忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ちゃんと真面目に老けよう

2011年08月23日 | 過去記事

この仕事をしていると頻繁に実習生が職場に来る。大学生や専門学生、職業訓練校などからの「職場実習」である。私も何ヵ所かの施設で世話になった。そして、やはりというか女性が多い。女子大生なども珍しくないから、職場の独身野郎どもはお洒落に余念がない。隙があったらでれでれと話しかけているようで、これまた、それをきっかけにして職場の女性陣の機嫌が悪くなる。実に迷惑極まりないのだが、その点、私は「でれでれする理由」を持ち合わせていないから、先日など、私がこのクソ暑い中「入浴介助」をしていると、とある女性職員が冷たい麦茶を紙コップに入れて持ってきてくれた。ちよたろさん、はい、どうぞ、ということだが、この女性職員は3か月前までマトモに口も利いてくれなかった。

また、別の女性職員の古株は、仕事を終えて帰ろうとする私を呼び止め、ペットボトルのコカコーラをこっそりくれた。小声でちよたろさん、喉が乾いたやろ?とのことだが、このオバサンは、私が入所した頃、徹底的に虐め抜いてくれた人だ。あ、そうそう。いつかこのブログで「絶対にコーヒーを入れさせてやるからな」と予言したが虐められるよ~(たすけてww)、これが早くも実現もした。明らかに「敵方(笑)」に属するはずの女性職員数人だったが、ついに先日、その中の一人が私にブラックコーヒーを作ってくれていた。やはり、私の発する日韓友好、河内浪速の友愛精神は深く浸透するのだ。他人は自分の合わせ鏡、人を変えたいなら自分が変わる、人生は相身互い、御蔭様の精神である。


ま、ところで、これがまた結構な美人が来ていた。女子大生だ。3日ほど「私がいるフロア」で実習していたが、明日からは別のフロアに行くのだと挨拶してきた。私は紋切り型の「がんばってね」で快く送り出したのだが、次の日、その女子大生がまたいた。その理由は私がなんで?と問う前に古株が教えてくれた。

セクハラがある、とのことだった。それで急遽、そういうことが少ないフロアに戻されたのだと言う。加害者は利用者のお爺さんだ。

この爺さんは常習犯で、施設はそこそこの苦情も受けていた。中身は「胸を触る」とか「抱きついてくる」とか「根掘り葉掘り聞いてくる」とか「キスをしてきた」などである。お盛んで結構なのだが、それは面会に来た我がの嫁さんにしたほうがいい。もしくは家に帰れ(笑)。なんともうらまやしkgねいおg

また、ついでに書いておくが、私はこういう爺さんは放り出したほうがいい、と思っている。特別養護老人ホームというところは集団生活の場だ。これがセクハラではなく、暴力行為ならわかりやすい。被害者となるのは職員に限らない。というか、コレが実際に少なくないのだ。私も何度かみた。報告書にも書いた。「気に入らぬ」というだけの理由で平然と殴
りつける。相手は車椅子のお婆さんだったり、杖をついて歩くお爺さんだったりするから、コレがとても危険なのだ。

人間、だれでも年をとれば仙人になるわけではない。「論語」にもある。孔子が古い友人の原壌に会いに行く。すると原壌は朝鮮人のように片膝を立てたまま孔子を出迎える。孔子はついていた杖で原壌の脛を打ち、こう叱る。


「おまえは幼少のころから素直でなく、大人になってからは人に褒められたこともなく、年を取っても死ぬこともせず、おまえのような人間をごくつぶしというのだ」


無論、認知症の利用者が介助を拒否して暴れたりはある。ひっかかれたり噛まれたり、私の腕にも生傷が絶えない。私には当たらないが(スタンド能力)、職員側に隙があれば顎に痛烈な一撃を喰らうこともある。爺さんが全てガリガリよぼよぼだと思わぬことだ。中には私よりもでかく、重い爺さんもいる。風呂に入れていると「軽トラックを洗っている」ようなものだ。そんな坂口征二みたいな爺さんから首でも絞められたら、か弱い女性職員なら危険もある。60代半ば、健康なら若いもんに負けん、という認知症の爺さんなど珍しくない。


