忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

対馬日記⑥

2010年01月25日 | 過去記事



上対馬に着く。マグナムと一緒に、比田勝港のレストランでカレーを喰う。マグナムは上対馬まで来るのは10年以上ぶりだったとのこと。嬉しかったと礼を言われた。「是非、春先の対馬も見に来てくれ」と頼まれた。自分がみたいだけのクセに(笑)。


そういえば、面白いことがあった。


マグナムが「ホテルを探してくれる」というので、港近くのホテルに行った。フロントでもマグナムが空き部屋を聞いてくれたのだが、あとでマグナムとも言っていたのだが、どうやら「それ」が悪かったらしい。つまり、私が言葉を発することをせず、マグナムが話していたので、私のことを韓国人だと認識したようだ(というか、正確にはあっているw)。フロントのキーケースにはカギが全部あったにもかかわらず、なんと、「満室です」と断られたのである。マグナムも「空き部屋がないわけない」と言っていたので驚いていた。そして、私が「それなら仕方がないですね。このあたり、他にホテルありますか?」と流暢な日本語(笑)で話し、マグナムが「こっちの人、京都から観光で来られたんよ」と紹介すると、そのホテルの主人は明らかに「しまった」という表情をした。


だから、次のホテルには自分でフロントに行った。もちろん、すんなり部屋はあった。そのホテルは比田勝港の真正面、フェリー乗り場から最も近いホテルだった。しかも、対馬美人で愛想の良い姉妹が切り盛りしている。2階部分には比田勝港が一望できるレストランが併設してあり、宿泊客はそこで食事をとることが出来る。夜はその美人姉妹相手に酒も飲めるから、結構なお客さんが来ていた。つまり、先ほどの御主人には申し訳ないが、部屋がなくなるならば、このホテルからだとツシマジカでも知っているということだ。マグナムは頭をかいていた。


さて、残念ながら、マグナムとはここでお別れである。決して高くない料金を支払って、握手をして別れた。マグナムが私の肩を掴んで揉んだから、ちょっと泣けた。





今日泊ることになったホテルは、よくわからない暖房器具があった。



※これは、なに、かい?




ベッドには電気毛布があった。つまり、そういうことなんだろう。ちょっと休憩してから、タクシーで豊砲台に向かう。ついでに韓国展望台も見ておくかと思った。



対馬の山の中を走っていると、あちらこちらで「蜂筒(はちどう)」と呼ばれる「筒」が並んでいるのがわかる。「手つかずの自然」が多く残る対馬には、野生の日本蜜蜂が生息しており、いわゆる「純血種」と呼ばれる種類が生き残っている。これを知ったかぶりして「大陸から来た東洋蜜蜂と変わんないですか?」などと聞くと、瞬間、タクシーの運転手さんでも機嫌が悪くなるから気をつけたい。私は鼻で笑われた(泣)。




※蜂筒



対馬のスーパー(?)でも売っている。だから、私はそれを購入しようと考えていた。運ちゃんは「あるにはあるばってんが・・」と言いながらも、なんか奥歯に対馬コンブが挟まったような言い方であったから、機嫌を直してもらうつもりで、いったい、何がどう違うのかと聞いてみた。


単純に言えば、大きく違うのは二つ。


市販のものは「加熱処理」されていることと、やはり「水飴」が入っているそうだ。それでも「日本蜜蜂」が集めた蜜が入ると値段は安くないという。私は「じゃあ、天然モノだったらば、1万円とかしたりしてww」と言うも、福岡の高校を卒業して結婚して離婚して対馬に戻ってきたタクシー運ちゃんは「そんなレベルじゃないですw」と笑う。私はビビり始める。とは言っても、たかが「プーさんの好物」に過ぎない蜜が、である。酒よりも高いとは納得できんのだ。飲めるわけでもないし、トーストに塗って喰うくらいしか用を成さない蜜などが、1万円を問題にしない金額とはなんたることか。



日本蜜蜂が懸命に集めてくる「はちみつ」は、ひとつの蜂筒あたりで、なんと、年間「一升瓶ほどの量」だという。何百匹が年間、うんしょこらしょと運んできて1.8リットルなのである。しかも、1年に一度しか採取できない。何とも効率の悪い蜂ではないか。しかも、本来、バラバラに売られる「プロポリス」やら「ローヤルゼリー」やらというものも、これまた巣ごと精製するから「栄養丸ごとゲットだぜ」なのだという。つまり、野生の日本蜜蜂が集める蜂蜜は、マジで貴重であり、美味しいだけではなく健康にも優れているわけだ。対馬の人は「薬用」だと認識しているほど、体にEわけである。




