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忘憂之物

児童虐待の摘発、過去最多=育児放棄など死亡18人-実父や養父7割占める・警察庁

児童虐待の摘発、過去最多=育児放棄など死亡18人-実父や養父7割占める・警察庁

全国の警察が今年上半期(1~6月)に摘発した児童虐待事件は181件(前年同期比15.3%増)、摘発人数は199人(20.6%増)で、いずれも統計を取り始めた2000年以降、最も多かったことが5日、警察庁のまとめで分かった。虐待を受け死亡した児童は前年より7人多い18人だった。
 児童虐待に関する国民の認識が高まり、近隣住民などからの通報が増えるのに伴って摘発件数は増加傾向にあるが、同庁は「実態としても増えている可能性はある」としている。
 内訳は、身体的虐待が140件、性的虐待が31件、育児放棄が10件。被害児童数は過去最多の187人(14.0%増)で、男女はほぼ半々。5歳以下が42.8%を占めた。
 加害者は、被害児童の実父や養父などが7割、実の母親や継母などが3割だった。
 警察当局は、24都道府県で児童福祉部局や児童相談所との人事交流をするなどし、虐待防止に向けた連携を強化。学校や病院とも情報共有を進めており、児童相談所が家庭に立ち入り調査する際に警察が同行したケースは149件に上った。
 警察庁は今年2月、子どもや女性が被害者となる犯罪の情報を匿名で受け付ける「匿名通報ダイヤル」の対象に虐待を追加。6月末までに電話やネットで受け付けた216件の情報のうち、実際に虐待が疑われる31件について児童相談所に通告した。(2010/08/05-10:07)







「三つ子の魂百まで」というが、これは脳科学研究でも証明されているらしい。また、この場合の「3つ子の~」3歳とは、いわゆる「数え年」のことで正確には「満2歳」までのことをいう。これは「三歳児神話」とか言われてきたが「馬鹿につけるクスリはない」とか「民主党は落選しても気にしない」などと同じく、あながち「神話」でもなかったらしい。ンで、脳科学の分野では、この「三つ子の魂」がどのように解釈されているのかと思って調べてみると、3秒で眠りにつきそうなほどだったので止めておく(笑)。

そういえば人間の子供は、生後4か月ほどすれば何か言い始める。我が孫のそーちゃんもそうであった。これは「喃語(なんご)」と呼ばれる「乳児が初めて発する母音」である。そーちゃんの場合も、それは母音の中の母音、ずばり「あ」であった。今はうるさいほど喋るが、当時は「じーじ」と言わせるだけでも大変だった。隣にいた「りーちゃん(犬)」が先に覚えるのではないかと心配になったほどだ。

お陰さまで「そーちゃん」もトカゲに虐待もされず、すくすく育って3歳を過ぎた。もう、最近では電話をかけてきて、今日、一日で何を食べたか、を報告してくれるほどである。おそらく我が孫なら、万が一、虐待されても詳細に報告して来るはずだ。もちろんそのとき、トカゲはこの世にいないだろうが、まあ、トカゲも実の父親だ。無茶はしまい。

そして、やはり「同じ年頃」の子供が虐待されて殺されたりする世の中、娘夫婦もテレビを見て憤っていることだろうと思う。我が家に遊びに連れてきて、空気を読まない「りーちゃん」の尻尾を掴んだりして噛まれていたりもするが、その際、やはり、娘夫婦は「そーちゃん」を心配したあと「りーちゃん」に対して「あのね、お願いだから噛むのだけはやめてくれへんかな?」と下から頼んだりもしている。もちろん、我ら夫婦は「りーちゃん」の味方である。触るほうが悪いのである。「りーちゃん」に冗談は通じない。私でも噛まれるのだ。

「りーちゃん」に噛まれて泣いている我が孫を見ながら「そら、そーちゃんが悪い、そら、アカン」と冷静に口を揃える祖父母に、娘は「どんなお爺ちゃんお婆ちゃんやねん!」とキレているが、心配せずとも「りーちゃん」の歯並びは冗談のようになっている。あっさり言うと「牙」がない。ガタガタである(笑)。攻撃力は皆無だ。




