http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101220-00000011-maip-soci
<伊勢神宮 参拝者が最多>
過去最多は1973年とのことだ。私が2歳の頃である。写真はコレだ。
・・・。
な、何とも可愛らしい朝鮮服である。離乳食として祖母が喰わせてくれていた「ニンニクと鶏の雑炊」のおかげでお肌がぷるんぷるんしている。抱きしめたいのである。
ま、ところで、この記事では今年が過去最多の860万人を突破した要因を宇治橋が架け替えられたこと、伊勢自動車道が無料化されたこと、などを挙げているが、さて、そうだろうか。まさに神宮司庁のいう<式年遷宮の年以外で記録が更新されたのは異例>ということだろうが、今年はなぜに「異例」なほどの参拝客が「ええじゃないかええじゃないか」とお伊勢参りに出掛けたのか、非常に興味深いのである。
学校で習った「ええじゃないか」は「御蔭参り」のことである。伊勢神宮に参拝する人が急激に増えることをいうが、記録に残るのは1617年、1652年、1705年、1771年、1830年とある。ざっとみれば40~60年周期で繰り返されていることがわかる。これは虹の顧問・河内屋の親父がいう「歴史は60年周期」とも合致する。ちなみに最後は明治維新直前だ。
では、過去最多である1973年の前年、私が1歳だったころの日本では何があったのか。
ぺらっと見ただけでも「ニクソン大統領が訪中」「沖縄返還」「日中国交正常化」「アメリカの北爆再開」などとある。北朝鮮最高人民会議で金日成が国家主席として選出されたのもこの年だったりする。まあ、相変わらず、日本はいろいろと大変だった。あっと、現在の民主党がシンパシーを感じる連合赤軍が「あさま山荘事件」を起こしたのもこの年だ。テレビの視聴率は90%近くに達したらしい。私のオカンも見ていたに違いない。
そして、およそ40年後の2009年には「政権交代」があったわけだが、この連中が世代的に全共闘なのはアレとしても、中には革マル派から推薦書をもらっていたホンマモンもいた。枝野だ。枝野は覚書に「私はJR総連及びJR東労組の掲げる綱領を理解し連帯して活動します」と書いている、と国会でバラされた。マスコミは「革マル派」などの左翼集団を、さすがに「市民グループ」とするわけにはいかないから「左翼過激派」などとするが、警察ではこれらの団体を「極左暴力集団」と指定している。今年の7月には新宿の「革マル派」のアジトを警察庁公安部が家宅捜索、60代の男を逮捕しているが、民主党は革マル派の「綱領を理解し連帯して活動します」という危険人物を行政刷新担当大臣にしていたわけだ。今の民主党議員の事務所や本部、及び、総理官邸は「アジト」と呼ぶべきかもしれない。もちろん、こんなのは氷山の一角であり、現在の日本の政権を担う与党が「極左暴力集団」に牛耳られていることは言うまでもないが、いずれにせよ、日本人は遠い昔から「国難の危機」を感じ取ると「御蔭参り」を行うという習性があるようだ。
これを極左暴力集団・民主党のように言うと「偏狭なナショナリズム」となる。
たしかに「偏狭なナショナリズム」は盛り上がっている。私も微力ながら「偏狭なナショナリズム」を撒き散らしていると言えよう。BARをやっているときも「周辺調査」と言い分けしてキャバクラに行ったりもしたが、その「沖縄出身」の女の子に「白梅の塔」の話をしたら泣いたこともあった。黒服が「どうされました?」と来たから焦ったほどだ。
しかし、民主党などの極左暴力集団が恐れるナショナリズムとは、嗚呼ぁ、可哀そう、戦争って悲惨、それでも日本の先人は苦労して難儀して、この国を護ったわけですね~というものだけではない。それは英霊、すなわち「英雄」を語られることだ。武勇伝だ。
先日、家でメシ喰っているときにした話を書いておこう。妻の感想は「すごい!かっこい~!!」であった。その猛者は「山本金吉中尉」だ。その同じ中隊にいた故・田形竹尾先生の「空戦・飛燕対グラマン」に書かれている。僭越ながら私がその概略を書いてみたい。
