人類が初めて肉を焼いて喰ったのは、例えば「山火事で焼け死んだ動物を喰ったら香ばしくて美味かった」みたいなものだろうか。それから人類は獲物を丸ごと火で炙って喰うことを覚えたのかもしれん。満天の星空の下、家族や仲間と火を囲んで、美味しい肉を焼きながらウホウホと、楽しいひとときを過ごしていた――――とすれば、だ。
この「焼いて喰う」とは、その後に辿り着く「煮て食う」にもつながる大変重要な進化だった。なにしろ得られるものが多い。先ずは「味」だ。専門的なことは知らんが、先ず、肉を焼けば脂が出る。肉汁が出る。消化にも良いから量が喰えるようになる。喰った後も「お腹が痛くならない」ならば子供や老人も喰うことが出来る。すると狩りに出ない人はヒマだから、なんとなく土をこねて遊んでいた。それが火の中に入ると硬くなった。「土って火で焼いたら石になるんじゃ・・?」ということで、色々と試してみた。すると鍋や壷が出来た。便利だった。でも、そのままでは殺風景だから、その辺に転がっていた縄で模様をつけた。貝殻がたくさんあったところはそれで模様をつけてみた。「縄文式土器」だ。
水を入れて火にかけてみるとグツグツとなった。「肉→ジュウジュウ→ウマウマ」「肉→グツグツ→???」ということで肉を入れてみた。なんともあっさりして美味かった。そのままでは堅くて、いつまでも噛んでなければならなかった草も入れてみた。軟らかくなった。なにより、このグツグツいう「水」の美味さはどうだ。ウッホーと楽しくなった。
火の発見と土器の発明は、人類に「美味しく食べる」とか「楽しく食べる」ということを教えた。消化器官の負担も激減した。また、殺菌効果と食事以外の時間も与えた。「喰う時間」の少しを「調理の時間」として捻出することは問題なかった。というのも、野生の動物とはその食事時間がどうにもならない。中には一日中、顎を動かして喰ってなければならない阿呆なのもいる。煮て喰えばいいのだが、どうやら、それは人類だけの特権らしい、ということで、人類はその「空き時間」でいろいろやった。食料の貯蔵もしてよいことになった。火を通すからだ。
メシを蓄えることができる、となれば「肉」にこだわる理由もなく、火を通して美味い穀物を喰えばいいことになる。また、それが「生き物として」良いか悪いかはともかく、間もなくして日本には稲作が入ってきた。土器は便利なだけではなく、人形になったり、見て楽しむモノになったりした。人類はヒマになったから、小人閑居して不善をなす、の法則に従い、今日の自分も家族も喰えるのに争ったり、競ったりすることになった。
日本はこのあたりで落ち着いたが、アングロサクソンはここから奪ったり殺したりという遊びを覚えて、今でも世界のあちこちでやっている。日本人は頑張っても「レア」で腹を壊すが、彼らは肉も未だに「ロー(生肉)」や「ブルー(数秒焼く)」で喰ったりする。つまり、彼らは未だにウホウホなのである。
だから日本人は生肉を喰えば運悪く(体調悪く)して死ぬこともある。ところで、知っている人は知っているが、私が意外に「生肉」を喰わないのも、このバリケードのような体躯は意外とデリケートなのだと知っているからだ。焼肉屋などでも当然のように「ユッケ」を注文する人が多いが、私が「ユッケはあんま喰わないんだョ」と言えば驚くのをやめなさい。私は「生レバー」も」2枚しか喰わない。それに美味いと思ったこともない。その割り箸に付いた血が気持ち悪い。きゃぁー。
「なにお!あんたは生センマイが好きじゃないか!」という声も大阪から聞こえてきたから言っておこう。先ず、生センマイの「生」とは捏造だ。センマイとは牛の3番目の胃のことだが、これは実のところ、その多くは「湯通し」されておるのだ。掃除がしにくいからな。だから生レバーやらユッケと比して、カンピロバクター的な意味でもリスクは激減しておる。それに、だ。これも知っている人は思い出してほしいのだが、私は生センマイを食すとき、わざわざ「ごま油と塩」を頼むことが多い。もしくは、あなたが喰っている「生レバー」の横に付いている同じモノを拝借して喰っているはずだ。ま、祖母がそうして喰っていたからなのだが、これが実に効果的なのだ。「ごま油」には抗菌効果がある。それに抗酸化作用も強い。また、塩の殺菌効果は言うまでもあるまい。だから私は「なません」だけは好きなのだ。嗚呼ぁ、喰いたい。