また、言うまでもなく、これが精神保健福祉センターなどの介護なら、相手は強靭な肉体を持つ若者だったりもする。もちろん、この手の「危なかった話」はやまてこある。みんながみんなパッチ・アダムスにはなれないから、やはり、危険な目に遭い、怪我をさせられ、仕方なく辞めていく人もいる。私も「目に指を入れられた」こともある。咄嗟に手を払わねば怪我では済まぬ可能性もあったほどの強さ、速さ、だった。

しかし、これは明確に「仕事の範囲」である。こういうことは想定内、気をつけるべきはプロであるコチラなのだ。しかしながら、相手が同じ利用者であれば話は別で、その安全管理も我々の仕事であることは言うまでもない。だから可能な限り、そういう利用者さんには付き添いもするし、周囲に気をつけておくこともする。しかしながら、実習生とはいえ、この仕事を目指す人だと、つい、コレが疎かになる。また、私もそうだったが、実習生の頃は年寄りはみんな仙人だと思い、無防備に近づいてしまうことも否めない。それに少々、何かされたところで「これは自分の所為かも・・・」とかで黙っている。そこは「きゃぁ!!なにすんの!」で良いのだが、これまた周囲に遠慮して我慢してしまうわけだ。

そして、相手はソレも知っている(笑)。呆け老人もいるが、そこには「ボケたふり老人」もいるのだ。「よろめいたふりで胸を触る」などは朝飯前、体を密着させる必要のある介護などは好機到来、そこらのピンサロ親父顔負けのスケベ心で襲いかかる。



積立なかった介護保険を使い、生活保護者ならば全額控除、市民の皆様の税金で栄養バランスのとれた食事を3食用意され、大きな風呂に入り、空調の管理された居室があって、シーツの交換された快適なベッドで眠り、定期的な診断もある、熱が出れば救急車が飛んでくる、具合が悪ければ2時間おきに体調をチェックしてくれるし、歯医者も来る、理髪もしてくれる、ヒマ潰し程度のイベントもやってくれて、その上、実習生の女子大生を触りまくってよい老後―――など、ちょっとなに言ってるかわかんない、のである。

ま、もちろん、ほとんどの高齢者は慎ましく暮らしていらっしゃるわけだが、だからこそ、そういう「少数派」の迷惑老人は放っておいたらダメなのである。ちゃんと施設から「ダメ!」と言わねばならない。「出てって下さい」もありだと思う。そういう老人こそ、家族が面倒みるべき、他人様(他の利用者さん)に迷惑はかけてはならない。





プラトンは「老い」というものを、老齢における肉体の衰えから、魂はより自由に解き放たれる―――と言った。いわゆる「賛老思想」だ。面白いのは弟子のアリストテレスが、肉体は魂と融合している―――という思想の持ち主であることだ。つまり、アリストテレスは肉体的な衰えは人格を退行させる、という「嫌老思想」の代表となった。プラトンが80歳まで生きたということから、なにか、嫌なことでもあったのだろうか(笑)。

ちなみに支那では「老荘思想」というのがある。これは「無為自然・知足」ということで、何も無意味に長生きしても仕方がないアル、というなかなか優れた思想である。コレが日本に伝えられると「天寿を全うする」なんて言われることになった。しかしながら、コレは建前であり、支那にはちゃんと「不老不死」の概念が跋扈する。「神仙思想」だ。

ジャッキーチェンの昔の映画でも、必ず強い爺さんが出てくる。稀に悪者だったりもするが、それらは共通して真っ白いヒゲを蓄え、白い着物を着て、山奥に住んでいたりした。支那人は「年をとっても何も失わない、いや、肉体も魂も若者を凌駕するのだ」という仙人を夢想し、それに神通力まで持たせていた。つまり、天寿を全うするのは仕方がないが、ならば、その天寿が来なければいいわけで、実に支那人らしい矛盾した思想だ。