田形竹尾准尉含む「第七十七戦隊」は昭和17年3月9日、英空軍が誇ったビルマ最大の基地ラングーンが陥落したあと「立派な設備が整った飛行場」にて駆け回っていた。そこはラングーン基地内ミンガラドン飛行場だった。
目的は友軍機の残骸から遺体を収容することだ。吉岡戦隊長の指示で田形准尉も懸命に捜索した。田形准尉は飛行場の隅に九七式の残骸をみつける。わずかに焼け残った尾部と胴体部分に機体番号を確認した。まさしく「山本機」であった。
が、しかし、いくら探しても「山本金吉中尉」の遺体がみつからない。あきらめかけていると、そこに偶然、戦隊の兵がラングーンで買い物をして戻ってきた。その包み紙は地元の新聞で「ラングーン・ガゼット紙」だった。そこには「英陸軍葬」の記事があった。
その記事を頼りにエドワード教会を訪ね、神父から詳しく話を聞くことが出来たという。
「山本金吉中尉」は教会の最高地に埋葬されていたという。戦友が掘り起こすと、立派な棺の中には全身を包帯で巻かれた山本中尉が眠っていた。そして検視後、真新しい十字架の元へ戻したのだという。誰が供えたのか真っ白なジャスミンの花があったとのことだ。
昭和17年1月28日、日本陸軍のビルマ侵攻に呼応して、第三飛行集団による第一次ラングーン攻撃が開始された。その日のラングーン上空は高度2000メートルから5000メートルにかけて乱雲が重なり、前を飛ぶ友軍の戦闘機をも目視出来ぬほど視界は悪かった。
下には数万を超える英印軍。ミンガラドン飛行場からはカーチスP40、ホーカーハリケーン、ブリュースター・バッファローなどの最新鋭機が砂塵を巻き上げ、次から次へと空へ舞い上がってくる。雲の隙間からみえる地上からは敵高射砲が狂ったように弾丸を放つ。
「第七十七隊」もそこにいた。田形准尉は敵高射砲の下からの雨をかわしながら、英空軍機ハリケーンなどの俊鋭三十数機と壮絶なる死闘を繰り広げ、はるかに性能が劣る九七式ながら敵を圧倒する。中隊は雲の切れ間から目視連絡を神業的に取り合い、ラングーン基地に巨弾を降らせて帰還飛行に移る。そのとき第二中隊第二小隊長の山本中尉は松田中隊隊長の危機を救う。松田機を狙ったホーカーハリケーンは、中空を切り裂いて迫る山本機の放つ機銃によって大破。しかしながら、山本機はエンジン部に被弾、火を噴きあげた。
「エンジンをやられた。今はこれまで」
山本中尉は大きく翼を振りながら、ミンガラドン飛行場に向けて急降下する。これを少年飛行兵第三期の撃墜王、赤松曹長が確認している。友軍の戦闘機は全て帰還飛行に入り、ラングーンを火の海にして戻って行ったが、そこにただ、一機だけ残る山本機はバランスを失いながら白い煙を吐き続けた。英印軍の誰もが攻撃を止め「不時着する」か「墜落炎上」を予想した。しかし、である。
次の瞬間、山本機は上空へと舞い上がる。そして今度はまた急降下。狙ったのは出撃前のプリストル・プレニム軽爆撃機だ。馬鹿みたいに並んでいる上から機銃掃射、これを炎上大破させた。英軍将校は慌てて十字砲火を浴びせるも、山本機は黒煙を吐きながら、なんとも、まあ、そのまま地上攻撃7回を敢行。信じられぬ戦意である。田形竹尾先生はこれを「闘魂の鬼」と書いている。
山本金吉中尉は降参も自爆もせず、今度は燃える愛機の操縦桿を強く握り、そのまま格納庫に突入、炎上した。しかし、である。
爆発炎上する九七式から飛び出した山本金吉中尉は、腰の拳銃に手をやりながら格納庫を走り、なんと、敵戦闘機のバッファローに飛び乗り、直ちに離陸滑走に突入する。さすがに投降するものと思っていた英印軍は、そのあまりの闘魂に口を開けたまま、その雄姿に全員が見とれていたという。しかしながら、残念無念、山本中尉の乗るバッファローはついに離陸できず、滑走路半ばで大破した。そして、もちろん、山本中尉はそこからも飛び出した。我に返った英印軍は、たった一人の山本金吉中尉に対して機銃掃射。そこで山本中尉は、なんと、滑走路にどっかりと腰をおろしてあぐらをかいた。
