安重根はブローニング式7連発の拳銃を構え、伊藤博文に向けて連射した。7発目を撃つ前にロシア官憲に取り押さえられた。駅構内には暴漢の「コレア、ウラー!コレア、ウラー!」という叫び声が響き渡った。韓国万歳―――ロシア語だ。明治42年、1909年10月26日午前9時25分、清国のハルピン駅で、日本人の満鉄の理事や貴族院議員なども倒れた。集中的に銃弾を喰らった伊藤博文は即死状態だった。68歳だった。
6発の凶弾は3発が伊藤博文に命中。遺体を確認した随行医師の「小山善」医師は「傷口を広げねばならない」として体内から弾丸を取り除かなかった。代わりに喉元からホルマリンを注入して遺体の腐敗を防いだ。その際、小山医師はシャツの襟首から胸元に伸びる“赤い刺繍”を見つける。これもトマソン社の刺繍なのかと問うてみると、満鉄病院の河西院長はそれを「素人の手縫いの跡」だと答えている。日本人ならば、すぐに思いつく。
「千人針」だった。河西院長が「公爵は相当な覚悟でハルピンに来られたのだろう」と告げると、小山医師は両手で顔を押さえて崩れ落ちて泣いたと、佐木隆三の「伊藤博文と安重根」に書いてある。「テーハンミング!マンセ-!」ではなく、なぜだかロシア語で襲ってくる朝鮮人テロリストがいるような国だから、コレは危ないだろうと知っていたのである。現在も「韓国の独立運動家」として紹介される安重根は、なんとかして大韓帝国に独立して欲しいと願い続けた伊藤博文を暗殺したのであるから、もう、その根本から理屈が通じない相手である、と危惧していたのであろう。
安重根は捕まってから、いろいろと「犯行の動機」(※本人はあくまでも独立戦争の一環であり、自分は犯罪者ではないから捕虜として扱え、と語っていた)を語っているが、コレも100年待たずともわかる事実誤認の羅列である。
例えば、安重根は「伊藤は明治天皇が日露戦争開戦における詔勅で、東洋の平和を維持し、韓国の独立を強固にする、としたことを守っていない」と批判している。安重根は「皇室」については(韓国皇帝と共に)敬愛を表しているから、伊藤博文が陛下の詔勅に反して、大韓帝国の独立を妨げているから殺したのだと、ハルピン総領事館で検察官の溝淵孝雄氏に供述している。コレは2重に間違えている。
伊藤博文が大韓帝国の独立を望んでいたことも知らず、更には明治天皇陛下の詔勅「東洋の平和を維持し、韓国の独立を強固にする」は日清戦争の開戦にあてられたものだ。日露戦争の詔勅は「東洋の治安と韓国の保全のため」と述べられている。安重根はこれを知らなかった。
また、安重根は「現日本皇帝の御父君にあたられる御方を、伊藤さんが失いました。これは韓国民が全員知っております」と無茶を言っている。すなわち、明治天皇陛下の御父君とは孝明天皇陛下のことを指している。「伊藤さんが失いました」というのは「毒殺されたのではないか?」という噂が流れたことを指している。しかし、これも疑われたのは岩倉具視であり、そのころ伊藤博文は下関にいた。宮中に入り込める身分ではなかった。
それに伊藤博文は明治天皇陛下の信頼も厚かった。伊藤博文は御世辞を言わない正直者で金にきれいだったとされる。現在の民主党にはいないタイプの政治家であった。これは伊藤博文と様々に軋轢があった大隈重信も「太陽」という雑誌で述べている。
つまり、安重根は「事実誤認」のまま凶行に及んだのである。
繰り返すが、伊藤博文は大韓帝国を併合するのではなく、日本が援助しつつ近代化させた方が、日本にとっての国益であると終始一貫して主張していた人物である。これはもう周知の事実である。また、日韓併合条約締結から、ちょうど100年後の今日、あのNHKもその意図はともかく、こういうニュースを出した。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100822/k10013492101000.html
<韓国併合 伊藤博文のメモ見つかる>
<日本による韓国併合から、22日で100年です。初代の韓国統監を務めた伊藤博文が併合前に記した自筆のメモが、福岡市内で見つかり、専門家は、伊藤博文が併合に否定的だったことを裏付ける新たな史料として注目しています。
伊藤博文の自筆のメモは、韓国併合の5年前の1905年11月、韓国を日本の保護国とする「第二次日韓協約」の調印交渉で通訳を務めた、前間恭作氏が持ち帰り、その後、遺族が福岡市内の自宅で保管していました。メモは2点あり、交渉の様子などを記した前間氏の手記とともに、先日、遺族が九州大学に寄贈しました。このうちの1つのメモには、「韓国の富強の実を認むるに至る迄」という記述があります。これについて、伊藤博文研究の第一人者の、京都大学の伊藤之雄教授は、「この時点で、伊藤博文は、韓国を保護国とするのは韓国の国力がつくまでで、併合という考えには否定的だったことを裏付ける新たな史料だ」と注目しています。
