<大阪刑務所(堺市堺区)が、所内で移動する受刑者に対し、「イチ、ニー」とかけ声をあげ、必要以上に手足を大きく動かす「軍隊式行進」を行わせたのは人権侵害にあたるとして、大阪弁護士会は7日、こうした行進を直ちにやめるよう同刑務所に勧告した。
同刑務所が2007年2月頃に軍隊式行進をさせたとして、同3月、受刑していた男性が同弁護士会に人権救済を申し立てた。同弁護士会は、「ひざを90度に曲げ、腕を肩と水平になるまで上げさせられた」など申し立てが具体的だとして、軍隊式行進があったと認定。「秩序維持には整然と行動させればよく、歩き方を指定する必要はない。人間性を無視している」とした。
同刑務所は行進を「軍隊的なものではない」とし、「規律や秩序の維持に、一定の行進方法を行わせる必要がある」と回答していたという。同刑務所は「勧告書を見ていないので、コメントを控えたい」としている>
法律を無視したから刑務所にいるのに「人間性を無視するな」とのことだが、給食費を払っているのに「いただきます」を言わせるとは何事かと学校にクレームを出す親がいるというから、人権馬鹿も極まってきた感がある。「起立・礼・着席」も消えゆく学校もあるらしいが、それ以前に「教壇がない」のが普通になってしまったとも聞く。阿呆である。
先日もテレビで「あだ名で呼び合う家族をどう思うか?」みたいなことをやっていたらしい。「らしい」というのは観ていないからだが、親と子の関係にまで「人類平等」とやり始める狂気など放っておくしかない。それにしても、人様の人権を侵害したから逮捕されている囚人の人権侵害を言うのだから、人様の命を奪って捕まっても命を大切にしてもらえるのも当然、ならばどうぞ、街のキチガイどもはどんどん暴れなさいということだ。
在日米軍基地の撤去訴えパレード 佐世保で日本平和大会
<在日米軍基地の撤去を訴えるピースパレードが5日、佐世保市であり、全国から約900人が参加した。
全労連、原水爆禁止日本協議会(原水協)、全国商工団体連合会などが基地撤去や核兵器のない世界を訴える恒例の日本平和大会の一環。今年は佐世保市で2~5日開かれ、イラク戦争や憲法9条などがテーマのシンポジウムや分科会を開き、パレードで締めた。
同市平瀬町の佐世保公園に集合。現地実行委の山下千秋佐世保市議が「米海軍佐世保基地は、米軍の戦争を支える補給基地の役割を果たしている」と指摘。全国の基地所在地などから参加した市民らは「爆音も基地もいりません」「軍事費なくして 消費税下げて」などと書かれたプラカードやのぼり、横断幕を手に、四ケ町アーケードを練り歩いた>
その不気味なパレードを警備してくれている「警察官の腰にぶら下がっている皮のホルダー」の中に入っているのは何か知っているのだろうか。携帯電話じゃないぞ。また、反対側の腰にある棒状のモノは「人間を打つための棒」であるぞ。
「軍事費なくして消費税下げて」ww
「自民に反感」6割、民主を上回る 自民が有権者調査
<自民党は7日、自民党に反感を抱く有権者が6割に上り、民主党の5割弱を上回っているとする有権者の意識調査の概要を公表した。菅内閣の支持率は低迷するが、自民党も旧来のイメージから脱却できずに苦しんでいる。
11月6、7両日に20歳以上の3千人を対象に調べた。詳細な質問項目や回答内容は公表しなかったが、自民党の政権復帰を「期待しない」が「期待する」を上回り、「特にターゲットとすべき積極的無党派層男女でその割合が高い」という。
自民党への批判は「過去への反省が足りない」が最も多く、「二世・世襲が多い」「総裁のリーダーシップが足りない」が上位に並んだ。政党への項目別評価でも「政治姿勢や政治資金などのクリーンさ」で民主党に水をあけられ、「公務員・行財政改革」「官僚主導からの脱却」でも民主党を下回ったという>
ま、だからどーした、というだけだが、この「過去の反省が足りない」という批判から、だいたい「どーゆー人」がアレなのかもわかる。朝日新聞の購読者とリンクするはずだ。
管政権もこの数字をみたら安心だろう。どうせダメなんだから、ここで解散して民意を問うてやればいい。管直人よ、自民党に止めをさせるぞw
「障害者バラエティ」笑っていいのか? NHK教育テレビの2時間特番が大反響
< 自らも脳性マヒを患っている司会の自立生活センター職員、玉木幸則さんが、たどたどしい声で番組の趣旨を説明すると、同じ司会でラジオDJの山本シュウさんがこう突っ込むのだ。
「字幕出てますかあ~?字幕」