「祖国よ、さようなら」
そのまま頭を垂れて最敬礼した。そして体に銃撃を受けて、ゆっくりと前に倒れた。英印兵が掛けよると、なんと、まだ息があった。敵ながらこの武士を死なせてはならぬと、英印軍はすぐに英国陸軍病院に運んでいる。しかし、山本中尉はついに息を引き取った。
ミンガラドン飛行場基地の大将ワッセン大佐は、自らが祭主となって英国陸軍葬を行っている。イギリスは騎士道精神の国だ。陥落寸前のラングーン基地ながら、その精神が発揮されている。先述の「ラングーン・ガゼット紙」には一面で報じられていた。
記事にはこうあった。
「ヤマモトは、ミンガラドン飛行場攻撃直前の空中戦において、身をもって指揮官機をかばい、火を噴いたのである。これこそ英国が誇る騎士道精神である。かかる勇敢なパイロットは、世界のどこにも見当たらないだろう。このような大空の戦士が、わが大英帝国にも出現することを願ってやまない」
昭和17年1月末午後、エンゼル街エドワード教会の空には19発の弔砲の音が響いた。英国陸軍儀仗兵の一隊が姿勢を正し、軍楽隊の吹奏する「ヒューネラルマーチ」が鳴った。
英空軍大隊長ワッセン大佐が祈りを捧げる。
「勇敢なるヤマモトよ、安らかに神のみもとに眠れよ」
ユニオンジャックの旗が南風に吹かれている。
「我々はこの日本空軍将校の精神を体して、愛する大英帝国の祖国防衛に生命を捧げねばならない」
左右40名の英軍兵士に守られながら、山本金吉中尉は砲車に載せられて運ばれた。沿道には跪いて祈るビルマ人に見送られながら、ミンガラドン飛行場を見下ろす英国軍墓地に新しい十字架を飾られて眠っている。
いま、ここを読みながら涙ぐんでいる諸君、気にするな、とっくに私も泣いている(笑)。
「ど左翼」はこの手の話を嫌う。英雄がいては困るのだ。しかも外国から称賛される日本人などあっては困るのである。しかし、現実に日本には英霊がいる。この山本金吉中尉のような英雄はたくさんいる。小説でも映画でも、アニメでもいい。私は日本人の子供らにこういう話こそしたいと思う。せねばならないと思う。
日本人は自信を失っている、とか言われる。日本人は小粒で前に出られない、とか言われてローソンもユニクロも外人ばかり増やしている。さて、果たしてそうだろうか。
我々はいろんなことを忘れてはいないか。大事なことを置いたまま、くだらぬことで自信を失ったり、小さくモノを考えたりしていないか。私鉄の駅員に喰ってかかるカッコ悪い大人が「日本人」だと思っていないか。それは日教組の所為でもマスコミの所為でもなく、GHQや共産主義、もちろん、民主党が悪いわけでもないのではないか。
そして、あのとき、朝鮮人も台湾人も英霊になった。朝鮮人は台湾の「トーサン世代」のように、李登輝閣下のように「日本人だったこと」を誇らねばならない。それは日本に屈するなどという小さな話ではない。それは、あの欧米列強に挑んだ勇者の仲間であるからだ。戦争がどうのではない。人間が人間を奴隷とする植民地支配主義に区切りをつけたのが英霊であった。そして、それは日本国、天皇陛下の御心そのものであった。
「御蔭参り」では「天から伊勢神宮の御札が降ってくる」と信じられた。今年、多くの日本人が伊勢神宮に参拝した。その「ありがたい御札」は先人からの贈り物かもしれない。日本が日本であるために。日本人が日本にいるということに。
そして、まだ、我々には護るべき日本があるではないか。だから今日も明日も頑張るのだ。今年もあとわずか、ウダウダ言わずにすべきをする。調子が悪い時もある。具合の悪い話もある。都合の悪いことも起こる。しかし、それでも、すべきをする、のだ。
ならば、春には良いこともあるだろう。
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