倅が・・毎日勉強していると驚く妻。
なにをやってもフニャフニャだった。真剣にのび太の生まれ変わりではないかと・・我妻はもしかすると、のび助と浮気でもしたのではないかと思うほどの「のび太っぷり」であった倅だが、どうやら「毎日3時間勉強しる」という目標をクリアしているようだ。
「なんでやろ?焦ってきたんかな??」
妻も不思議がっている。
むふふ。私の洗脳技術を舐めるんぢゃない。さすがに我が倅には使うことをためらっていたが、もはや、そのような悠長なことをいっとる場合ではない。
みよ!この「支那・撫順戦犯収容所」顔負けのこの洗脳術っっ!!
当然、やり方はここに書かん。
教えて欲しい人は、私に「ンな、偉そうに言うなら教えろっ!」とメールする前に、また、頭で考える前に、胸に手を当てて考えてみればわかるはず。
さて、倅もいよいよ高校生になる(かもしれないww)。
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20071113-282746.html
<中国に修学旅行の高校生、91人が発熱や下痢>
でも、赤いお鼻のトナカイさんではなく、赤い思想のアカ教師による旅行は行かさないほうがよさそうだなww
<群馬県は13日、修学旅行で中国の北京に行った 県立沼田高校(同県沼田市)の2年生91人が、 旅行中の8日夕から帰国後の12日昼にかけて発熱 や嘔吐(おうと)、下痢の症状を訴えたと発表した。 うち3人が入院したが、快方に向かっているという。
発症した生徒7人の便からノロウイルスが検出され、沼田保健福祉事務所は食中毒と感染症の両面で原因を調べている。
修学旅行は2年生と職員の計195人が参加し、6日に出発して10日に帰国した。
[2007年11月13日20時39分]>
というわけで、支那リンピックは100万人オーバー!!
とてもとても、自衛隊の携行品に100年ぶりに登場したという「征(正)露丸7箱」だけじゃ足りませぬっ!支那に行くなら「1人ひと箱」!ラッパのマークしか認めませんっ!
ったく、この日教組がっ!
どうせ行くなら、台湾に連れて行ってやらんかいっ!!
命に係るわいっ!
それにだ。
どうせ連れて行くなら、こういう奴を連れて行けっ!
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/071112/crm0711122002028-n2.htm
<【鈴香被告】「控訴したら?」子供殺害の母親に刑務所で“忠告”>
この腐れ外道、まだ息をしているのか。
「2」へ
■2007/11/13 (火) ぶっ壊れた建前を補修工事する!!2
<公判では、検察側が、「あなたは決まりを破って、(拘置中に)隣の房の人に話しかけたことはなかったか」と質問。弁護側が異議を唱えたところ、検察側は「反省している事実を確認したい」とした上で、「その人が懲役14年になったと知り『重いから控訴した方がいいんじゃないか』と言わなかったか」と続けて質問した。>
この「アドバイスされた」という外道女は、車の中で鬼畜男とちちくりあっている際、当時4才の我が子が騒いだという理由から殺害して、用水路に捨てた畜生どもである。
“類は友を呼ぶ”とはよく言ったもんだな。
畜生は外道と気が合うのだろう。ンなもん、まとめて支那に送れ。北朝鮮にくれてやれ。
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で・・・
深呼吸してから、これを読んでもらいたい。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071112/trl0711121124005-n1.htm
<鈴香被告質問4日目>
もうなんか、支那のほうがいいんぢゃないかと錯覚する。
こんなもん、ウダウダやっとらんで銃殺だろう?何だこの生き物は??
・・・・・。
ちょっと、深呼吸する・・・。
・・・・・。
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この日記でも何度も書いてると思うが、命を大切にするなどという当たり前すぎることを喧伝するから、腐れ外道は「己が命のみ」を大切にするのである。
「命が大切」などということは、「お金は大切」というくらい、当たり前の価値観ではないか。つまり、言うまでもないのだ。強調する必要など皆無である。
教えねばならんのはすべからく、
その使い方
であろう。
そして、それを教えるとき、その思考経路の先には避けて通れぬモノがある。
それは、この国の背骨を腐らせたい者たちからするに「隠しておきたい」モノなのだ。
「大切でないもの」・・・
そう。この世の中、実に「大切でないもの」が溢れかえっておるのだ。
どうでもいいモノ。必要ないモノ。
それらに目を向けておくことを是とする教育を徹底的に行う。
学校も社会も、親も大人も、新聞もテレビもである。それは、楽で便利で面白いモノ、呆けている脳味噌でも理解できる程度のモノ・・・。
「3」へ
■2007/11/13 (火) ぶっ壊れた建前を補修工事する!!3
国民は「消費者」ではなく「浪費者」となる。
それは「命」までをも「浪費」させる。己が命の浪費のためには、我が子の命であっても邪魔となるのだ。「人権」や「平和」などというものを淵源とする戦後の洗脳教育、それは、当たり前の下に隠されていたモノ、当然ながら、それを前提とした社会構築がなされてきたこと、つまり、その「建前」の下層に当たり前に存在する「本音」というモノが噴き出している。元来、恥ずべきところである、その概念は堂々と振舞うことを是とされる。
「国なんかどうでもいい。自分だけが助かればいい。」
という「本音」(私的言動)は、ついに、
「家族なんかどうでもいい。自分だけでいい。」
というところまで堕した。「建前」(公的言動)などクソ喰らえという状態である。
「本音」の部位だけが保障されることを望むようになった。家があり、食事があり、家電があり、自室があり、パソコンやテレビ、コンビニやジャンクフードがあればいい。
公的サービスは「税金を払っていれば使用できる」便利なシステムであり、それを使う際の公共心は死に絶え、順次、商業主義に侵略されはじめる。
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命も金も、使うことが前提である。それを消費して何を得るのかに意義はある。
惰眠を貪るためにあるとしたい連中の狙いはそこである。
「浪費」させたいのだ。命も金も。
しっかり使おうではないか。「消費」するのだ。
必要なもの、大切なことに消費するためにこそ、それらはあるのだ。
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