番組は、教育テレビ番組「きらっといきる」の中で2010年4月から月1回バリアフリー・バラエティとして始めた「バリバラ」の特番だ。12月4日夜に2時間かけて放送され、番組内では、障害者のお笑い日本一を決める「SHOW-1グランプリ」などが行われた。
このグランプリには、41組の応募があったといい、予選を通過した7組のコントを紹介。その中で、初代グランプリに輝いた「脳性マヒブラザーズ」の2人のコントは、ネット上でもその内容が話題になるほどだった。
患者役のDAIGOさんが「風邪だと思う」と明かすと、医者に扮する車いすの周佐則雄さんが症状を聞く。DAIGOさんが「手が動かない。体も震える。うまくしゃべれない」と言って早口言葉を口ごもると、周佐さんは、あっけらかんとこう言うのだ。
「あなた、風邪じゃなくて脳性マヒですね!」
コントでは、「風邪で震える!」「脳性マヒでしょ!」といった押し問答を続け、最後にどんでん返しで締めくくっている。
障害をネタにしているだけに、番組内では、「果たして笑っていいのか?」との自問自答がゲストらから繰り返された。しかし、その1人のカンニング竹山さんは、爆笑してしまったことを認めたうえで、「お前ら汚ねえよ! どれだけ武器生かしてんだよ!」とその威力に舌を巻いていた>
バカバカしい。こんなものダメだ。NHKは本当に心の底から日本人を堕落させたくて仕方がないようだ。カンニング竹山は嫌いではなかったが、もはや芸人のプライドも何もないのだろう。相方が草葉の陰で泣いていると思われる。
たしかに、漫才師は離婚や病気までネタにする。メッセンジャーもようやく戻って来てくれたが、さっそくにも「海老蔵殴ったのは・・?もしかして・・?」とやっていた。「容疑者」となった黒田がネタにされることになるわけだ。しかし、だ。
障害者であろうが健常者であろうが、人を笑わせて何かしたいのだったら、だ。面白いネタをつくって練習すればいいだけだ。みんなそうしている。彼らはプロだ。とくに「事故や不幸」をネタにしなくとも笑いがとれるプロである。
それに障害者が「障害をネタ」にするのは「禿げの人が禿げをネタにする」のとは全然違う。二代目弥右衛門氏も怒っているはずだ。それは「コンプレックス」と「ハンディキャップ」との差異だ。それは「自分で克服すべきモノ」かどうかの差異と言っていい。
ハゲやデブを気にせず、むしろ自慢して世の中を生きていくことは誰でもできる。否、出来ねば生きるのに疲れることだろう。だからハゲでもチビでもデブでも国はカネもくれない(笑)。「脳性まひ」は違う。前を向いて生きていくことは素晴らしいが、それでも「出来ないことは出来ない」のである。それの何が面白いのだ?
ハゲやデブは「そんなこと気にせず生きていける」という前提があるから、ハゲはハゲをからかわれて怒ると面白い。デブが「まいうー」というだけで視聴者は喜ぶ。デブが飛行機に乗ってシートベルトが閉められぬのは面白くていい。しかし、脳性まひの人の手が動かなくて何が面白いのか。障害者がお笑いをするなと言っているのではない。それにそのテレビを見た同じ障害者が勇気付けられることもあるかもしれない。しかし、私はそんなことを言っているのではない。コンプレックスを武器に出来るのは強い人間だ。しかし、ハンディキャップを武器にする人間はダメだというのだ。
この「脳性マヒブラザーズ」とやらは、己の脳性まひをコンプレックスだと思っているのか?ハンディキャップだと思っているのか?前者ならば障害者手帳を返せ。障害者年金も介護保険も使わず、堂々と「お笑いのプロ」として生きていけばいい。物珍しさと同情心で客も入るだろう。勝手にすればよろしい。しかし、周囲の人間の善意に助けられながら、その「要因」ともなる障害をネタにするとは何事か。ましてや、それを観て爆笑するなど、私にはとても考えられぬ。
韓国に「病身舞」というのがあった。これも「脳性マヒ」やらの障害者を観て笑うものだ。健常者が「脳性マヒのモノマネ」をすると、周囲は大爆笑するわけだ。日本人はこれを楽しそうとは思わない。芸人はこれを観て「ずるい」などとも思わない。
腹話術師の「いっこくどう」という人がいる。世界的に有名になったそうで、いわば「その道のプロ」だ。彼は腹話術では不可能だとされていた「ぱ行・ま行」などの発音を口を動かさずにやる。見たことがある人もいるだろう。実に洗練された芸である。
その「いっこくどう」が「言語障害者」のモノマネをしたとしよう。あれほどの「腕」である。その特徴を掴んだ形態模写には文句のつけようもなかろうと思う。面白エッセンスも加味され、それは見事なパフォーマンスとなろう。で、さて、これは面白いか?