ま、ともかく、だ。


子が産まれたら2歳を過ぎるまでは「魂百まで」として、百まで笑って生きれるように親が率先して、何をしても笑っておれば良いと思う。「躾スタート」はそれからである。

また、今はもう少ないだろうが、寝る前に絵本を読んであげたり、子守唄を聞かせてやるというのも効果的らしい。やはり、昔の人は凄かったわけだ。我が妻に歌わせたことがあったが、歌い出しから「やごやごや~ご♪」だったから慌てて止めた。なんと「ヤゴゲルゲ」である。ちなみに、コレだ。これは怖い。


ヤゴゲルゲの子守唄







親子で晩飯を喰い、風呂に入って寝床にもぐる。目を閉じる我が子に歌って寝かしつける時間は、親であり、子であることを喜び寿ぐ時間である。と偉そうに言いながらも、私は子守唄を聞かされて眠った記憶もないし、娘や倅に歌ってやったこともない(妻にはあるw)。しかし、これは私だけではなく、産経新聞が少し前に書いていたが、とある大学での調査では全体の1割もいなかったそうだ。

卒業式などでも「生徒の自主性」などと称して流行曲を歌わせている。「仰げば尊し」ではなく、横文字のややこしい曲が流されている。生徒は歌うだけでなく、お調子モノは踊ったりもする。楽しいのは結構だが、世の中、楽しいことばかりが「良いこと」でもない。

日本の歌、それも動揺などを歌えない子供は普通になった。だってもう、大人が知らない。日本の総理大臣が「国歌が嫌い」と公言する異常な国だ。それも仕方がないのかもしれない。ならば、まあ、民主党は法改正して「EXILE」にでも作ってもらえばいい。管総理もお気に入りの「元気が出る歌」になるのではないか?かっくいーのが出来るんだろう。




ンで、だ。私はこの歌が好きだ。しかし、恥ずかしながら3番まで歌えなかった。


「故郷」

高野辰之作詞・岡野貞一作曲/文部省唱歌(六年)

1兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて、
忘れがたき 故郷(ふるさと)

2如何(いか)に在(い)ます 父母
恙(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出(い)ずる 故郷

3志(こころざし)を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷





故郷 (唱歌)




小さい子供のいる家のお父さん、お母さん、寝る前にこれ歌ってあげてくれ。゜(゜つд´゜)゜。


そう考えると、昔の子供はある意味、贅沢だった。完全に現代っ子の負けだ。便利で快適も結構だが、親が子にかける手間というものは、紙オムツひとつとっても雲泥の差である。子を育てることは今も昔も大変だが、一昔前、それはそのまま「生き甲斐」にもなった。親は子を育てることが生き甲斐だったし、子は親を助けることを生き甲斐に出来た。

私は台湾で出会った親子を思い出す。夜の盛り場にそぐわぬ青年がいた。その隣に座るのは中年をとっくに過ぎた女性だった。私は「えらく年増のホステスがいるなぁ」くらいにしか思わなかったが、その店の経営者で、いわゆる「トーサン世代」のママが自慢げに教えてくれた。「親子」だという。若い青年は昼間、台北の街で屋台を引いている。それも雇われだ。その日は彼の給料日だった。

息子はカラオケが好きで、ワインが大好きな母親をラウンジに連れて来ていた。真ん中のボックスに陣取り、嬉しそうな顔で母親のグラスにワインを注いでいた。よく見ると、その顔は誇りに満ちていた。どうだ、俺が稼いだ金だ。俺は俺の母親にこんなことができる。そして、この稼ぐことが出来る体と頭をくれたのは母親だ。俺の親は、俺がこんなに頑張れるように育ててくれたのだ。俺は働いて母親に恩返しが出来るのだ―――青年はそんなことを考えながら、母親の歌うカラオケにノリノリで手拍子を入れていたのだろうか。