「美味いですか?」

「そら、もう・・」


欲しくなってきた。とても、だ。





「農協で売ってるかも・・・あれば、ですがね・・帰り、寄りますかね?」



うむ。寄ってくれ。








「豊砲台」・・・昭和4年に起工されたこの砲台は、当時世界最大の18.5メートル、口径40センチのカノン砲が2門装備されていた。少々の爆撃ではびくともしない、鉄筋コンクリート製の壁の厚みは2メートルを超える。大東亜戦争後、米軍の爆破部隊が解体するも、未だ、その屈強な砲台は現存する。










刻まれた爆破の痕は生々しく、これまた「一度も発射されていない」という砲台の跡は静かに、まだ、そこにあった。私はペリリューの珊瑚礁を削って作った塹壕にも入ったが、それとは違い、実に有用性のある軍事施設であるとわかる。わずか数十年前、日本は間違いなく戦っていたのだという傷痕をみるたびに、私にはこの平和平和の乾いた声が虚しく聞こえるのである。だから、平和の何がどうした?と思うのだ。



そこから学び取ることは「繰り返さない」だけでなく、そこで何があったのか、そこでは何が行われていたのか。先人は、ここで、どういう想いだったのかを学ばねば、平和なんぞ唱えることに何ら意味はないと知れる。己の命と引き換えに戦った意義は、まさに「日本の平和」を望むところにあった。それは己の平和だけではなく、その後進、つまり、いま、この日本で凡庸に暮らす我々の「平和」のためでもあった。そして、その意志は、ここ「国境の島」である対馬にも残る。ただ、静かに、今も、ここにあるのだ。




スナック「アケミ」での初日、その原子力紳士に出会う前日、ひとりの常連の老人に会った。自衛隊の話をするうち、老人は「知覧の特攻隊」の話をして泣いた。当時は13歳だったという。初対面の私にも、いろいろと話してくれた。「自分も行くつもりだった」と言ったときの表情は、とても老人とは思えぬ気迫、引き締まる決意が本物だったことを証明していた。みんな戦っていた。みんな必死だった。温い今の時代から「平和」を叫ぶことが、どれほどの欺瞞なのかがわかる。「平和」とは叫ぶものではなく、創って護るものなのだ。
















朝鮮海峡は風が吹き荒れていたが、その強い風が低いところにある雲を吹き飛ばし、大陸から飛んでくる忌々しい「黄砂」も吹き飛ばし、視界良好、見えないと思いますよ?と意地悪を言うタクシーの運ちゃんをあざ笑うかのように「釜山」の建物までがくっきりと見えた。また、韓国展望台の中には「韓国の夜景」などと嬉しそうに飾ってあったが、やはり、協賛はここだった。







思い切って展望台の外に出てみる。吹き飛ばされるんじゃないか?とちょっと、真面目に心配になるほどの強風だ。おそらく、我が妻やし様ならば、そのまま風に攫われてソウル市内に落ち、買い物して帰ってくるだろうと思われるほどの強い風である。






よく「風速1メートルごとに1度、体感温度が下がる」というが、もう、目を開けていられないほどの寒さであった。展望台を出ると、すぐ近くに朝鮮通信使が対馬を眼前にして船が沈没し、全滅したという石碑があった。ホント、目前だったそうだ。話だけ聞くと「すぐそこなら泳げよww」と言いたいところだが、この極寒と強風、これは死ぬはずだ。距離にして46キロ。これは十分死ねる距離である。寒い。










ホテルに戻るタクシーの中で、また、日本蜜蜂について話す。



日本国内の「養蜂場」で飼育されている種類は「セイヨウミツバチ」であるが、この蜂は天敵である「キイロスズメバチ」や「オオスズメバチ」に対抗する手段を持たない。襲ってきたら、巣の中に逃げ込んだりするだけだ。しかし、このスズメバチは「巣の中に入り込んでくる」わけだから、ある程度の数で襲われると全滅する危険もあるという。

また、もちろん、この「蜂の天敵」は対馬にもいて、セイヨウミツバチよりも体の小さい「日本蜜蜂」も襲われる。しかし、日本蜜蜂は黙ってやられてはいない。

キイロスズメバチが襲ってきた際は、巣のメンバーが全員で「羽音を揃えて」威嚇する。キイロスズメバチが日本蜜蜂の巣を見つけると、近くでホバリングして威嚇するのだが、そのときに、より大きな羽音を立てて「やり返す」わけだ。キイロスズメバチはこれに恐れをなして逃げる。また、もっとすごいのが、そのキイロスズメバチが巣の中に入ってきたり、恐怖のオオスズメバチの来襲を受けたときである。


オオスズメバチは巣の中に入り込んで、日本蜜蜂を殺して喰おうとする。その際、日本蜜蜂は巣の入り口で臨戦態勢をとり、全員で「蜂球(ほうきゅう)」という粘着質の「玉」を造る。それをオオスズメバチにぶつけてからめとる。スズメバチの上限致死温度は46℃らしいが、日本蜜蜂の「蜂球」の温度は48℃を超える。つまり、熱して蒸し殺すわけだ。私は素直に「かっくいー♪」となった。もう、頭の中では物語が出来そうな勢いである。