普通、健常者が障害者のモノマネをしていたら、その当人は人格を否定される。徹底的に指弾される。周囲の人は言うだろう。「何が面白いの?馬鹿じゃないの?最低だな、おまえは」―――罵詈雑言が飛び交うことだろう。そして、それは実に常識的な反応だ。しかし、これが障害者ならば「面白い」というなら、それは障害者差別だ。健常者が障害者の障害をネタにしたらダメで、障害者は障害者の障害をネタにしてもいいわけだ。これはつまるところ「障害者には人格がない」と言っているに等しい、前代未聞の酷い差別である。
また、福祉介護の世界でも「障害は個性」だとする論調が主流となりつつある。障害のある人もない人も、全ての人が同じように暮らせる社会が普通の状態になればいいよね、という価値観のことだ。これをノーマライゼーションという。講師はこう言った後、必ず「むつかしいですけどね」を付け加えることになっている。無理だからだ。また、この概念はスウェーデンの福祉概念だと紹介するが、そんな老人介護のお手本の国であるスウェーデンが75歳以上の自殺率がトップクラスだとは教えない。
「脳性マヒ」が面白いなら、末期がん患者も笑え。末期がん患者が来年の話をしたら「その頃まで生きとんかい!」とツッコメばよろしい。で、それで笑えるなら、その人は何かが壊れているわけだ。「お笑いセンス」ではなく「人としての何か」がぶっ壊れている。
過日、二代目弥右衛門氏と「ちょっとエッチな話」をしていたら「淫靡」という言葉を使われた。私は「懐かしい響きですね」と言ったが、例えば、これがエロチズムというモノの原点だ。タブーはタブーだから「助平」という文化となる。はっきり言うと「陰でするから」淫靡なのであって、堂々と表でやれることはエロでも何でもないのと同じだ。
また、これが壊れ始めると、いわゆる「エログロナンセンス」が登場する。日本も過去あったはずだ。これは日本語で言うと「退廃的風俗」となる。「カフェ」では女給が扇情的にズロースを下げて腰を振った。破廉恥なサービスを売る店が軒並み増えることになった。ストリップ小屋でエロ本を読んでも仕方がないのと同じく、障害者が「障害」をネタにして「お笑い」をするなど、これは「退廃的バラエティ」と言っていいのだ。
私は介護現場で「手が震えるお爺ちゃん」がスプーンでヨーグルトを混ぜず、震えるほうの手で持つことによってヨーグルトが撹拌する様を観て笑った。これはもうしょうがない。「高速で震える手」を持つ爺ちゃんは、だってスプーンがいらないんだもの(笑)。他の利用者さんに次々とヨーグルトを手渡されるところを想像してしまうのだ。そして、混ざったら無表情で取っていく。他にも「貼るカイロ」とか「シェイカー」とか持たせたくなるじゃないか。あの細かい振動は真似できないのである。
また、そのお爺ちゃんは「撹拌機」のような扱いを受けているが、それをよくわかっていないとすれば、これは「ブラックジョーク」としてカテゴライズされる。しかし、これはあくまでも「おはなし」であって「ネタの範疇」であり、実際に人前で、ましてや「テレビなどでやる」となれば、そこには「良識」という壁があって然るべきなのである。「面白いけどダメなモノはダメ」が壊れたとき、その文化は退廃的になる。
そして、それを壊し始めたのが民間放送局のバラエティではなく「みなさまのNHK」というところに「この国の病理」がみえる。
小説や新聞読む生徒、読解力で高得点…学力調査
<7日に結果が発表された2009年の国際学力調査(PISA)に伴う生徒への質問調査から、小説や新聞を読む生徒の読解力得点が高いことがわかった。
PISAの得点は、OECD加盟国平均が500点になるよう調整している。日本の読解力の得点は、「小説を読まない」グループが平均501点だったが、「読む」グループは47点高い同548点。同様に「新聞を読まない」グループ同506点に対し、「読む」は25点高い同531点で、いずれも「読む」生徒の得点がかなり高かった。
また、「趣味で読書はしない」生徒の割合は44・2%で、00年から10・8ポイント減と改善した。OECD平均(37・4%)と比べると依然高いが、00年で比較可能な国・地域の中では最大の減少率だった>
「よく小説や新聞を読む子は読解力がある」――――??
「腕立て伏せを毎晩する子は腕の筋肉がつく」―――??
「毎日ハンバーガーしか喰わない子供は太るということがわかりました」
「大変です、勉強の出来る子は、家でも勉強していることがわかりました」
「泳げない子供が泳げるようになる方法がわかりました、それはなんと、練習をすれば泳げるようになる可能性が増すとのことです!」
馬鹿なんじゃないか。「犬が人を咬んでもニュースにならない」とは昔の話のようだ。これを読んで「そうか!読解力をつけるためには小説や新聞や本を読めばいいんだ!」という奴はきっと本を読まない。というか、文字を読む、以外でどうすれば読解力がつくのか知りたいものだ。こんなもん当たり前だ。
ちなみに、倅が高校の図書館から「表彰状をもらったw」と恥じていた。理由は「たくさん借りて読んだから」だそうだが、いったい、どのくらい借りて読んだのかと思えば「週に数冊」とのことだった。つまり「1日1冊」も借りていない。倅からすれば、それは「普通でしょw」とのことだが、どこかの国では総理大臣が「朝の5時から起きて国会に出ているのだ!」と自慢するらしいから、それも普通ではなくなったのかもしれない。
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久代千代太郎
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久代千代太郎
二代目弥右衛門
Karasu
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