日本統治時代を知る、この台湾人のママは、現状の日本の有り様を知って「自慢げに」私に語ってくれたのだろう。日本では自分の親が生きているのか死んでいるのか、白骨化しているのかどうかすら「わからない」と言う子供がいる、とチャミ嬢が書いていた。<アクマで日記ですから。2010/08/03 (火) 現代版「姨捨山」か?!>

台湾にはホームレスもいない。たしかに一人も見なかった。その理由は実に当たり前で「家族の誰かが面倒みるから」である。そして、この社会規範、道徳観念こそが「日本精神(リップンチェンシン)」であった。そういう意味では、今、台湾のほうが日本なのかもしれない。

また、日本で8月15日と言えば、日本の総理大臣が靖国神社を避け続け、マスメディアは「日本軍の悪行」を捏造してでも特番をするが、独立宣言書に皇紀で「05.8.17」(2605年8月17日)と記すインドネシアのジャカルタでは、今年も「英雄墓地」に祀られている1000名の日本の英霊に「海ゆかば」を歌ってくれるだろう。そういう意味では、今、インドネシアのほうが日本なのかもしれない。

パラオ共和国もだ。昭和61年11月23日、パラオは先帝陛下の「天皇陛下御在位六十年」を祝う奉祝式典を行った。主催者のひとり「バロン・オキヤマ」さんは正真正銘のパラオ人だが、このバロン・オキヤマさんの日本語の挨拶を是非、読んでもらいたい。




<天皇陛下は世界で最も尊い方です。それは世界で一番古い家柄の方であり、他のどの王室も遠く及びません。日本の軍人はペリリューやアンガウルだけでなく、他の戦場でもあれだけ立派に戦いました。それは天皇陛下の力であって、アメリカ人もペリリュー島を「天皇の島」と呼ぶようになりました。

日本人があれだけ真剣に戦った戦争を、いっぺんに止めさせられたのも天皇陛下の力です。
天皇陛下の命がけの御聖断で我々も救われました。

日本は戦争に負けたのに天皇陛下は相変わらず天皇陛下であられます。こんな例は世界史上例がありません。その天皇陛下が六十年も在位された。順風の時代に在位されたのではなく、興隆と敗戦の激動を通じてずっと天皇陛下であられました。この僥倖を思うと日本人でなくてもお祝いしたい気持ちになります>





私は書いていて、もう、情けなくて泣けてきた。何故に日本統治から何年も経った外国の人々が、これほどまで皇室を敬愛してくれているのに、それを戴く日本国民ながらも「てんのーてんのー」と軽視する不敬者が後を絶たんのか。そしてこの「お返し」として日本は、パラオ共和国独立1周年記念であった平成7年10月1日の式典に、当時の村山政権は祝電すら送らなかったのである。ナカムラ大統領(当時)は大変嘆かれた。情けないのである。



そしてまた、先帝陛下が崩御された際、服喪の政令を発した国は世界で34カ国、大東亜戦争後に独立した国家が目立った。また、その期間であるが日本では2日間だったが、アジア・アラブ諸国は3日~1週間に及んでいる。私は泣けてくるのである。

また、その際の世界の報道であるが、アメリカのニューヨークタイムスは<裕仁の病気が明らかにされたときの、あの感情の高まりを見ていると、皇室を取り巻く神秘のベールは相変わらず存在し、日本のデモクラシーはアメリカとは別種のルールによって動かされていることが判る>と書いた。イギリスのエコノミスト誌は<日本が世界大戦に参戦したことは、日本人の愛国心を鼓舞したばかりか、アジア人全体からも、にっくきヨーロッパ帝国主義への服従に、やっと終止符を打ったものとして、大いに歓迎されたし、実際そのとおりにアジアを隷属から解き放った>と割合、マトモに書いた。