そんな支那ではいま、やっぱりというか、そこはさすがというか、日本の老人虐待など鼻で笑うかのような事件もあった。


http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0602&f=national_0602_082.shtml
<虐待老人ホーム「小さなことで騒がないでほしい」入居者を縛る・殴る・尿飲ませる=河南>

<河南省鄭州市政府は6日午後8時、市内の老人ホーム「暢楽園」の職員が入居者に対する虐待を繰り返していたことが確認されたとして、関係者の処罰・処分に乗り出したことを明らかにした。職員らは入居者を椅子やベッドに縛りつけたり、殴るなどで負傷させることが常態化していた。のどの渇きを訴えた入居者に尿を飲ませることもあった。中国新聞社が報じた>




支那の老人ホームに入るくらいなら殺してくれ、という人もいると思う。ましてや、そこに「大東亜戦争を経験した日本人」などが入所すれば、支那人得意の拷問介護の出番となろう。両手両足を切り落とし、喉を焼き潰してから目玉をくりぬき、そのまま便所の下へ放り込む。支那伝統の拷問「人豚」だ。だからやった本人もこんなんだ。



<看護師は「小さなことで騒がないでほしい。痴呆症(認知症)の老人を世話する場合、過激なことをする場合もある」などと説明。午前3時に無理やり起床させることについては「夜に小便の回数が多いから」、「尿を入れる袋があふれる。ふとんが濡れたら気持ち悪いはずだ。私も服を変えさせたり洗濯するのが大変だ」などと述べ、取材者がさらに追及すると「老人を起床させれば早く勤務交替できるからだ」などと認めた>


まったく、こういう国からたくさん人が来るわけだから、これはもう、我々が高齢者になった暁には、日本の施設も危ないのではないかと背筋が凍る思いを伝えたいのである。






ま―――しかしながら、だ。



昔の日本も今で言うところの「人権」やら「権利」やらでは片付かない無茶を言う人もいた。兼好法師は「徒然草」の中で「人間は40歳までに死ぬが本望」という意味のことを書いてしまう。40歳を過ぎると「現世への欲」が出てくる、とのことだ。孫の将来を見たい、貯めた金で好きなことをしたい、加藤茶ではないが、もしかすると、またまた若い嫁さんをもらえるかもしれない。ちょっとだけよ、ということだが、言った本人の兼好法師は70歳前後まで生きた。こういう図太さがないと長生きできないのだろう。



私は今年40歳になった。「初老」である。介護保険も今年から引かれている(泣)。兼好法師に叱られぬよう、ちゃんと「もののあはれ」がわかる老人になりたいものだ。もちろん、その暁には女子大生は触らない。きちんと紳士的に振舞うことを約束し・・・ん?



「ちよたろさん、今日で本当に終わりなんです。お世話になりました!」


ん。ま、これからも元気でがんばってね。セクハラとかメタハラには気をつけてね。


「め・・?めたはら・・?」


あ、いいのいいの。んじゃね。


「あの・・・それで、すごいショックで・・あの・・・わたし・・・」


ああ、セクハラね、まあ、そういうこともあるけどね、やっぱり自分が気をつけてね、


「いや、そうじゃなくて・・あの、この仕事・・・ちよたろさんが働いてるのをみて・・あの、とにかく、すごい尊敬しました!ありがとうございました!」


嗚呼ぁ・・・あ・・・ああそう・・・



・・・・・・・・・・・・。






『世の人の心惑はす事、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな・・・・』



今度、あのセクハラ爺さん、話せばわかるから注意でもするかな。支那の老人ホーム放り込むぞ!とかキツイのを、な。ま、でも、いくつになっても「女は怖い」わけだな。そういえば「論語」にはこんなのもあるな。


ええと、

吉野川上空を飛んでいたのは「久米仙人」だった。そのほとりでは若い女が着物を上げて白い足を出している。それを見て「うほっ」となった久米仙人は神通力を失い墜落する。


『久米の仙人の、物洗ふ女の脛の白きをみて、通を失ひけんは、まことに、手足、はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし』





ちゃんと真面目に年取らないと、それはただの老化現象―――ということであるが、兼好法師ww


「さもあらんかし」www


みとめるなww

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