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島田紳助の芸能界引退を発表…暴力団関係者との親密な関係が明らかになったため

2011年08月24日 | 過去記事
島田紳助の芸能界引退を発表…暴力団関係者との親密な関係が明らかになったため

<タレントの島田紳助(55)が23日夜、東京・新宿の吉本興業東京本部都内で緊急記者会見を
開き、芸能界引退を発表した。所属するよしもとクリエイティブ・エージェンシーによると、
2005年6月から07年6月までの間、暴力団関係者との間に親密さをうかがわせるメールの
やりとりがあったという。

会見には紳助が所属するよしもとクリエイティブ・エージェンシーの水谷暢宏社長と原田裕
弁護士が同席。紳助は「きょうをもって芸能界を引退することになった島田紳助です」とあいさつ。
「明日からは普通の人に戻って静かに暮らしていきたいと思います」と話し、会見中には涙も見せた。

紳助は現在、日本テレビ系「行列のできる法律相談所」「人生が変わる1分間の深イイ話」、
フジテレビ系「クイズ!ヘキサゴン2」、テレビ東京系「開運!なんでも鑑定団」など、各局の
看板番組を多数抱える影響力ある立場だけに、よしもと側が問題視し、紳助に事実を確認。
本人が当該行為を認め、社会的責任を取って芸能活動引退を申し入れ、よしもとも了承したという>



⇒「親密な付き合いがあった」だけで引退なら、芸能界だけではなく、政界にも人がいなくなる。驚かないで読んでほしいのだが、私の感想はずばり、コレは本当に島田紳助の美学である、ということだ。この大物芸能人の「美学」には、吉本もメディアも降参する他なかった。もちろん、島田紳助は親密かどうかはともかく、闇組織、というか、ヤクザとも付き合いがあったのだろう。それは多くの芸能人や政治家、企業社長や地元有力者などと同じように、公にできない交際があった、というだけのことだった。

しかし、これが「公になる」ことになった。明日か明後日の週刊誌には詳しくやられるはずだ。島田紳助は社会に対する自分の影響力、吉本興業という社内での立場、自身を心から慕う後輩や仲間を想い、ちょっとナルシズムではあるが、自ら引退することでケジメをつける形となった。島田紳助は「ルール違反」という言葉を使った。自分は結果的にルールを破ったのだと。

私は個人的に「島田紳助を慕う芸人」の何人かと飲んだこともあるが、それはまさに、こちらが冗談でも島田紳助を愚弄するようなことがあれば、その場で殴りかかってくるのではないかというほどの信望だった。ともかく、世話になっている、恩を感じている、面倒を見てくれた、と彼らの島田紳助への想い、とは「義理人情」という「人が人足り得る価値観」のことだった。普段、テレビを見ながら「しんすけww」と呼び捨てにするような感覚では聴けぬ雰囲気だった。現在の日本で死滅しかけている長幼の序、年功序列という敬愛すべき人へ対する恩義、年上や先輩をたてる行儀、人や場所に合わせた所作、礼儀作法などは(ちゃんとした)芸人には残る。だから、ちゃんと上に立つ者は責任と義務を自覚できる。その姿こそが、昨日の記者会見だった。そこには美学があった。

私は個人的にだが、島田紳助の芸風は好きではない。漫才時代も好きではなかったし、トーク番組の司会にしても、あまり私の好みではない。テレビで見かけても平然とチャンネルを変える。それはちょうど阪神ファンが「巨人の4番打者」をくさすようなもので、その「プロとしての実力」とは何ら関係が無く、あくまでも個人的な趣向として「好きではない」というだけだ。しかし、私は「お笑い好き」であるから、島田紳助が大物芸能人となった理由については否定しない。あくまでも「芸人としての実力」はあるのだと認めざるを得ない。それは「野球ファン」が「イチローは打者として大したことはない」と言えないように、好きや嫌いでは説明できない「結果」というものが前提としてあるからだ。

そして皮肉なものだが、私は今回の引退をして「島田紳助のファン」になった。彼は本物だと確信できた。彼は大勢が慕うべき人格者である。だから今回の件も、堂々と「撤回するか、いずれ復帰して欲しい」と言える。間違いなく、島田紳助は更に株を上げた。これは民主党の連中には一生わからない「美学」である。

あ、それから「東京03」は元々好きだ。

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