もう1つのメモは、当時の桂太郎総理大臣あてに交渉結果を報告した電報の、伊藤博文自筆の下書きで、統監には外交官を命ぜらるべしという内容の記述の上に、線が引かれ消されています。前間氏の手記には、初代の韓国統監に外交官を任命する当初の方針を変更し、この下書きの執筆中に、伊藤博文がみずから就任することを決意したと記されています。
伊藤教授は、「交渉が予想以上に難航し、自分以外に統監は務まらないと、電報文を書く段階になって就任を決意したことを示す貴重な資料だ」と話しています。九州大学は、この伊藤博文の自筆のメモを、年内にも一般公開する予定です>
NHKは他人事のようにしれっと報道しているが、要するに、だ。
現在の日本の土下座外交は危険だということだ。
安重根を肯定する気は毛頭ないが、ある意味、このテロリストは愛国者だった。愛国者だったが、誤った情報を頭の中に詰め込まれてしまった。例えば、安重根は「ハーグ密使事件」に全く触れず、伊藤博文が「韓国皇帝を退位させた」と非難する。もし、日本の愛国者が「外国人から天皇陛下が退位させられた」と思い込めば、この安重根の凶行も頭では理解できよう。凶行に及んだ日本人が出現しても不思議ではない。それは皇室や王室が無い人工国家のアメリカでもわかっていたではないか。だから、原子爆弾を投下するまでポツダム宣言に国体護持を書き込まなかった。先帝陛下を退位させるなど、もし、万が一、進駐軍が行うと知れば、日本人はまさに「絶滅してでも」護ろうとしたことは自明である。
加えて、安重根は「伊藤さんが指揮を執り、韓国王妃を殺害しました」と本気で述べている。いわゆる「閔妃事件(乙未事変)」のことだが、100歩譲って、日本の「ど左翼」でも「三浦悟楼」の名を出す。閔妃事件は1895年10月だ。伊藤博文は日本で首相をしていた。無茶を言っては困るのだが、それでも、それを信じ込んでいたとすれば、だ。安重根の湧き上がる決定的な殺意は正当化されたことだろう。使命感に燃えていたことだろう。
いま、支那朝鮮は安重根を大量生産している。無茶な歴史教育、えげつない反日教育によってだ。しかも、それを相手国である日本が認めて謝罪までしている。ということはもう、それは事実として疑う余地が無いということになる。また、国という単位で考えた場合、いくら総理が談話を出そうが、いくら税金で保障しようが、支那朝鮮だけではなく、どこの国でも外交カードとしての「歴史問題」を手放すはずもない。いつまでも謝って金を出してくれるならば、わざわざ、もういいよ、と言う必要などないからだ。
支那朝鮮、いや、どこの国でもそうだが、自国の都合のよい教育を施すことはある。しかし、それを相手国は完全に否定する。明らかなる国際法違反のジェノサイドである原爆投下や民間人を狙った都市空爆でのホロコーストであれ、あれは連合国と日本人の犠牲者を減らすための正しい手段だ、と言い切るギャング国家を我々は知っている。それを、その当該国が認めてしまうということは、その誤った歴史教育なり、反日教育なりに真実味を帯びてくることは言うまでもない。そして、それは危険だというのである。
日本国内の反日日本人、在日日本人は真面目に考えたほうがいい。安重根は捕まってからも裁判を受けている。ちゃんとイギリス人やロシア人、日本人や朝鮮人の弁護士もついている。ちゃんと「日本人と同じく」して人権を尊重されていた。安重根は護送されるときですら「巡査ごときが私に触れるな!」と恫喝している。安重根は獄中で「安応七歴史」という著作を執筆し、その後「東洋平和論」という本も書こうとしていた。
日本という国は「明治天皇陛下の信任厚き初代総理大臣」を暗殺されても、安重根やその一味を司法の手に委ねている。その理由も勘違い甚だしい、事実誤認だらけの大間違いであっても、ちゃんと取り調べをして証拠を集め、供述書を取り、裁判で判決を下している。これが今から植民地支配して韓国民を奴隷化して、搾取してやろうという国の態度だろうか。白人国家の植民地政策はどうだっただろう。こんな扱いをした事実があるのだろうか。
管談話の行きつく先はふたつ、だ。
日本人は生涯、ずっと朝鮮半島に土下座するか。もしくは、殺される危険を覚悟して付き合うか、である。これから先、支那朝鮮人に「日本は侵略した!お前の先祖は我々の先祖に酷いことをしたんだ!」と責められれば、殺し殺される覚悟で挑むのか。その通りです、韓国は日本の植民地でした!と頭を3回叩きつけて土下座して、それを3回繰り返すか、だ。相手は本気である。民主党は日本国民に後者を選択しろと圧しつけた。私は本気で日本人がわからなくなってきた。
コメント一覧
久代千代太郎
ねこママ
最近の「過去記事」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事