焼き肉チェーン店「焼肉酒家えびす」の集団食中毒事件では4人が死亡した。2~300円で喰える生肉はともかく、そもそも「精肉に生食はあり得ない」という常識こそ知っておかねばならない。牛肉のカンピロバクター汚染率は1割を超える。鮮度は関係ない。豚肉はもっとリスクが高く、鶏肉に至ってはなんと、100%なのである。「食中毒を引き起こす細菌が100%いる」ということだ。これはもう、ロシアンルーレットのようなものだ。
そしてこれらのリスクは「火を十分に通す」ことでノーリスクとなるし美味しくなる。何故にしっかり焼かないのか、と思えば、全国焼肉協会という素敵なネーミングの団体担当者は「消費者ニーズが高い」とのコメントを出している。卸売業者も販売店も「客が喰いたいというから・・」と困っている。たしかに、我が妻もユッケやら生レバーには目が無い。いや、女性や子供に限らず、男性でも「ユッケ」が好きな人は珍しくない。
理由はいくつか思い浮かぶ。
先ず、生で喰えるのは新鮮というイメージだ。そして新鮮なモノは体によろしいという固定観念がある。味は好みの問題だが、それでも単純に「美味しいから」と我が妻などは言う。それと、やはり「ヘルシー」だということだ。焼けば溢れる「肉の脂」は悪者なのだ。
平均的な焼肉メニューのカロリーをみてみると、たしかに「ユッケ」は160キロカロリー程度だ。私の大好きなカルビやらロースやらは、同じ一人前でも450キロカロリーを超える。ダイエット娘が思わず「ユッケ」を注文するのもわかる。だから、ユッケが好きな人は勝手に喰えばよろしいわけだが、この全国焼肉協会の担当は言葉が足りない。
つまり、顧客のニーズとは「ユッケが喰いたい」だけではない。そこには「安い値段で喰いたい」が加わっているはずだ。ならば、今回の「ユッケ食中毒事件」の原因はここにある。問題はやはり、その販売価格であった。
先ほど、私は「生肉喰って腹が痛くなる」ことについて鮮度は関係ない、とした。これはその通りで、生肉を生で食するならば、そこには厳然としてリスクはある。100グラム100円の肉でも1500円の肉でも同じことだ。それでも「生で喰う」ならば、私は「それなりの値段」を取る店でしか喰えない。同じロシアンルーレットでも、6発中5発も弾丸が入っているなら話は別で、要するに「確率」の問題となる。計算せねばならないコストとは仕入れ値だけではないからだ。
管理コストがある。それに調理や接客に携わる人件費もコストだ。時間給1000円程度のアルバイトが盛り付けた「リスクのある喰いモノ」など私なら口にしない。申し訳ないが、はっきり言って厨房での仕事が信用できない。ダスターやまな板、包丁などの調理器具はどうなっているのか。まさか「作り置き」などしていないか、肉の盛り付けやらを素手で行っているのではあるまいな、などと疑心暗鬼になるくらいなら、私は最初から小鉢に少しだけの「ユッケ」に1000円でも2000円でも支払う。その金が惜しければ生は喰わないだけだ。もしくは店舗設備やら人件費に金をかけていない「立ち飲み屋」などで喰う。
それを無理矢理300円で喰おうとすれば、残りのコストは客のリスクとなる。これは当然のことだ。今回の食中毒事件では、また「ユッケ」が悪者にされそうだ。明らかな風評被害である。真因は「低価格競争による無理なコストダウン」であると明白だ。
原子力発電でも生肉でも憲法9条でも、だ。リスクが可視化されてから社長や総理大臣を土下座させても遅い。何かあってからでは遅すぎる。普段からコストを意識すべきであり、どこに「しわ寄せ」が及んでいるか、それが壊れたときにはどうなるのか、くらいは考えていたほうがよさそうだ。
コメント一覧
久代千代太郎
な
最近の「過去記事」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事