てて「今度の件もそうだったでしょ」と言ってみた。私は関心ありませんでしたけど、あなたは関心を持っていろいろと言っていたじゃないですか、だから、ちゃんと変わったでしょう。
「関心のある」40代半ばは得意気に「ほんまやね」と威張った。子供手当も高速道路無料も嘘だったでしょう、と付け加えると「そうそう!」と思い出したように言ったあと、もう絶対に投票しない、と怒っていた。私はすかさず、ネエサン、それじゃあダメですよ、対立候補に投票して落とさないと、とアドバイスすると「うん。わかった。選挙に行く」とか。
しかし、また私に対して「というか、あんたは選挙とか関心持つより、自分の仕事に関心を持ちなさい」とか説教喰らった。私は頭を掻いて謝ったが、これでまた民主党への1票を殺した充実感に満たされた。ざまみろ。
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