そんな日本蜜蜂が集める蜜は「百花蜜」と呼ばれる。比して、養蜂場でセイヨウミツバチが作るのは「単花蜜」と呼ばれる。これは名前の通り、いろんな花から蜜を集めるか、ひとつの花から集中的にとるかの違いである。例えば、セイヨウミツバチがレンゲ畑を見つける。見つけた蜂は、いわゆる「8の字ダンス」を踊る。仲間に知らせるわけだ。


セイヨウミツバチは効率のみを考え、レンゲ畑から「蜜が取れなくなるまで」全員がピストン輸送で取り尽す。意地悪く見ると、このセイヨウミツバチの「セイヨウ」というネーミングは、まさに盗り尽す、奪い尽くす、からきているのではないかと思ってしまうが、ヒトでもハチでも「セイヨウ」がつけば、性格の悪い私は粗野なイメージを持ってしまうことを否めない。しかも、今は日本全域で生息するのもセイヨウミツバチだというから、なんかむかつく(笑)。



日本蜜蜂は野生である。だから山の中を飛び回って蜜を探す。だから「喰える蜜」を探し出して、いろんな花蜜が集まってくる。これを「天然モノ」という。






「農協にあるかもしれませんけどね~」

「・・・純度100%?」

「もちろん」

「甘さ控えめ?」

「たぶん」

「健康には?」

「無敵」

「値段は?」

「覚悟してください」






時間は17時前。農協は夕方5時にシャッターが下りる。

「ちょっと、急ぎましょうか?」

「・・・た、頼む」





半分ほど閉まりかけたシャッターがみえた。あそこだという。ついでに上対馬には2軒の寿司屋があるのだが、正直、どちらに行こうかと迷っていたから聞いてみた。運ちゃんは、


「狭い町ですから、絶対に、僕が言ったとか言わないで下さいよ・・?」


と前置きしながら、「美味い方」の店を教えてくれた。値段はどちらも高くない。いや、しかし、今はともかく、ハニーである。あの「ハネムーン」(honey moon)の語源である蜂蜜なのである。人類最古の甘味料、蜂蜜を手に入れるのである。



農協に飛び込むと、職員さんが一斉にこちらを見た。開口一番、私が「はちみつありますか?」と聞いたから、旅の途中の糖尿病患者が来たのかと思ったのだろう。それに、そこで、なんと「知ってる顔」を見つけた。この上対馬の辺鄙な農協に、まさか、知った顔を見つけることなどあるわけないと思っていたが、そこにいたのは、先ほど、ホテルのフロントでタクシーを呼んでもらおうとした私が、いくら田舎でも不用心すぎるだろと思うほどの無人状態のフロントで困っているとき、同じように困っていた青年ではなかったか?



「留守ですかね?」

「どうですかね?」



という会話をしただけだったから、ここには書かなかったのだが、更にそのあと、私がホテルの下でウロウロと困り、これはもう、筋違いだが、この「プロパンガス屋さん」に入って「タクシー呼んでくれますか?」と頼んで、都会モンはガス屋とタクシー屋の違いもわからんのかと馬鹿にされても仕方がないと諦めかけていたとき、


「タクシーですか?」


と声をかけてくれて、ああ、あんたはさっきの・・・とお互いに笑いあったあの青年ではないか。その際は、タクシーをありがとう。




思わず、私が、

「対馬は狭いと言っても限度があろうww」

と笑いかけると、青年も照れ臭そうに笑っていた。さらに、

「あんたは、この対馬に何人いるのか?パンフレットに載ればいいのにw」

と問うと爆笑していた。その青年は笑いながらも、えっと、たしか・・・と言いながら商品の棚に近づいていく。私も期待を込めて付いていくと、そこに・・・あった。







小瓶が2本だけ。純度100%の「日本蜜蜂の蜂蜜」があった。値段は、まあ、スナックでバーボンをキープするくらいだった。ほっとした。



今、我が家では「蜂蜜お湯(はちみつおゆ)」という、語呂の悪いネーミングのモノが流行っている。無論、それを飲めるのは妻だけだが、最近、ちょっと妻が風邪をひいて咳が出て可哀想なので、夜、寝る前に作ってあげるのである(※蜂蜜お湯 はちみつおゆ 用意するモノ:日本蜜蜂の蜂蜜・湯のみ・お湯・愛情・感謝・ガチコメの大剣 作り方:日本蜜蜂の蜂蜜大さじ一杯を湯のみに入れてお湯を注ぐ point;お湯の量は、これ、ちょっと少ないかな?がベスト。かき混ぜながらコタツまで運ぶと出来上がり)。もちろん、倅になんぞ、一滴もあげていない。苦労して買ってきた私ですらが、「蜂蜜お湯」をつくる際に、ビンにちょっと付いた蜜を舐めることのみ、妻から許可されている。





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