忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

外した魔人斬りの結末 

2009年07月23日 | 過去記事
■2009/07/22 (水) 外した魔人斬りの結末 1

イソップに「農夫とヘビ」という話がある。

ざっと書くと――――

農夫の子供がヘビに喰い殺される。怒り狂った農夫は報復しようと斧を持ってヘビの巣に行く。頭を出したヘビに斧を振り下ろす。

農夫:「魔人斬り!!!」

しかし、ヘビはひらりと身をかわした!

斧はその横にあった岩を砕いただけだった。ヘビは巣に逃げ戻る。

穴に入ったヘビに斧は届かない。農夫はヘビに和解を申し入れる。(これは油断させておびき出そうとした、とか、ヘビの報復を恐れたなど諸説ある。私は“おびき出そうとした”に一票。)しかし、ヘビは言うのである。

「その割れた岩を見るととても和解する気持ちになれない。あなたも子供の墓を見ると私と仲良くなんてできないでしょう。」

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0722&f=national_0722_047.shtml
<中国の飲食店「日本人と犬お断り」で物議、7割「支持」>

この物語はこれで終わるのだが、ちょっと続きを「捏造」してみよう。

数十年後、その「割れた岩」は記念館に飾られている。説明には「農夫による大虐殺の際、割られた岩」と書かれている。もちろん、その横には「斧」の展示物もある。修学旅行できたヘビの子供たちに、「毒教祖」の教師ヘビは言う。

「これは昔、平和に暮らしていた我々ヘビを、ある日突然、農夫が襲ってきたとき割られた岩です。こんな硬い岩が一刀両断にされています。私達の祖父母はこの斧で体をぶつ切りにされ、農夫たちはぐつぐつ煮込んでスープにして食べていたのです。」

「2」へ

■2009/07/22 (水) 外した魔人斬りの結末 2

ヘビの子供たちは己が先祖に起こった悲劇を嘆き、そして農夫に対する憎しみを隠さない。いったい、我々ヘビが何をしたというのか。農夫め。ならば、我らはこの牙を研ぎ、毒を蓄え、いつか必ず機会あれば、その喉元に喰らいついてやると感想文に書く。

<店主は、「中国人のひとりとして、日本人が中国を侵略し、中国人を虐殺した歴史の一時期を忘れてはならない。自分のやり方に問題はないと考えている。表示を撤去するつもりはない」と主張した。>

大きくなったヘビは今も虎視眈々と農夫を狙う。目をギラつかせて「二つに割れた」舌を出す。ほとんどの農夫は知る由もない。今日も呑気にお天道様を見上げ、農作業に精を出す。入り込んだ藪の中どころか、座りこんだ足元に、玄関の隅に、風呂場の出入口に、洗濯物の陰に、農具の間に、ヘビどもは潜み、明かなる敵意を抱いて襲いかかる。

<環球網は、「恥辱と苦痛の歴史を忘れてはならないが、それが恨みをはらすものであってはならない」と主張した。「かつて存在した『中国人と犬は入るべからず』との表示の屈辱を、中国人は忘れることはできない」、「日本の侵略で、南京大虐殺をはじめとして、中国は多くの苦痛を味わった」とした上で、「世界は発展した。中国も、過去のように見下される国ではなくなった。平和と親善を促進せねばならない」と論じた。>

その「割れた岩」とはなんなのか。
どのように、だれが、どうして「割った」のか。

「3」へ

■2009/07/22 (水) 外した魔人斬りの結末 3

<中国人と犬は入るべからず>という「割れた岩」はあったのか、なかったのかといえば、コレはあったというほかない。事実である。ただし、どこにあったのか。誰が割ったのか。

あったのは上海における英国租界地、パブリックガーデンである。フランスの租界入口にもあった。つまり、白人国家の租界地にはあったということだ。

たしかに「華人和狗禁止通行」と書かれた看板があった。白人が書いたものがあった。事実である。また、1970年前までは、ロンドン大学の前にあるバーでは「アイルランド人と犬お断り」の看板があった。アメリカの商店では「黒人とペット出入り禁止」とあるのが当然だった。これらも事実なのである。

そして、今でも韓国では日本語で「日本人と犬お断り」と書いた看板が酒場にある。ブティックにあるし土産物屋にある。鬱陵島から竹島に向かうハンギョレ号の乗船入口には「日本人立入禁止」と書かれた巨大な看板がある。これらもまた事実なのだ。

卵から騙され続けたヘビの子供はもう、疑うことすらしない。歪曲された「都合のいい話」を「事実」だと刷り込まれ、目の前で腹一杯メシを喰っている農夫を恨み続けるしかない。「疑う」ことは、自分の種を否定することにすらなりかねない。いや、そもそも、そんなことは考えもしないだろう。ヘビは「餌を探している」だけだ。そこに「都合」とか「理屈」など必要ない。事実があるとすれば「喰わねば生きられぬ」という厳然たる事実である。良心を痛めることも、罪悪感を抱くこともない。自らの利益こそ「事実」なのである。

襲いかかるヘビは殺さねばならない。そして、もっと大切なことは「ヘビは襲いかかるモノ」と理解せねばならない。遠ざけ、警戒せねばならない。共生なんてあり得ない。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。