支那では人民日報が<裕仁天皇は戦前、日本を統治する『現人神』で在位期間中に、日本は対中侵略戦争と太平洋戦争を起こした>と書き、韓国の中央日報では<韓民族に対するおびただしい罪科に究極的な責任を負わなければならない象徴的な人物。真心から哀悼の意を表せないのを遺憾に思う>と社説で書いた。民主党は「こういう国」と仲良くしようとしている。こういう国に「訪中団」とかやる。こういう国相手に「新しい謝罪談話」を出そうとする。また、この際、北朝鮮がどのような報道をしたのかなど知りたくもないが、こういう国の工作機関に日本の納税者の血税を放り込むとしているのである。



戦後日本人は、素晴らしい日本の歌、わらべ歌や子守唄などの多くを忘れてしまった。その代わりに卒業式でも英語の歌を喜んで歌うことにした。大阪の門真には「校歌」のサビを北京語で歌わせる市立の中学校があるし、八尾には朝鮮学校でもないのに大極旗を掲揚させる市立中学があるほどになった。

京都の八幡にも運動会を見に来た親に対して「あにょはせよー!」と挨拶させるクラスもあった。もちろん、9割以上が日本人の子供だ。我ら夫婦は度肝を抜かれた。倅がゲームソフトを恐喝された際、ついでにその学校の教師に問うてみたことがある。返ってきた答えは「担任が在日の先生だから」であった。「国際感覚を学ばせる」のが狙いだと、日本人教師は申し訳なさそうに私に言った。普通に近所で「こんにちは」が言えない子供が増えて困っているのに、何が悲しくて「あにょはせよ」なのかと更に問うと、日本人教師は黙ってしまった。

日本の女優さんで「青木鶴子」という人がいた。1960年に草創期のハリウッドでトップスターになった女優さんだ。同年の作品に「戦場よ永遠に」という映画がある。青木鶴子は「日系2世の母親役」で登場する。米軍の兵士として日本軍と戦う息子を想いながら「ねんねん、ころりよ、おころりよ」と子守唄を歌うシーンがある。これが元祖「全米が泣いた」である。アメリカ人の監督もカメラマンも、スタッフ全員、撮影現場が泣いた。世界で通用する日本人は、今も昔も、日本を大切にしている。伝統ある「江戸子守唄」を英訳して歌うなどはあり得なかった。親は子に、先ず、日本を教えていた。




日本人は何を忘れて、何を失ったのか。



親を殺し子を殺し、クソ高い学費を払える親は子に贅沢覚えさせ、贅沢して育った子は親を放って好き勝手、クソ生意気にも自宅に個室がある子供がいれば、里親を待つ子供が溢れかえる先進国の格差を言う奴はいない。さらに言ってしまえば、虐待ホットラインも子供相談センターも焼け石に水、だ。マトモな親と子を作ろうと思えば、先ず、マトモなことを取り戻す他ないのである。それは歴史であり、伝統であり、誇りである。



子が親を簡単に殺すのは、先人が悪魔でレイプ魔だと教えるからである。
親が子を簡単に殺すのは、その子が生きる今後の日本国を考えぬからだ。



「日本が悪い」と教える親と「日本が悪い」と教えられる子から、マトモな日本人が出来る道理はない。「日本が悪い」とウソを吐く政府と「日本が悪い」と騙される国民から、マトモな日本人が出来る道理もない。「三つ子の魂百まで」と、最初に放り込まれるウソを吐く連中を吊るさねばならない。「騙された人」が気付くのを待っていては遅きに失する。先ず、今からの子供らが「騙されないよう」に、この国の大人は周知徹底せねばならない。

コメント一覧

翡翠
有難うございます!
久代千代太郎
>翡翠さま


どうぞどうぞ。いくらでも。


翡翠
嗚呼、泣いてしまいました。
素晴らしい記事です。感動しました。
転載させていただけないでしょうか?
お返事いただいてからにします。
どうか、宜しくお願い致します。
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